傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

どうか俺を推さないでくれ

 好きじゃないんだよ、推しなんだよ。
 つまりさ、その人たちは俺に「つきあってください」とか言わない。仮に他の誰かに「つきあいたいんですか」って訊かれたら「そういうんじゃなくて、推しなんです」って言う。実際あの人たちはそうなんだと思う。
 俺は思うんだけど、「つきあいたい」という意識を持たずに相手との関係を欲望することは可能なんだよ。その欲望が顕在化するのは俺が「つきあってください」とか言ったり、それっぽいアプローチをしたときだけ。受動的欲望っていえばいいかな。「つきあってくれって言われたらびっくりしちゃう」みたいなやつ。これはね、たしかに「つきあってほしい」とは違うんだ。明確に違う。だから推しだと、彼女たちは言うわけだ。「つきあってほしい」じゃないから断る機会もない。
 そして推されている俺は遠回しに個人情報を訊かれたり、恋愛対象を特定しようと画策されたり、女同士で結託して接点を作られたり、めんどくさい質問をされまくったり、周囲をうろうろされたりする。仕事上同じ空間にいる状態で、仕事上接点があって断れない場面で、仕事を円滑にするための雑談の範疇で、「推す」をやられる。
 消耗する。
 なんで勝手に「推す」んだよ。俺そういう商売してないんだけど。チケットとか売ってないんですけど。俺、何ももらってなくて、なんか、取られてるだけじゃん。推しって芸能人とかだろ。ファンのために歌ったり踊ったり、あとはなんだ、しゃべったりあれこれしてくれるナイスなパーソン、つきあいたいとかそんなのじゃなくてチケットを買う相手。これが推しだろ。チケット売ってるやつを推せよ。チケットとかグッズとかスパチャとかそういうの売ってるやつをさあ。それが推しってものじゃないの? 違う? 違うの? 俺もうなんもわかんない。
 おまえそういうのどうやって防いでんの。ぼろくそモテそうなくせにそういう愚痴聞いたことないわおまえから。

 俺がそのように語ると、友人は冷ややかな笑みをうかべて、言う。

 人気投票という意味ではそこまでモテないよ。ただわたしをやたら見てやたら話しかけてくる人は一定数いるね。そういうのはね、防御するの。相手がどんなに迂遠だろうが関係ない。「何々を食べに行きましょう」だったら簡単。「行きたくないです」。「食べものは何が好きですか」も簡単。「最近は女同士で○○を食べに行くのが好きです」、これでも食い下がってくるなら、「答えたくありません」。このときは顔が重要ね。真顔。「なんでそんな質問されなくちゃいけないのか、まったく理解できません」という、真顔。「わたしはあなたという人間に職業上の役割以外で接する必要がまったくありませんし、今後もその可能性はゼロです」という、真顔。そんなの咄嗟にできない? 訓練してないからだよ。「『推され』たくありません」を表現することはできるよ。それでも伝わらなかったら無視。無視してもつきまとうやつが出てきたらレコーダーを回して記録をとってしかるべき窓口へゴー。でもこれはすごく少ない。せいぜい悪口言われたり仕事上の権限とかを使ったいやがらせをされるだけ。それだって多くはないよ。
 へえ、円滑な職場関係のためにそんなことできない? 「自意識過剰」「いい気になってる」って笑われたくない? 悪口もいやがらせも避けたい?
 そんなのが怖いなら協調性ある行動して空気読んで人あたりよくして「推されて」れば?
 だってわたしたちは「推される」ことと引き換えにしか、職場なり何なりで何もせず快適に過ごすことができないんだ。わたしはそれは、ハンディキャップだと思ってる。逆さにすれば人気商売ができる要素だけど、逆さにしないなら損をする。それはすでにわたしたちに配られたカードで、わたしたちは環境を選んで戦って生きていくしかない。
 あの人たちの「推したい」気持ちなんて、ありふれた欲望だよ。わたしに言わせれば、この世は当人に自覚されることのない、あるいは自己欺瞞で覆われた「あわよくば」に類似するもの、あんたの言う受動的欲望にあふれてんのよ。その上で「つきあってください」を明文化して突撃してくる人間も防御して、それでようやっと平和な社会生活が送れるんだよ。
 あわよかばねえ。あわよかばねえよ。Tシャツの腹と背にその文字列をでかでかと刷って生きる、そういう気持ちで、決然と、一貫して、「推されない」行動をとるんだよ。そしたらそういう人たちの大半は、普通の同僚とか普通の知り合いとかに変身するから。