「男女の友情はありえるか」という議論があるのだそうだ。
ふーん。ないと思う人にはないんじゃないですか。
僕はそのように思う。
というのも、僕には高校生のときから仲の良い、同い年の異性の友人がいて、僕もその友人も恋愛対象は異性で、いずれも性愛をやるタイプの人間なのだけれど(ちなみに僕より友人のほうが活発な傾向にある)、お互いその対象ではない、という確信を持っているからである。「そうはいっても男と女、きっかけがあれば」などという言い方をされたこともあるのだが、たいそう不快だった。きっかけがあればやっちゃうでしょってことだよね。やんねえよ。親きょうだいとやんないのとおんなじ感覚ですよ。ていうか、なんで赤の他人の俺らの性欲を第三者が決めてかかるんだ。シンプルにキモい。
僕らは夜中じゅう飲んでしゃべってどちらかの家に泊まるし、二人で海外旅行したこともあるけど(目的はもちろん旅行だよ。気の合う友だちと旅行するのって楽しいよね)、全然まったくそんな感覚は芽生えなかったからです。実績に基づくたしかな友情。あ、セックスつきの友情だってあると思いますよ。でも僕らはそうではない。
無関係の人に理解されないのはまあいいんだ。その人にはその人の世界がある。僕には僕の世界がある。余計な口出しをされたら「あの、その口出し、いらないです」と言えばいいだけのことである。
問題は自分たちの彼氏彼女だ。どちらかが異性との友情をNGとする相手とつきあっているときには、この友人との連絡はなくなる。僕も友人も恋愛をそれなりに大事にするタイプで(僕より友人のほうがより大事にする傾向にある)、天秤にかければ恋愛の相手を取るのである。
でもそういう恋人と長期間うまくいったことがない。
僕には他にも、それなりに親しい女の友だちが何人かいて、家族ぐるみみたいな感じの友人夫婦もいて、仕事帰りに飲みに行く女の同僚もいる。そのぜんぶがNGという相手とはつきあえない。あとはグラデーションの問題である。「異性の友人と二人で泊まるのはやめてほしい」くらいの相手が落としどころかなあというのが、二十代後半までの僕の認識だった。
だからそういう意味でも今はほんとうにありがたいと思っているんだよ。
僕がそのように説明すると、彼女は変な顔をして、それから言った。ふーん。
僕はこの二年すこぶる快適に過ごしている。今の彼女とつきあって、後半は一緒に住んでいるからである。この人は自分も男の友人と二人で出かけたり、仕事のために親しい仲間と長時間一緒にいたりするので、相手がそれを嫌がるタイプだと面倒なのだそうだ。恋人のいやがることはしませんが、と彼女は言う。そうはいっても相手も同じような感覚のほうが、気は楽だね。相手の好意を笠に着て一方的ながまんを強いているんじゃないかという疑いを持たなくて済むから。
彼女の恋愛対象は男性だけではない。「別に誰でもいいわけじゃないけど、女性を好きになることもあるので、たぶん男女とは別の何かで恋愛対象が区切られているんだと思う」とのことである。「何によって区切られているかにはそんなに興味はない」「セクシュアリティに名前をつけることにも個人的に興味がない」とのことなので、僕も彼女のそのような性質を何らかのカテゴリ名で呼んだことはない。過去の恋人たちについてはひととおり聞いていて、「そうなんだー」と思っている。みんな素敵な人だったそうで、よかったね、と思う。その中で今現在、俺がトップにして唯一であるので、ふふん、と思う。
そんなわけなので彼女は「恋愛やセックスの独占関係をおびやかすものとして異性を想定する」という発想が世間にあることは知っているが、自分ごととしてはぴんときていない。だって自分は女と浮気するかもしれないから。
なんというか、変わってはいるけどわかりやすい人である。ただ性別その他を問わず浮気はしないでくださいよ。俺もしないから。そういう約束でつきあってるんだからさ。
「男女の友情はあるか」。
彼女はつぶやく。そういう話題を好んで、「男女の友情はない」と言う人って、世界には男と女がいて、男と女は恋愛やセックスをする、という考えかたなんだよね。片方が無理強いするケースは論外として、極端な話、第二次性徴後の男と女を配置すればセックスする、みたいな発想なのかな。どうしてそう思うんだろうね。