傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

2010-01-01から1年間の記事一覧

おしらせ

このブログのiPhoneアプリができました。以下、一部十月二十六日のお知らせエントリと重複しますが、概要をご紹介します。 本日Appleに申請され、問題がなければ来月上旬にリリースされます。価格は百十五円を予定しています。アプリ開発は@kattaxさん(ブロ…

私たちが犬だったころ

一年しかもたなかったと彼は言った。人間扱いされなかったんだよね、だから。それって具体的にどういうこと、と私は訊く。殴る蹴るだよと彼はこたえた。大人になってあんなに殴られると思わなかった。私は反射的に声を荒げた。なにそれ、どうして黙って殴ら…

監獄の夜

バスルームが廃墟っぽいです。彼女はまっすぐに私を見て言う。たしかにバスタオルホルダが壊れたままだし、ペーパーホルダも片側が割れているし、罅の入った排水口のふたも交換していない。 ごめんね、なんだか、面倒で、ふだん誰も出入りしないから取り繕う…

猫とコーヒーと人工的な嗜好

今年も乗り切りましたねと私は言った。おかげさまでと彼はこたえた。私たちはコーヒーカップを軽くかかげて乾杯に代えた。 彼の職場では毎年社員旅行が催される。彼は他人と同じ部屋で眠ることができない。公衆浴場もひどく苦手だ。けれど休むわけにはいかな…

読モとボーナスとまともな人間関係

読モ、と彼は言う。電話を通した声がくぐもっている。毒蜘蛛、と私は訊く。わざとだ。なに言ってんだモデルだよ雑誌の、プロじゃないしろうとの、と彼は言う。私は仕込んだ冗談が不発だったことにひそかに落ちこむ。それじゃあ美人だね、すらっとした。 美人…

王侯貴族のチケット

ちかごろはどう、と彼は訊いた。総じて敗北している、と私はこたえる。ラブ的な意味で、と彼は念を押す。ラブ的な意味で、と私はうなずく。僕も敗北続きだねと彼は言う。私たちは同じ会社に勤めていて、ときおり食事をともにする。 私たちはお互いの様子を眺…

焚きつけの取り扱い

ふだんは会議室に使っているという広い部屋に、ケータリングの食べものと軽いアルコールの匂いが満ちていた。戦前の建物を造り替えたのだそうで、床は焦げ茶に変色した木材だった。それは大量の靴の通った様子を残していた。視界の端に同じ会社の後輩の姿が…

野良犬たち

ほんとうに申し訳ありませんでしたと彼は言い、深々と頭を下げた。私と同僚は仕事上のトラブルについて話すために元請けの会社を訪問していた。私たちはいろいろな感情を抑圧して事を納めたところだった。原因は先方にあったものの、相手が率直に謝るとは思…

とっとーの時間

扉のひらく音がした。集中していなかった証拠だ。完全に没入しているとき、その音は聞こえない。いきなり家族が視界に入ってくる。こんな夜中には、妻はまず来ない。来るのは彼に似て宵っ張りな娘だけだ。 とっとー、とっとーと彼女は言い、椅子によじのぼる…

一、連れて帰る  二、せせら笑う

三年くらい集まってないよねえ。私が訊くと彼は、誰かの結婚式に便乗するチャンスがなかったんだよ、と言った。私たちは大学のときの講座が同じで、二十代まではおおよそ二年に一度の割合で顔を合わせる機会があった。 機会があった、というのは私のように受…

腐敗のための待機

いい人いないのと訊くと、彼女はそれまでとは異なる複雑な笑いかたをした。私たちは学生時代によく遊んでいた四人組で、久しぶりに集まってささやかな旅行に出ていた。 ホテルの部屋をふたつ取り、夜はその片方に集まった。ひとりが眠いと言って自分の部屋に…

おしらせ

もうすぐこのブログのiPhoneアプリが公開されます。 アプリ開発は@kataxさん、グラフィックや組版などデザインは@t_ayayayaさんの手になります。 twitterでアプリに収録する記事はなにがいいか伺って、それをもとに五十編を選びました。 収録分は修正し、一…

雨ともだちと私

雨すごいですね。いま会社なんですけど、窓の外が世界の終わりみたいですてきです。 メールを書いて送信してしばらく手を動かしていると返信があった。僕もまだ会社です。まったくゴージャスな夜。もうちょっと保ってくれるといいんですが。 その後、雨はし…

私の愛する単純作業

外は強い雨だった。コンビニに行くとずぶぬれになっちゃうから買い置きのカップ麺で済ませるよ、と私は言った。私も抽斗にカロリーメイト入ってるんでだいじょうぶです、と彼女は言った。彼がとても悲しそうな顔になったので私は彼に余っていたカップ麺をあ…

身体を取りもどす手順

手放した扉が閉じる音がして、彼女はそれにもたれかかった。頭がしびれるような停止の感覚があり、背中が扉を擦って滑り落ちる感触があった。触覚は一秒の何分の一かごとに遠ざかり、彼女はおなじみの感覚、世界から柔らかく厚い皮膜で隔てられているような…

人生が訪れる日

彼女は生まれてから今までずっと住んでいる家と、そこから徒歩十分のところにあるペットショップを往復して暮らしている。ペットショップは彼女の両親が所有する建物の一階に入っている。住宅街にある小さい店だ。 小さいから犬や猫やハムスターのほかに少し…

眠りを分けあう

後輩が珍しく有休休暇を使ったので、何かあったのと訊いた。従姉が虫垂炎で入院して助けに行きました、と彼女は言う。仲が良い従姉なんだねえと私は言う。彼女は少し考えて、ふだんは連絡しないんだけど何かあると頼られます、私も頼ります、一年半ベッドを…

ごはんつぶ離別

いいねえ、なんかこう、立派っぽい理由があって別れててさあ。彼女がそう言うので私は驚いた。語っていた友だちもびっくりして、ひとつも立派じゃないよと言った。 いや立派だね、私が同棲三ヶ月で別れたときに比べたらはるかに立派だねと彼女は言う。立派じ…

おしらせ

①twitterはじめました 読んだ本などについてつぶやいています。https://twitter.com/kasa_sora②メールアドレス変えました twitterの登録作業をしていたら、このブログの問い合わせ先に使っていたアドレス(kasako.kasako@gmail.com)が既に使われているとい…

私を非難しないで

うん別れた、たぶん。彼女はそう言い、たぶん、と私は訊きかえす。彼女はうなずく。私は考えながら質問する。 私のささやかな経験によれば、別れっていうのはそういう曖昧なものではなくって、いわゆる別れ話をして荷物をまとめて、持っていたら合い鍵を置い…

着道楽とリョウシンノカシャク

いい靴ですね先輩はいつも、と彼女は言う。靴係数は少し高いねと私はこたえる。彼女は鼻歌まじりにインスタントの味噌汁をかきまわし(相対性理論の『Loveずっきゅん』)、小さいスプーンをぺろりとなめてからその場で洗った。この後輩は食器を使い終えてす…

憎しみ鏡

私は彼を見る。ふつうの男の人、と思う。こぎれいで気が利くけれど、強烈な引力みたいなものはない。世の中にはびっくりするくらい頭が切れる人もいるし、からだつきや所作に色香のある人もいる。輝くように華やかな容姿の人や、仏像のモデルにしたいような…

プラスティックフィルムの仮面と散らかった目鼻

こんな美人が職場にいたら大変でしょうと、隣のテーブルの知らない男が言った。下卑た声だった。私たちはどちらからともなく黙ってそれぞれの手元のグラスを引き寄せた。その中身だけがこの世で唯一の自分たちの味方であるかのように。 うまくあしらう女の声…

彼女の砂漠の女

彼女はこの十年で二度職場を変えた。二つ目の職場にいたときの彼女は、継続的に摩耗していた。首筋から背中にかけて、骨でしかないはずの場所から常にかすかな痒みが滲んでいた。 私の骨髄が劣化している、と彼女は思った。骨の中身が腐った水になってそこか…

不幸への欲望と作り話という装置

昇格おめでとうと言うと彼女はうつむき、ばれてたんだとつぶやいた。わりとわかりやすいと思うよと私は言った。いいことだけ反対のこと書いてるでしょう、ずっと。 私はここ一年ほど彼女のブログを読んでいた。リアルな友人としてSNSでつながり、そのプロフ…

町のはずれの森の中の深い洞窟

彼おとうさんとうまくいっていないんですって、と彼女は言った。また、と私は訊いた。また、と彼女はこたえた。あなたってそういう人とばかり縁があるみたい、と言うと、彼女は少し思案し、上下左右に順繰りに視線を送って、それから言う。 おかあさんとうま…

釘のない生活

そういえば私もワタナベ以来恋愛に縁がないね。彼女はそう言い、私はとりあえず荷物を網棚に収め、それから訊いた。ちょっと、ワタナベさんの後につきあってたタシロさんと、あとほら、ヨシくんの立場はどうなる。 うん、その二人もちゃんと彼氏だったよ、で…

依存のデザイン

やっぱりあれですか、腕にシールみたいなの貼るんですか。私がそう訊くと彼はなぜだか少し得意そうな面もちで、そりゃあちょっと古いですよと言った。今はシールやガムでちょっとずつニコチンを摂取しつつ減らすんじゃなくって、いわゆる禁断症状、離脱症状…

瓶詰めにできないシステム

コンサート、よかったら一緒に予約しておくよ、と彼女が言うので、ありがたくお願いした。彼女は自分と夫と私、それにもう一人の友だちのチケットを押さえた。 終演後の会場から駅に向かって歩きながら、私は彼女にこっそり訊いてみる。ねえ、どうして私とか…

くらげカーテン

僕と彼女は週末になると一緒に夕食をとり、彼女は僕の部屋に泊まる。僕と彼女は翌日、にぎやかな街に出る。僕は彼女を駅まで送り、笑顔で別れる。それがしばらく続く。 彼はそう話し、歌みたいだねと私は言った。彼が首をかしげるので、あー、きみとずっと眠…