傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

2024-01-01から1年間の記事一覧

身も蓋もない家事の話

家事分担って、揉めるんだってさ。 わたしがそのように言うと、夫は完全に他人事の顔で、なるほど、インターネットでもよく話題になるね、などと言った。うち、揉めないじゃん、なんでかなと思って。わたしが訊くと夫は戯画化された西洋人のように肩をすくめ…

タマのこと

タマは近所の猫である。ムギとクロという二匹の同居猫と一緒に暮らしている。緑がかった灰色の目の、非対称のハチワレの、小柄で静かな猫である。夕刻になると、白髪をゆるやかに編んだ、緑がかった琥珀の瞳の、どことなくタマに似た女性が、猫たちに家の中…

男女の友情

「男女の友情はありえるか」という議論があるのだそうだ。 ふーん。ないと思う人にはないんじゃないですか。 僕はそのように思う。 というのも、僕には高校生のときから仲の良い、同い年の異性の友人がいて、僕もその友人も恋愛対象は異性で、いずれも性愛を…

飛行機の夢

空港へ行く。半日ほど空を飛ぶために行く。そのあと現地の国内便に乗り換えるので、まる一日移動している勘定である。 チェックインカウンターへ行く。オンラインチェックインのシステムがダウンしていて、何度ためしてもできなかったので、久しぶりのカウン…

壁を塗りに来ないか

壁を塗りに来ないか。 そのように誘われたので行くとこたえた。変わった誘いにはとりえあず乗っかるたちである。中古の一軒家を買って自分で壁を塗っているからやってみないかと、そういう話だった。 往路の電車で友人が作成した作業解説動画を閲覧する。大…

改姓とわたし

パートナーから法律婚の話を詰められたとき、サブ議題として提出されたのが改姓の話だった。 彼は自分の姓に愛着があり、しかし自分の感情以外に「変えてくれ」と依頼する根拠を持たなかった。そして彼は、「カップル間での完全なイーブンはまぼろしだが、そ…

納豆とわたし

わたしが納豆を食べるようになったのは二十八歳のときである。 食べ物の好き嫌いの少ない子どもだったのに、納豆だけはどうしてか強く拒否していたらしい。生家は関東だが、納豆を常食する家ではなく、食べなくてもよかった。しかし、小学校の給食で年に一度…

解剖されるシンデレラの夢

友人の壮行会のような集まりに参加した。配偶者の海外赴任にあわせて職場を辞め、子を連れてついてくのだそうである。なにしろ人づきあいの多いカップルなので、集まれる人は集まってくれたほうがラク、とのことだった。 そんな場なので、出席者の半分は顔見…

光る丘の向こうに消える

皆で草原を歩く。彼も皆と話しながら楽しそうに歩く。それから、ふとそこを離れて、草原の向こうに何かを見つける。いくらか離れる。わたしはその姿に声をかける。強い陽の光が邪魔をして、彼の姿がいくらか抽象的な彫像のように見える。 彼はわたしより少し…

ウニ丼と無思考

三家族の大所帯で海辺の町を旅行し、帰る日のお昼に名産のウニを載せた丼を食べた。 帰宅して洗濯機を回しながら家族が言う。さすが生産地、質の良い海胆だったね。ちなみにどうやって食べた。 わたしは自分の昼の行動を思い浮かべる。通常の丼ものはおかず…

自分ひとりの皿

仕事やめたんだあ。 友人が言う。皆が一斉に失業保険について質問する。もうやったか。自己都合退職でももらえる。手続きはこう、必要な書類はこう。 その場にいる全員が失業保険の申請をしたことがある、または申請方法を調べたことがあるのだから、就職氷…

愛していないと言ってくれ

友人が、わたしのことをうらやましいと言う。 わたしにとってここには二重の、いずれも非常に大きな驚きが含まれている。第一にわたしには友だちがいなかった。だいぶ大人になってから、何人かの友だちができた。本当に嬉しいことだし、何度でも驚く。第二に…

自由意志と家の中に落ちている靴下

同僚ふたりが目の前で次々に話題を繰りだす。わたしたちはいずれも四十代の女で、ひとりは娘が小学六年生、もう一人は子どもなしの二人暮らしである。彼女たちはふだんから早口なのだが、退勤後に食事やお茶に行くとさらに早口になる。言いたいことがたくさ…

乞食の顔をしている

人からよくものをもらうたちである。 若いころはもらうに相応の理由があった。貧しく、かつ身よりがなかったのである。そういう人間が知り合いにいて、たとえばまだ使える冷蔵庫があるけれど新しい冷蔵庫が欲くなったとき、「あの人にあげようかしら」と思う…

永遠から少し離れて

かつて希望は永遠だった。だから無根拠に何でもできる気がしていた。絶望すればそれもまた永遠で、だからそれは地獄なのだった。愛は永遠だった。憎しみは永遠だった。 しかしそんなのはもちろん、永遠ではないのだった。わたしの希望は今や具体の水準まで縮…

そういう係

今年は給料を上げることができたのでちょっと安心している。 わたしは勤め人だが、「給料が上がった」とは言わない。報酬は職位や役職を得ることによって、あるいは労働組合を経由しての交渉によって「上げる」ものである(わたしの職場には労組があり、わた…

キックボードの子ども

犬を飼っているので、近所の小学生に何人か顔見知りがいる。犬を飼っている家の子どもが何人かと、その友だちである。子どもたちは犬をわしゃわしゃ撫で、ボールを投げてやるなどし、ぱっと子ども同士の遊びに戻る。 そんなだから、知っている子どもの後ろに…

推しと遠い日の花火

地元のお祭りであの人に会ったのだと、友人が言う。 この友人の言う「あの人」は一人だけである。友人と中学三年生のとき同じクラスだった、えっと、なんて言ったかな。仮に山田くんとしよう。なんで仮名かっていうとですね、友人がめったにその人の名前を口…

誰も殴らない兵隊さん

父親の墓参りに行く。 東京から新幹線と在来線を乗り継ぐ。慣れた道をたどり、墓掃除をする。まだ寒いが、実家の雪おろしがないだけ気楽なものだ。母親は父親の一周忌を終えて以降、近隣の施設で暮らしている。母親は高齢でいろいろなことを忘れているが、墓…

忘れていても世界は

子どもがひっくり返って泣きながら暴れている。理由は箸が転がったからである。どぉおおぉしてええええええ。どおおおおしぃてえーーーー! 箸が転がるのは、この家が地球にあり、地球には重力があり、箸が置かれた場所には傾斜があり、それに対して摩擦係数…

眠るために生きている、あるいは「自己肯定感」が要らない人間

よく眠れたら気分が良い。しかし、少々の睡眠不足もそう悪いものではない。「今日の寝つきはさぞ良いだろう」と思えるからである。 レストランでコースを食べてデザートにコーヒーを合わせるのは特別なときだけである。夜に、しかもアルコールとちゃんぽんで…

母数が大きいところ

転職して半年が経った。転職先の環境はきわめて快適である。 新しい勤務先はフルリモートワークOKで、最初の一年は制限があるとか、そういうのを想像していたのだけれど、「いえ研修二日間やってもらったら三日目からは好きにしていただいていいのです」との…

かわいいと言ってくれてもかまわない

かわいいと言われたくなかった。正確には、大半の人に言われたくなかった。 なぜ言われたくないのかと問われたら、むしろ「なぜ言われて嬉しいと思うのか」と問い返したかった。守るべき子どもではない成人に対して別の属性の人間が「かわいい」と言うとき、…

いいよいいよ、溜め込んでな

五十の坂が見えるとにわかにホットになる話題が「親の家の片づけ」である。 友人が言う。うちの親もね、わたしがちょいちょい顔出してやいやい言ってるし、近所の友だちに対する見栄もあるから、一階はきれいにしてる。でもさあ、なにしろ田舎の立派な一軒家…

女のいない男にしない女

疫病が流行していわゆる行動制限が課されているあいだ、重要でない人間は放っておいた。たとえばテンポラリな色恋の相手である。 わたしは経済や生活の上で自立していて、色恋は娯楽である。自分で働いて買った自分の基地であるような自宅に、わたしは男を呼…

わたしの老いたbot

昨年のことである。会話式のAIがたいへんな話題になり、わたしも試した。こんなに話題になるのだから、きっとかしこくて今ふうに気が利いて、とっても素敵なのにちがいない。そう、わたしの老いた話し相手よりも、ずっと。 二十年前、将来の自分の話し相手に…

どうか俺を推さないでくれ

好きじゃないんだよ、推しなんだよ。 つまりさ、その人たちは俺に「つきあってください」とか言わない。仮に他の誰かに「つきあいたいんですか」って訊かれたら「そういうんじゃなくて、推しなんです」って言う。実際あの人たちはそうなんだと思う。 俺は思…

わたしたちの些末な運命の謎

年末年始に質問箱をあけたの。このところ毎年やってるんだ、ふだんは書くだけ書いてしゃべらないからさあ。たまにしゃべると楽しいの。 質問箱とは言うけど、投稿者が匿名で自分の話をしに来る場所なんだ。わたしの話なんかしてもしょうがないじゃん、いつも…

法律婚とわたし

法律婚はしないと宣言して生きてきた。 わたしは生き延びることの次に己が思想信条を優先するという基本方針を持っている。なんとなれば自分の思想に悖る振る舞いをすると気持ち悪くてQOLが下がるからである。そして、現代日本の婚姻制度はわたしの思想に合…

暇なやつ、それから悪いことしないやつ

わたしがどのような人間か説明するとしたら、そのひとつに「暇そうで悪いことはしなさそう」という項目を入れる。 わたしはものすごい方向音痴である。それなのに道を訊かれる。外国でも訊かれる。電車の乗り方を訊かれる。それからちょっとした頼まれごとを…