傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

そういう係

 今年は給料を上げることができたのでちょっと安心している。
 わたしは勤め人だが、「給料が上がった」とは言わない。報酬は職位や役職を得ることによって、あるいは労働組合を経由しての交渉によって「上げる」ものである(わたしの職場には労組があり、わたしは労組委員である)。
 給与は実績を作れば順調に上がっていくものではない。同じ職場にあって、何も言わなくても「上がる」あるいは「上げてもらえる」人もいれば、肩書きだけついて待遇を据え置かれている人もいる。
 給与だけではない。この数年で職場の慣例をいくつか変えた。仕事をしているとさまざまな雑務が発生するが、調べてみるとどういうわけか女性と一部の若手が「慣例として」それを引き受けているのである。そして彼女たちは「大変そうだから」小規模で評価につながりにくい仕事に配置されやすく、その結果「正当に」賃金が上がらない。
 わたしはちまちまと雑務をリストアップし、あれやこれや根回しして、会議で明文化し、担当案を出し、そうしてだいぶ、平準化したように思う。まだまだたくさん気づいていないこともあるだろうけれど。

 でもその作業のぶんの報酬は出ませんよね。
 後輩が言う。もちろん出ない。それどころか煙たがられ、評価を下げられる可能性もある。あれやこれやと手を回したり記録を取ったり権力のある人と仲良くしたり立場や考え方が違う人の便宜もはかったりしているのだけれど、そしてそういう小ずるい立ち回りはわりと得意なのだけれど、それでもまあ、得はしちゃいない。ハラスメント対策の役職も兼務していて、こちらにはわずかな手当がつくのだが、雑用の明文化と振り分けは完璧な無給で、わたしの「わがまま」である。
 そして嫌われるという大損。
 後輩はそのように言う。そうさねえとわたしは言う。雑用をやらずに済んでいたほうの社員からは嫌われている自信がある。だって仕事増やしたもん。しかもつまんねー仕事を。雑用をやらずに済むようになったほうの社員からも別に好かれはしない。余計なことを、くらいに思っている人だってもちろんいるでしょうよ。だって変化はすべてストレスだからね。外圧もないのに何かを変えるなんて悪いことだと思っている人はたくさんいるよ。そういう人にとってわたしはほんとうに気持ち悪い人間だと思うよ。

 じゃあなんでやるんすか。
 後輩はそのように尋ねる。わたしはこたえる。あのねえ、わたしは、たぶん傾いた天秤の、下がっているほうをつつく係なんだよ。

 わたしのフェアネスへの欲望は職場でだけ発揮されるのではない。結婚のオファーがあれば条件を詰めて契約書を作り(こんな変な女がゴリゴリに詰めてくる条件をのんでまで結婚したいという男がいるのはたいへんな驚きだった。楽しく恋愛だけしてるほうがぜったい得だと思うんだけど)、国会で受け入れがたい法案が通過しそうになればデモに参加し、手取りの2%を寄附に回している。
 わたしが寄附をするのは善良だからではない。この世に割を食っている人がいっぱいいることがどうしても不快だから、自分の不快感をわずかなりとも減らすためにやるのである。この世の不公平のあれこれが、生理的にイヤでしょうがないのだ。
 こういう人間になった要因にはもちろん心あたりがある。あるが、わたしと同じくらい不公平な環境で育って割を食ってきた人が長じて皆わたしのようになるわけではない。反対に長いものに巻かれる戦略を採用する人だってたくさんいる。割を食ってきたからこそ、これ以上損をしたくない、そのために、たとえば従順さや「可愛げ」を駆使して、割を食わされる中ではいくらか得をする側に回る、そういう戦略だ。それはそれで理屈に合っていると思う。皆が個人としての幸福を最大化すればいいので、長いものに巻かれたい人はばんばん巻かれたらよろしい。わたしはそうしてもぜんぜん幸福じゃないことがわかりきっているから、やらない。
 そんな人間であるのは善良だからとも高潔だからでもない。わたしはただ自分の不快感がもっとも少ないように動いているだけなのだ。虫とかと同じである。蛍光灯に向かっていくタイプの虫。

 それで「係」ですか。
 後輩が言う。わたしはうなずく。たまたまそういう係だったんだと思う。生物多様性っていうか、いろんな個体が発生するようにできてるんだと思う、そんでわたしはたまたまこういう個体で、あちこちでやいやい言って嫌われる係をやっている。