2024-01-01から1年間の記事一覧
ミッドライフ、いつクライシスしそう? 友人がそのように尋ねる。 中年期は長い。寿命が延びたら老年期ばかりが延びるというのではなくて、どうやら中年期も長くなっている。そりゃそうだ、人生わずか五十年なら四十すぎは年寄りだが、八十九十まで生きるな…
若いころ、頻繁に引っ越しをしていた。「絵心ゼロの北斎」と言われたこともある。なんと役に立たぬ北斎か。 引っ越しを重ねると、そのうち旅行先などでも「住める/住めない」を判定する能力が身についた。 その町の環境や成り立ちや住民の需要が渦をなして…
年に二回、わたしがいる意味がほぼない会議に出る。わたしには何の役割もなく、しかし一応は出るのである。直属の上司と一緒に出るのだが、上司にだって発言の機会はほぼない。別の人たちが準備してきた書面を読み上げ、皆で承認する。しかし実際には先に各…
先だって中古のマンションを購入した。紹介者は飼い犬である。 わたしの犬は四歳の柴犬で、和犬のわりにお調子者の社交家である。朝によく行く公園と夜によく行く別の公園に、それぞれ顔見知りの犬たちがいる。子犬のころはとっくみあって遊んだものだが、も…
夏の休暇は旅行するの。あらいいわね。いつ戻るの。そしたら一日二日ヒマな日があるでしょう。帰っていらっしゃい。 母が珍しく強くわたしの帰省を要求した。その意図するところは明らかで、わたしが延々と物置がわりに使っている昔の子ども部屋を片づけろ、…
僕の生家では、盆正月に親戚の集まりがある。僕はそのどちらかには行くことにしている。東京に出て三十年、いくつかの試行を経てできた習慣である。行きたくて行くのではない。後ろめたいから行くのである。 両親は僕を適切に養育したと思う。弟とも悪くない…
だから排斥用語としての「芸術家」は禁止したほうがいい。 会社員兼美術家の友人が言う。 わけのわからない存在をとりあえず保留するためのラベルとしての「芸術家だから」は、百歩譲ってよしとする。それは「見たことないタイプの人間に遭遇してどう振る舞…
わたし、ちゃんとしてないのが恥ずかしくてさあ。 友人が言う。わたしはとても驚く。 この友人はわたしと同じ芸術の大学を出て新卒で正社員になり、三十代の現在は立派な中間管理職であって、そのうえ作家としての活動も続けていて(いわゆる美術家である)…
家事分担って、揉めるんだってさ。 わたしがそのように言うと、夫は完全に他人事の顔で、なるほど、インターネットでもよく話題になるね、などと言った。うち、揉めないじゃん、なんでかなと思って。わたしが訊くと夫は戯画化された西洋人のように肩をすくめ…
タマは近所の猫である。ムギとクロという二匹の同居猫と一緒に暮らしている。緑がかった灰色の目の、非対称のハチワレの、小柄で静かな猫である。夕刻になると、白髪をゆるやかに編んだ、緑がかった琥珀の瞳の、どことなくタマに似た女性が、猫たちに家の中…
「男女の友情はありえるか」という議論があるのだそうだ。 ふーん。ないと思う人にはないんじゃないですか。 僕はそのように思う。 というのも、僕には高校生のときから仲の良い、同い年の異性の友人がいて、僕もその友人も恋愛対象は異性で、いずれも性愛を…
空港へ行く。半日ほど空を飛ぶために行く。そのあと現地の国内便に乗り換えるので、まる一日移動している勘定である。 チェックインカウンターへ行く。オンラインチェックインのシステムがダウンしていて、何度ためしてもできなかったので、久しぶりのカウン…
壁を塗りに来ないか。 そのように誘われたので行くとこたえた。変わった誘いにはとりえあず乗っかるたちである。中古の一軒家を買って自分で壁を塗っているからやってみないかと、そういう話だった。 往路の電車で友人が作成した作業解説動画を閲覧する。大…
パートナーから法律婚の話を詰められたとき、サブ議題として提出されたのが改姓の話だった。 彼は自分の姓に愛着があり、しかし自分の感情以外に「変えてくれ」と依頼する根拠を持たなかった。そして彼は、「カップル間での完全なイーブンはまぼろしだが、そ…
わたしが納豆を食べるようになったのは二十八歳のときである。 食べ物の好き嫌いの少ない子どもだったのに、納豆だけはどうしてか強く拒否していたらしい。生家は関東だが、納豆を常食する家ではなく、食べなくてもよかった。しかし、小学校の給食で年に一度…
友人の壮行会のような集まりに参加した。配偶者の海外赴任にあわせて職場を辞め、子を連れてついてくのだそうである。なにしろ人づきあいの多いカップルなので、集まれる人は集まってくれたほうがラク、とのことだった。 そんな場なので、出席者の半分は顔見…
皆で草原を歩く。彼も皆と話しながら楽しそうに歩く。それから、ふとそこを離れて、草原の向こうに何かを見つける。いくらか離れる。わたしはその姿に声をかける。強い陽の光が邪魔をして、彼の姿がいくらか抽象的な彫像のように見える。 彼はわたしより少し…
三家族の大所帯で海辺の町を旅行し、帰る日のお昼に名産のウニを載せた丼を食べた。 帰宅して洗濯機を回しながら家族が言う。さすが生産地、質の良い海胆だったね。ちなみにどうやって食べた。 わたしは自分の昼の行動を思い浮かべる。通常の丼ものはおかず…
仕事やめたんだあ。 友人が言う。皆が一斉に失業保険について質問する。もうやったか。自己都合退職でももらえる。手続きはこう、必要な書類はこう。 その場にいる全員が失業保険の申請をしたことがある、または申請方法を調べたことがあるのだから、就職氷…
友人が、わたしのことをうらやましいと言う。 わたしにとってここには二重の、いずれも非常に大きな驚きが含まれている。第一にわたしには友だちがいなかった。だいぶ大人になってから、何人かの友だちができた。本当に嬉しいことだし、何度でも驚く。第二に…
同僚ふたりが目の前で次々に話題を繰りだす。わたしたちはいずれも四十代の女で、ひとりは娘が小学六年生、もう一人は子どもなしの二人暮らしである。彼女たちはふだんから早口なのだが、退勤後に食事やお茶に行くとさらに早口になる。言いたいことがたくさ…
人からよくものをもらうたちである。 若いころはもらうに相応の理由があった。貧しく、かつ身よりがなかったのである。そういう人間が知り合いにいて、たとえばまだ使える冷蔵庫があるけれど新しい冷蔵庫が欲くなったとき、「あの人にあげようかしら」と思う…
かつて希望は永遠だった。だから無根拠に何でもできる気がしていた。絶望すればそれもまた永遠で、だからそれは地獄なのだった。愛は永遠だった。憎しみは永遠だった。 しかしそんなのはもちろん、永遠ではないのだった。わたしの希望は今や具体の水準まで縮…
今年は給料を上げることができたのでちょっと安心している。 わたしは勤め人だが、「給料が上がった」とは言わない。報酬は職位や役職を得ることによって、あるいは労働組合を経由しての交渉によって「上げる」ものである(わたしの職場には労組があり、わた…
犬を飼っているので、近所の小学生に何人か顔見知りがいる。犬を飼っている家の子どもが何人かと、その友だちである。子どもたちは犬をわしゃわしゃ撫で、ボールを投げてやるなどし、ぱっと子ども同士の遊びに戻る。 そんなだから、知っている子どもの後ろに…
地元のお祭りであの人に会ったのだと、友人が言う。 この友人の言う「あの人」は一人だけである。友人と中学三年生のとき同じクラスだった、えっと、なんて言ったかな。仮に山田くんとしよう。なんで仮名かっていうとですね、友人がめったにその人の名前を口…
父親の墓参りに行く。 東京から新幹線と在来線を乗り継ぐ。慣れた道をたどり、墓掃除をする。まだ寒いが、実家の雪おろしがないだけ気楽なものだ。母親は父親の一周忌を終えて以降、近隣の施設で暮らしている。母親は高齢でいろいろなことを忘れているが、墓…
子どもがひっくり返って泣きながら暴れている。理由は箸が転がったからである。どぉおおぉしてええええええ。どおおおおしぃてえーーーー! 箸が転がるのは、この家が地球にあり、地球には重力があり、箸が置かれた場所には傾斜があり、それに対して摩擦係数…
よく眠れたら気分が良い。しかし、少々の睡眠不足もそう悪いものではない。「今日の寝つきはさぞ良いだろう」と思えるからである。 レストランでコースを食べてデザートにコーヒーを合わせるのは特別なときだけである。夜に、しかもアルコールとちゃんぽんで…
転職して半年が経った。転職先の環境はきわめて快適である。 新しい勤務先はフルリモートワークOKで、最初の一年は制限があるとか、そういうのを想像していたのだけれど、「いえ研修二日間やってもらったら三日目からは好きにしていただいていいのです」との…