傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

いいよいいよ、溜め込んでな

 五十の坂が見えるとにわかにホットになる話題が「親の家の片づけ」である。
 友人が言う。うちの親もね、わたしがちょいちょい顔出してやいやい言ってるし、近所の友だちに対する見栄もあるから、一階はきれいにしてる。でもさあ、なにしろ田舎の立派な一軒家だから、二階は物置よ。で、本人はもう階段上がるのも面倒になってる。どうすんの、あの大量のがらくたを。
 わたしは友人の話に頷きつづける。友人は怪訝そうに尋ねた。なに仏さんみたいな顔してんの。
 わたしは言った。わたしはもう、親の持ち物に関しては、好きにしてもらおうって決めたの。物置部屋があるなら万々歳、生活空間が多少ごちゃついたっていいじゃない。

 かつてはわたしも親たちの大量の所有物に眉をひそめていた。最後に片づけるのはわたしら子どもじゃん、と思っていた。そして生家を訪ねては、物置と化した客間(昔の住宅にはなぜかこの客間というやつがあった)とかつての子ども部屋をチェックし、こんなものまで取ってある、と文句を言っていた。そのうち、と親たちは言った。そのうち片づける。
 そんなわけはない。判断力も体力も衰える一方だろうに、若くたって面倒な「選んで捨てて片づける」なんてできるわけがない。両親は「選ぶ」だけやってくれればいい。わたしが捨てたり片づけたりしてあげるから。
 そう思っていた。
 しかし両親はいつまでも「選ぶ」をやってくれない。やるとは言う。言うが、実際にはやらない。
 捨てたくないものは捨てなくていいと思う、とわたしは言った。でもいらないものは確実にあるでしょう。ごちゃごちゃになってるでしょう。
 母はあいまいにうなずいた。父は「ぜんぶ捨てていい」と言った。本心でないことは明らかだった。
 わたしが子どもだったころ、似たようなことがあったな、と思った。
 やらなくちゃいけないけどやりたくないこと、それもどうしてやりたくないか自分でもわからないことが、わたしにはときどきあった。すると母はガミガミ言い、それでもわたしがやらないと突然お説教をやめて、知らん顔して過ごす。そうしてしばらくすると、今度は父がやってきて、わたしに言う。おう、あの話な、おまえ、なんか、絶対、ヤなんだろ? 父がそう言うと、わたしはどうしてか、必ずちょっと泣いてしまうのだった。すると父は、わたしがそれをしないでいることで生じる可能性について、脅すでもなくその結果を肩代わりすると言うでもなくただ述べ、「そろそろ晩飯だ」などと言うのだった。
 そんなことが、小学生から高校生まで、あわせて片手の指の数ほどあったように思う。

 わたしは客間に入る。
 母はもうそんなに凝った料理はしない。しまい込んだ大鍋や大きなブレンダー(母はミキサーと呼んでいた)やお菓子作りの道具はもう二度と使わないだろう。だから古い台所用具の入った段ボールは捨ててかまわないはずである。父の大工道具や庭いじりの道具も同様だ。庭なんかとうに潰して駐車場にして近所の人に貸している。両親にはそれぞれ昔凝っていた趣味があり、その道具も堆積している。
 ほかにもまだある。アルバムに整理されていない、ビニール袋に束で入れられたままの写真。古い家電。祖父母の家にあったような気がする桐箪笥や、わたしのでなかった人形や、あれやこれや。
 要するにゴミである。
 でも一掃するのは「なんかイヤ」なんだろう。
 それらの入った箱をあけることが生涯なくても、イヤなんだろう。理屈でものを言えばたいてい通じる、いろいろな変化を「今はそうなのか」と飲み込んでもくれる、いわゆるものわかりの良いわたしの両親が、それでもイヤなんだろう。

 わたしは自分の持ちもののほとんどを捨ててもかまわないが、「合理的な理由があるから、SNSのアカウントを全消ししろ」と言われたら、なんかイヤである。昔の投稿なんか全然見やしないが、でもイヤである。
 アイデンティティというかアイデンティファイというか、そういう話なんだろうな、とわたしは思う。過去が大切だなんて結構な話じゃないか、と思う。

 わたしがそのように言うと、友人は顔をしかめる。そして言う。そしたらあんた将来どうすんの、そのがらくたを。
 わたしは澄ましてこたえる。そりゃ全部捨てる。でっかい重機で家ごとガーっと更地にしてもらう。それがイヤなうちは親が自分たちの資産で家をキープしたらいいのよ、施設に入ってもずっと、死ぬまで。そんで死んだら更地。アイデンティティも最後はカネの問題よ。なあに、子どもにそれを肩代わりさせようとする人たちじゃないよ。