傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

2014-01-01から1年間の記事一覧

模造された恋

こいつ俺のこと好きだな。そう思っている男はどうしてこんなに苛立たしいのだろう。彼女はそのように思う。にっこりと笑う。男は彼女のその笑顔の二割引きの笑顔を寄越す。優越感。好かれているということがどうしてそんなにも彼らを得意にさせるのか彼女に…

第二こじま荘のこと

第二こじま荘は駅と駅のあいだにあって、どちらから行っても十分ちょっとかかった。平屋と二階建てばかりの下町の路地のどん詰まりにあって、横が駐車場だったから、第二こじま荘の二階はやけに日当たりが良くって、ベランダのない鉄枠の窓が光っていた。 第…

それぞれの呪文

建物の入り口に鍵をさす。エレベータを待つ。鍵は手に持ったままだ。金属がざわざわと皮膚を粟だたせるように思われる。タイツの生地がその下の皮膚に無数の非常に小さい傷をつけているように思われる。からだじゅうの皮膚に細かい細かい凹凸がつきついに人…

家族たちのためのうつくしい休日

職場の忘年会でたまたま隣に座った男が言う。お正月は帰省するんでしょ、どこでしたっけ。ほんとうは不愉快な質問だけれども、もう慣れているから表情どころか内面もほとんど動かない。東京ですと彼女はこたえる。別の誰かが言う。じゃあすぐ帰れるじゃない…

自意識補填ビジネスと私

延々とブログなんか書いていると、年に一回くらいの頻度で「この媒体に載せてやるから金を出せ」という趣旨のアプローチがある。投稿者の原稿を掲載する雑誌だとか、そういうのだ。そのたびに私はなんだか、うっすらと、しかし特有の、不快感を覚える。私は…

私たちのまぼろしの正しさ

私は目の前の友だちを見る。彼女が疲れていることを私は知っている。無料で文字や音声のやりとりができる世界にあって相変わらず対面で人と会うのは、その身体の状態をわかちあうことができるからだ。目で見えるものにかぎっても大量のチャンネルがある。表…

サイレント・モンスター

まとわりついて話しかけた。立ちはだかって行く手をふさいだ。かっとなって怒鳴りつけた。泣きわめいた。腕をつかんで揺さぶった。相手の顔がすこしゆがんだ。アテンション、と彼女は思った。いまこの人は、私を見た。私に注意を向けた。それをひどく嬉しく…

薄暗い偶像

なんとなく会いたくなくって、それらしい人物がいないと少しほっとした。そのくせ今から来やしないかと淡く期待した。何年かに一度その会合に参加するたび、彼女は同じ心持ちになった。反芻、と思った。その人はいつも、いなかった。その人の今の顔だって知…

烙印の取り扱い

出産した友だちと半年ぶりに会うことが決まる。難産だったと聞いていて、けれどももうすっかり元気だと本人からのメッセージのには書かれている。だいじょうぶかなと私は思い、それから、本人に任せようと思う。彼女に家にいてもらって私がそこを訪れてお粥…

いくつかの種類の下劣な要求

同業の会社がいくつか参加しているパーティに出る。酔っぱらいに絡まれたので適当に笑顔で交わしてその場を去る。彼女はそういう人間に慣れているけれど、愉快ではない。しばらく社交を遂行していると、また同じ人物につかまる。少し離れたところにいる仲の…

欲望が見えない

テラスで待っていると待ち人が目の前を過ぎてどきりとする。斜め前を行く女性の肩に手をかけて歩いていた。軽くてのひらを置いて、ゆっくりと進む。凝視しても気づかない。店の前で彼はその肩からごく慎重に五本の指を離す。彼だけが店に入ってくる。視線が…

おまえはきっと帰らない

四捨五入して四十ともなると親の介護が話題にのぼる。女ばかりでかこんだテーブルの、見慣れた顔のひとつが言う。みんな、まだまだ先だって思ってるでしょう、うちの親はまだ若いから、元気だからって。むしろ子育ての戦力に数えてたりしてね。親もその気で…

卑しさを弁別する

久しぶりに連絡があったので彼女の好きなビストロを予約しようとしたらそれはいいと言う。どうしてと訊くと節約したいというのでうちに来てもらった。身なりはあいかわらず華やかだ。手土産持ってきたら節約にならないからねと言ったのに、有名な果物屋のお…

とくに理由もなくふといやになって連絡もなしに消えていく権利をあなたに付与しよう

彼は言う。彼女はなんとなし天井を見る。古い古い天井扇が回転している。あんなにゆっくりで空気の循環に寄与しているのかしらと見るたびに思う。日本ではあまり見ない。ことにこんなに古くてそのうち落ちてきそうなものは。彼女は彼を見る。彼はコーヒーを…

だめになった女の子

実名で登録するSNSは登録したきりでほとんど使っていなかった。けれども最近、年賀状を出しているかと尋ねられ、いいえと答えたらせめて実名SNSをやれと言われた。あれは年賀状である、と。なるほどと思った。省力化され年に何度出してもよく出さなくてもよ…

ありがとうの魔法

息を吸う。いつのころからか彼女の肺は適切な呼吸の量がわからない。短く不規則な呼吸をふたつみっつする。顔をあげる。ありがとうと言う。夫はほほえむ。多大な労力をかけてベッドから引きずりだした身体をどうにか椅子の上に据え置く。嵩張るばかりで価値…

あなたに合わせた壊れかた

友人とその夫が改札前に立つ私を見つける。私は友人を見る。息をのむ。もともと小さく華奢で、けれどもこんな、頬骨が透けてみえる人ではなかった。ぼんやりしてほほえんで青白くって幽霊みたいだった。私は少しかがんで彼女と目をあわせ、久しぶり、と言っ…

友だちにならずに

誰かが怒鳴る。誰かが罵る。テンプレートがあってみんながそれにしたがっているみたいな、画一的な言葉遣いだった。シネ。カエレ。シネ。カエレ。シネ。シネ。シネ。シネ。私は罵倒の対象になっている友だちを見る。友人は眉を上げ、おそらく私のためにきび…

他人の偽善の遇しかた

私はちいさく手を振る。彼女はタブレットに目を落としてほほえんでいる。私に気づかない。私はそっと彼女の横にまわる。突然目の前に顔を出して驚かせようとすると彼女は片眉を上げて私を見、子どもか、と冷たく言う。それからにっこりと笑う。くっきりと刻…

友だちの焼豚の話

私たちは焼豚の披露宴のはじまりを待っていた。焼豚はやきぶたともチャーシューとも読む。中学校時代の友人のあだ名で、小学生の時分からついていたという。色彩と形状で呼び名が決まるのがいかにも子どもらしく、けれども大人になっても彼は豚と呼ばれてい…

居残りのゆくえ

うんと年下の友人と会う約束をしていたら、かれし連れていきます、とメッセージが入った。かれしは劣化していますのでよろしく。劣化、と私は内心で繰りかえした。いやな言い回しだと思った。人間はしばしば疲弊し、かならず老化し、ときに頽落する。それを…

分母を大きくする

すこし足を伸ばして深夜営業のスーパーマーケットに寄るのが面倒だった。頭のなかにアスパラガスとトマトとバターと白身魚の姿がよぎる。面倒だったから無視して買い置きのレトルトカレーで済ませる。シャワーを浴びていてシャンプーとコンディショナー、石…

メサイアの引退

ちかごろはかわいそうな女の子の話はないの。尋ねると彼は視線を少し天井に向け、それを皿の上に落とし、軽く揚げた岩牡蠣を切断しながらこたえる。ないねえ。珍しいと私はつぶやく。この人はまだ半ば少年であるような年齢のころから断続的にそのような相手…

箸三膳分の愛

夜中まで作業が続きそうなのでオフィスグリコにコインを落としてカップ麺を手に入れる。その場でばりばりパッケージを破いて、据え置きのポットからお湯を注ぐ。ジャンクフードのにおいをくんくんとかぐ。にんまりと笑う。それから気づく。割り箸がない。コ…

あなたの百の繰りかえし

マキノって電話かけるとだいたい出るよね、暇なの。うん暇なの、それで本日はどのような話題で私の暇をつぶしてくださるのかしら。待て、その言かただと気の毒な暇人のマキノが王さまで俺がお抱えピエロみたいな感じするからやめろ。 新しい彼女の話かな。そ…

オツベルを捨てる

私はみんなを見渡す。みんなこぎれいな格好をして適度に酔ってほぐれ適切な範囲で高揚した声をあげている。適応、と私は思う。私たちはバランスのとれた大人でどこも破綻していない。同じように集まって楽しんでいても学生時代ならそれぞれのほころびがちら…

かぐや姫は帰らない

それでどうするのと、結果をほとんどわかっていながら訊く。彼女はあははと笑う。少しも悩んでなんかいなくて、どちらかというとちょっと苛ついている、そういう気配のはりついた、笑い。私はそのこだまとしてあんまり意味のない笑いを笑い、その残響が消え…

デイジー、デイジー

目をあけてああ来たなと彼女は思う。そろそろ来そうな気配はあった。ベッドに投げだした手足が遠くにあるような気がする。そこにあるべき筋繊維は半分くらいどこかにいってしまったみたいに感じられる。若かったころ、それはもっと頻繁に来ていた。そうでな…

彼らは値札を殺す

あの子みたいな、なんていうか作ってるの、俺、ダメだな。近くの席から男の声が聞こえた。だいぶ大きい声で、そうでなければ言葉遣いの端々まで聞き取ることはできない程度の距離が空いていた。声は断続的に高まりながらしばらく続いた。可愛らしさを取り繕…

おしらせ 雑誌「GINZA」に短い文章が載っています

雑誌「GINZA」2014年7月号(http://goo.gl/LZnkkP)に短い文章をふたつ書きました。「香りと女の物語」のなかに掲載されています。