傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

誰も殴らない兵隊さん

 父親の墓参りに行く。
 東京から新幹線と在来線を乗り継ぐ。慣れた道をたどり、墓掃除をする。まだ寒いが、実家の雪おろしがないだけ気楽なものだ。母親は父親の一周忌を終えて以降、近隣の施設で暮らしている。母親は高齢でいろいろなことを忘れているが、墓参りをしたと言うと安心するので、盆と命日近辺に郷里に行き、きれいにした墓の写真を見せるようにしている。

 十数年前、存在を知らなかった姉が四人出てきた。
 人間は突然生えてくるものではない。彼女たちはもちろんずっと生きていたのだが、僕はぜんぜん知らなかったのだ。両親がともに再婚だとは聞いていた。母親は「前の結婚では子どもが生まれなくて離婚して、お父さんに拾ってもらった」と言っていた。父親は来し方行く末を話すタイプの人間ではなかったので、自分は一人っ子なのだと、ずっとそう思っていた。
 僕にお姉ちゃんが、四人も? なんだかラノベみたいだ。四十のおじさんに五十代の姉四人が出現したっていう話だけど。いける設定かな。
 そんなふうに笑うしかないような話題ではあった。
 僕は両親、とくに父親が高齢になってからの子どもで、だから上にきょうだいがいるのは、そんなに不思議なことではない。母親が父親と出会ったのが四十近くになってからで、父親は自分の前の家庭のことなど何も話さずに平然と過ごすような人間だった。
 そのような父親も年をとると弱気になるのか、あるいは僕が東京で「ひとかどの人物」になったと感じたからか(ほんとうにそういう言い方をするのだ。しかも僕の前では言わない。母親に言って、母親が僕にこっそり電話してくる)、正月の機嫌の良いときを見計らって「僕の知らない資産なんかを持っていないか」というような意味のことを尋ねると、素直に口をひらいた。そして僕には姉がいると言ったのだ。
 親が死んで相続の手続きをしたら知らない土地を持っていてすごくめんどくさかった、という話を聞いて、僕の実家にもそういうのありそうだなと見当をつけてはいたけれど、それどころじゃなかった。知らん姉。しかも四人。
 四人のうち三人は初婚の家庭の子どもで、一人は結婚していない別の相手との子どもだった。
 父親はそのような人々に連絡を取り続けて親としての責任を果たすというような考えはとくになかったらしく(ひどいと思うが、意外ではない)、僕は苦労して彼女たちと連絡をとった。父親の初婚の相手との子どもである人は、僕の顔を見て少し笑い、よかった、うちは女の子しか生まれなかったから、と言った。春になると花が咲くわねというように。女しか生まれないからよそで子どもをつくってその子も女だからまた別の人間と子どもをつくってそれが男だったから結婚するなんて、少しも当たり前のことじゃないのに。

 父親は戦争に行った最後の世代である。
 だからというのではないが、僕はわりと戦争ものを読んだり観たりする。少し前にも、やはり戦後をテーマにしたマンガを読んだ。主人公は戦地で部下を殴らず、帰ってきても女を殴らず、男の子どもができないからといって産む人間を取り替えたりもしなかった。戦争に行ってひどい目に遭ったってまともな人間でいることはできるんだ。僕はそんなふうに思って、ぼんやり嬉しくなった。主人公が戦地でつけられた傷をひたすように酒を飲みながらも、戦後のめちゃくちゃな日本でそれなりに店をやったり、戦友と再会したり、若い女性になつかれるようすを、しみじみと読んだ。彼は人を殴らず、搾取しなかった。僕はページをめくりつづけた。そうして彼はふと死んだ。
 僕はさみしかった。戦争に行ってひどい目に遭って、それでも誰も殴らなかった兵隊さんは、死ぬんだ。

 父は人を殴る男だった。
 僕も小さいころは殴られた。でも主に殴られるのは母親だった。父親は男というものをよほどいいものだと思っていたのだろう。僕は少し大きくなると殴られなくなった。母親もできるだけ殴られない方法を学習したらしく、とにかく父親の機嫌を取るために生きていた。けれど年をとって以前ほど家事ができなくなり、気も回らなくなると、父親はまた母親を殴った。足を悪くしてろくに出歩けないのに、座りこんだまま母親を呼んで杖で殴るのである。
 そしてずいぶんと長生きをした。

 僕は人を殴ったことがない。でもそれは戦争に行っておらず、父親に少々しか殴られておらず、子どもをつくらなかったからかもしれない。
 それもこれも昔の話である。父親の次の周忌には、もう母親はいないだろう。そうしたら墓じまいをして、それきりのつもりである。