傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

改姓とわたし

 パートナーから法律婚の話を詰められたとき、サブ議題として提出されたのが改姓の話だった。
 彼は自分の姓に愛着があり、しかし自分の感情以外に「変えてくれ」と依頼する根拠を持たなかった。そして彼は、「カップル間での完全なイーブンはまぼろしだが、それでもフェアネスを追求したい」という方針を持っている(いい男である)。それで「法律婚を了承してくれるのであればできるかぎりのことはします」というのだった。
 一方、わたしは自分の姓にまったく愛着がなかった。育った家がろくでもないところで、とくに父親(姓を変えずに結婚した側の人間)がさまざまな点でアウトな人物だった。そんなわけだから、自分の戸籍を見るたびに「自分がああいうろくでもない人間の下にくっついてるみたいな記載で超キモい」と思っていた。
 そもそもわたしは名前自体に対する愛着が薄い。R2-D2とかでもかまわない。これもおそらくは生育環境に由来していて、親の愛情を称揚するための「名前は最初のプレゼント」みたいな言説が嫌いだからだと思う。あなたのすてきなお名前があなたの素晴らしい親御さんからのプレゼントであることに異論はないです。しかし、わたしのはそうじゃないんです。わたしのはやむなく使用している型番です。そういう感覚がある。
 戸籍制度、婚姻制度、婚姻における強制改姓にはそれぞれ言いたいことが山ほどある。制度変更が必要だと思う。しかしわたしは「好きで一緒にいたい人に去られたくない」という欲求を優先して、やむなく法律婚を了承した。
 だから姓を変えたってかまわないとわたしは言った。でもわたしだけが面倒な目に遭うのは納得いかないな。
 彼はそれを聞いておおいに喜び、わたしの手数を肩代わりする工夫をし、改姓にかかわる費用は家計から支出し、手続きが終わった段階でわたしの慰労会を開いた。

 でも多くの人間は生まれたときからの名前がアイデンティティの重要なパーツっていうか、いろんなものを包んだ包装紙の上にかかってる紐みたいな存在なのよ。
 友人が言う。そうだろうねとわたしはこたえる。実際ところ、わたしは自分の改姓に関する感覚を他人にあてはめる気はない。自分がレアケースだという自覚はある。多くの人は名前を変えたくないし、ましてC-3POとかそういう名前になったらすごくイヤなはずである。そんなのは非人間的なことだ。名前は重要である。ーーきっとそうなんだろうと思う。
 ほかにも、と彼女は言う。あなたはいくつも名前があるでしょう。だからあまり「奪われた」感じがないのよ。
 たしかに、とわたしは思う。わたしの職場での名前は変わっていない。給与振り込みの姓だけが変更され、あとはそのままだ。そういう仕事なのである。そのうえわたしは旧姓ともちがう筆名を持っていて、趣味の活動に長年使用している。こちらにはもちろん何の変更もない。
 しかもあなたには著作があるからね。友人は指摘を続ける。旧姓時の本名とペンネームと、両方の著作が。国立国会図書館に行けば、あなたのそのふたつの名前を記載した資料があって、死んだあとにまで残る。今後もその名前で著作を出す。あなたの法律上の氏名は公的機関での記号でしかない。だからあなたは平気なの。パスポートの旧姓併記もできるから、新しい姓との接続を証明することだって簡単。あなたはぐらつかない。

 そうだよねえ、とわたしは言う。
 わたしは改姓にまつわる苦労を背負った人たちに何を言える立場でもないと思っている。制度や規範に変えるべき点があることを前提として、その中で「あなたはそりゃ平気でしょうよ」と言われてもしかたないと思っている。なんなら「自分が反対している婚姻制度を使用したのだから、現状を追認したも同然であって、私利私欲のために悪をなした」くらいの感覚でいる。
 だから目の前の友人の改姓に関する悩みにあれこれ言うことはない。
 彼女には長年のパートナーがいて、彼女の希望で法律婚をしていない。しかし、先方の両親が「あなたにも遺産を残したいから」と結婚改姓してほしがっているのだそうだ。昔の人たちだから、と彼女は言う。「うちの子になってほしい」という気持ちがあるのよ。この年齢で「うちの子」も何もないんだけどさ、赤の他人じゃ心配なんだろうと思う。
 一緒にいたい人と一緒にいたい間一緒にいる、それがいいんだけどな。彼女はそう言う。でもわたしはすでに彼の両親の面倒を見ていて、情もあるのよ。結婚したほうが彼らも安心してわたしにあれこれ頼めるだろうとも思う。でもねえ、そんなのおかしいよ。いろいろおかしいよ。
 そうだね、とわたしは言う。おかしいよね、と繰りかえす。