傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

飛行機の夢

 空港へ行く。半日ほど空を飛ぶために行く。そのあと現地の国内便に乗り換えるので、まる一日移動している勘定である。
 チェックインカウンターへ行く。オンラインチェックインのシステムがダウンしていて、何度ためしてもできなかったので、久しぶりのカウンターである。
 チケットが発行される。わたしの番号は窓際である。
 荷物は手持ちの布鞄と小さめのキャリーケースで、ふたつとも機内に持ち込む。

 エコノミークラスの狭い席に詰め込まれて半日過ごすことが、わたしは嫌いではない。まったく嫌いではない。なにしろ飛行機の中では何もできないので、完全にぼうっとしていられる。何かあればスタッフが指示をくれる。だからわたしはすべてのセンサーを切り、眠りの海に落ちたり浮いたりしていてよい。
 これはとても安心なことだ。機内の安全を保つための行動様式がインストールされている人間なら、何も考えなくてよい。何をどれだけ考えてもよい。わたしには何の役割もなく、何の期待もされていない。こんなことってなかなかない。
 だからわたしは飛行機でよく眠る。座った姿勢で眠れるのかといえば、実によく眠れる。このたびはちょっとしたうたた寝のあと機内食の時間を過ごし、それから三時間眠り、目を覚まして機内サービスの映画を観ようとしてやめ(『Poor things』、外科手術が大きな役割を果たす映画で、わたしは人の皮膚を切る描写がとても苦手だ)、中篇を一本読み(電子書籍読み放題サービスでダウンロードしておいた『ハンチバック』)、一時間半眠り、手洗いに立って、その後また三時間眠った。最後の眠りではベッドで眠ろうとしている夢を見た。ベッドは最高だね、と夢の中のわたしは言った。なにしろ平たいからね。

 乗り換えの空港に着く。チェックインカウンターへ行く。オンラインチェックインのシステムがダウンしていて、何度ためしてもできなかったので、久しぶりのカウンターである。
 チケットが発行される。わたしの番号はない。
 番号がないよと言うと、オーバーブッキングで今から割り当てられるからゲートへ行けと言われる。
 こういうちょっとしたイレギュラーがあるから海外旅行は好きではない、という人がいた。わたしは好きである。わたしはいつも、自分の乗り込んだ乗り物のチケットが、ほんとうはにせもので、事務的なチェックのあとに追い出されるのだと、どこかでそう思っている。だから「あなたの席はない」とか「あなたの部屋はない」とか、そう言われるのがふんわり好きなのである。それがほんとうだ、とどこかで思っている。

 キャリーケースを引いて歩く。
 キャリーケースは名を長嶋さんという。もとの持ち主の姓である。二十年ほど前、長嶋さんは羽振りの良いビジネスパーソンであって、羽振りよく結婚した。そして新婚旅行用として結婚相手にこのキャリーケースを贈った。長嶋さんはもちろん羽振りよく浮気していたため、ほどなく離婚が決まり、キャリーケースはたった一度使われたきりで長嶋さんの手元に戻った。彼の「彼女たち」は全員その引き取りを拒否した。
 そして長嶋さんは会社にキャリーケースを持っていき、「これきみの彼女にあげなよ」と、部下に渡した。その「彼女」がわたしである。へんなの、と当時のわたしは言った。もらっておけばいいのに。
 浮気相手には浮気相手のプライドがあるんだろう、と彼は言った。きみにはわかるまいよ。何がどうなっても浮気相手をつとめるタイプではない。
 そんなことはない、とわたしはこたえた。この国を軍事政権が牛耳り、男たちは戦場に追いやられ、女たちは国内産業と人口の維持のため奴隷のように働き産まされる時代が来たとしよう、そしたらわたしは国内でぶいぶい言わせてる将校の愛人になる。なにしろ魅力的な愛人だから、社交の場にも連れていかれるわけよ。そうしたらわたしは同じような女たちと愛人ネットワークを形成して機密情報を盗み出し、国際情勢を研究し、やがて民主化革命を起こす。
 彼はげらげら笑って、救国の英雄じゃん、と言った。そんなだったら愛人をやるね、とわたしはこたえた。かっこいいじゃん。
 そんなわけでわたしのキャリーケースの名は「長嶋さん、あるいは救国の英雄」になった。
 昔の話である。

 ゲートに着く。名前を呼ばれる。再度の事情説明があり、待っていろと言われる。待つ。チケットが再発行される。このたびはシートの番号がついている。
 わたしは少しだけがっかりする。経由地でしかないつもりだった、たくさんの小説に出てくる大きな都市に置き去りにされる夢を、後ろ手でそっと捨てる。