傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ヒマだから死について考える

 年に二回、わたしがいる意味がほぼない会議に出る。わたしには何の役割もなく、しかし一応は出るのである。直属の上司と一緒に出るのだが、上司にだって発言の機会はほぼない。別の人たちが準備してきた書面を読み上げ、皆で承認する。しかし実際には先に各自が別の会議で承認しており、その内容に変更はないのである。
 どの会社にもこういう会議ってあるんだろうなと思う。万が一何らかの変更があって、それを公式に止める機会がないと大変だから、わたしくらいの職位の人間までまとめて呼ばれるのだろう。
 でもたぶんそんなことは起きない。起きたら対処するが、その準備として必要なのは片耳と脳の片隅のみである。ヒマだ。また長いんだこの会議。そして手元にあるもは資料を表示するための会議専用のタブレットのみ。付属の資料を読み込もうとすると、議題が終わるたびに議事次第に切り替えられ、担当者の読み上げのあいだ、対象となる資料以外は表示することができない。
 ちなみに議題にはしばしば「別紙参照」が含まれる。参照させてほしい、別紙を。なんなら「資料なし」とだけ書いた紙(?)が表示される。文字が少なすぎる。四文字。四文字で何をしろというのか。わたしは文字列さえあればだいたい退屈しないので、時間に応じた文字数の文書さえあれば退屈な会議もウェルカムなのだが、それがもらえない。

 そうなるとまずは今夜または明日ないし明後日の晩ごはんについて考える。それが終わると今月の休日の予定について考える。それが終わるといま現在検討している買い物について考える(今回は自宅作業用のデスク。リモートワーク導入からずっとほしかった)。
 でもそんな考えごとはだいたい通勤路を歩いているときにやっているので、一瞬で終わってしまう。
 さて、とわたしは思う。会議、まだあと一時間はあるな。死について考えるか。

 わたしがそのように話すと、同僚はやや驚き、カジュアル、と言った。死について考えるのってそんなにお手軽な暇つぶしなの?
 子どものころはお手軽じゃなかった、とわたしは言う。とても怖いのに、死ぬということに否応なしに引きつけられて、すごく切実な動機でやっていた。でも四十何年生きたらねえ、もう怖かあないよ。生きてりゃ死について考えるからね、死についての想念は飼い慣らした野生動物みたいなもんよ。けだものだから油断はしていないけど、長年一緒に暮らしてて、もう家族みたいなもんよ。
 それならあなたは死ぬまで退屈しないね。文字通り死ぬまで。
 そう言われて、そうかも、とわたしは言う。頭の中ですることがゼロになることはない。少なくとも死については考えるから。もっとも、歩いているときや泳いでいるとき、寝る前なんかには、もっと現実的なことや、逆にもっとファンタジックなことや、あるいは抽象的なことが浮かんできて、それについてぼんやり考えている。死について考えるのは、身体が拘束されているときが多い気がする。
 そっかあ。
 同僚は言う。この同僚は「ふだんものを考えていない」のだそうだ。いくらなんでもそんなことはないと思うのだが、本人の認識としてはそうなのだ。「一人で内省する能力がない」と言っていた。ではいつものを考えているのかといえば、人としゃべっているときと、考える材料が目の前に資料としてあってアウトプットもできるとき、たとえば読書をしていてメモするものが傍らにあるとき、などだそうである。
 見ないとわかんない、と言う。迷子の子どもの顔して言う。なんもわかんなくなる。
 しかも読書はとくに好きでもなく、会話のほうがずっと好きなのだが、そんなに友だちがいないから、しょうことなしに本を読んでいるのだという。
 でも結局、読んだ本についても話したくなっちゃう。一冊読んだらもうだめ。話さないとそれ以上わかんなくなる。家族だって話し相手になるから作ったんだ。
 同僚はそのように言う。
 一人でいると頭の中がぐにゃーってなって、うわーってなって、ダメになる。その状態を「さみしい」って呼んでる。昼は仲良くしてくれる同僚をつかまえて仕事の話をして、夜は家族に仕事以外の話をして、休日は友だちに話をして、そうじゃないと身が持たない。
 いいね、あなたは、ひとりでも、ものを考えられて。ひとりで内省する力があって。今日の会議みたいな場でも、平気だし。

 世の中にはいろんな人がいるものだなあとわたしは思う。この同僚は、わたしなどから見たら、社交的で読書家で、友だちも多そうで、ご機嫌な人なのに。

特別でない人の選ばれかた

 先だって中古のマンションを購入した。紹介者は飼い犬である。

 わたしの犬は四歳の柴犬で、和犬のわりにお調子者の社交家である。朝によく行く公園と夜によく行く別の公園に、それぞれ顔見知りの犬たちがいる。子犬のころはとっくみあって遊んだものだが、もう大人の犬なので、たがいをふんふん嗅ぎあって、あとはせいぜい追いかけっこをするくらいである。社交の目的の半分以上はよその犬の飼い主さんたちだ。でれでれと甘え、おやつをもらって嬉しそうにしている。
 そのような場で、人間同士は名も知らない。なかには代々このあたりに住んでいてたがいの本名を知っている人たちもいるが、わたしもわたしのパートナーも新住民である。
 ただし、犬たちについてはよく知っている。名前はもとより、年齢、性格、アレルギーの有無などの体質、誰に散歩させてもらっているか、家ではどんな振る舞いをしているのか、おおむね知っている。わたしはとにかく犬が好きなので、すべての犬に好かれたく、すべての犬に全力で媚びを売る。それで犬についての情報は自然と頭に入るのである。人間については「その飼い主」というだけなので名前も知らない。
 そんなのはわたしだけではない。多くの犬オーナーにとって、人間はおまけである。それが証拠に互いの名を知らずにいるのがスタンダードである。犬の名前に「ママ」とか「パパ」とかつけて呼ぶ。誰も犬など産んでいないし養子にもしていないのだから、とても奇妙な風習なのだが、なにしろ便利なので、わたしも使用している。

 マンションを売ってくれたのは「まりもママ」とその家族である。まりもちゃんはトイプードル、八歳、毛色はアプリコット、得意な芸はハイタッチ、人懐こくて犬相手にはやや慎重派。
 南向きの部屋が空いたのよう。そこを売ってもらうことにしたんだあ。だから今の部屋を売るんだけどねえ、先にリフォームしないとねえ。好き勝手やっちゃったからねえ。
 ある朝、まりもママがわたしの犬を相手に、そのように語っていた。わたしとパートナーは賃貸住まいで、かねてからもっと広い部屋に越したかったのだが、ペット可の賃貸の少なさと東京の家賃高騰で「もう買っちまうか」と決めたところだった。
 わたしはまりもママを振り返り、言った。でも、お高いんでしょう?

 結果としては、わたしたちの予算よりややお高かったのだが、相場よりぐっと安くしてもらったので買えた。わたしたちは自分たちの好みで内装工事をしたかったので、売るためのリフォームの費用が浮いたようなのだった。
 不動産屋の担当者は「もっと高く売れるのに」とぶつぶつ言い、「でもまあ決まった相手に売りたいというのはね、まあ、たまにある話なんですわ」とつぶやいた。

 わたしやわたしのパートナーはとくにすぐれた人間ではない。収入にも資産にも性格にも能力にも特筆すべきところのない、統計を取ったらだいたいの要素が95%区間に入るような、そこいらに転がっている石ころのような人間である。まりも家と親しいわけでもない。それどころかまりも家の人々はわたしたちのことなどろくに知らなかった。不動産売買契約の書面で名前やら年齢やら勤務先やらを知って「へえー」と言っていた。
 彼らは同じマンションの南向きの部屋に引っ越すので、同じマンションの新住民が問題を起こさないとよい、という気持ちはあっただろう。問題を起こさず居住できる人間(と犬)はいくらでもいる。いるが、そのような人間を選ぶのも面倒だったのではないか。問題がなければそれでいいので、「共働きで、困ったところのない犬を飼っている」という程度の情報しか持たない顔見知りに、安くしてでも売ってくれたのだろう。お金のことは金融機関が審査するから、売る側は気にしなくて良いのだし。

 でも世の中だいたいそんなもんかもね。
 住宅ローンの書類をぱらぱらやりながら、家族が言う。
 特別にすぐれた人間じゃなきゃダメだなんてこと、あんまりないよな。会社で「世界中でもっとも優秀な人材を探して採用しよう」なんて思わないし、結婚相手をオーディションで選ぶのはリアリティショーの中だけの話だし。だいたいは「たまたま目の前にあらわれてくれて、なんかこう、いいと思った」で決まっちゃうんだよな。少なくともおれはそう。たまたま会えたらもうそれでじゅうぶん貴重だと思う。
 そうさねえ、とわたしは言う。オーディションしたらもっといい男がいますよって言われても、わたしも、やだな。「いちばんいいものがほしい」と思って生き物を選んだことないよ。

プリキュア・メカニカルハートのこと

 夏の休暇は旅行するの。あらいいわね。いつ戻るの。そしたら一日二日ヒマな日があるでしょう。帰っていらっしゃい。
 母が珍しく強くわたしの帰省を要求した。その意図するところは明らかで、わたしが延々と物置がわりに使っている昔の子ども部屋を片づけろ、との命である。
 いくらなんでもそろそろ部屋を空にしなさいと言われ続けてはや数年。わたしは重い腰を上げ、故郷と言うほどには離れていない生家に向かった。ちょうどいいといえばちょうどいい。わたしたちのプリキュアを発掘してこよう。

 先日、従姉が入院した。たいした病気ではないそうなのだが、生まれて初めての手術を控えていたからか、それとも年を重ねたからか、ちょっとばかり弱気になっていて、見舞いに行くと昔話をたくさんした。あのときは楽しかったね、と何度も言った。
 あのときとは、従姉の母親、わたしの伯母の通夜の日のことである。

 そのとき従姉は大学生で、いかにも気丈に来客に対応していた。伯父はその横で幽霊のように頭を下げていた。
 伯母とわたしの母は十ばかり年が離れていて、従姉はわたしより十五歳年上だった。わたしの母は翌日の葬儀までをサポートすべく、わたしとともに伯母の家に宿泊する予定だった。
 わたしは母の指示で従姉の部屋に入った。母が外からドアを閉じたのに、さわさわと大人たちの気配が伝わって、なんだか落ち着かなかった。
 やがて従姉がやってきて、わたしの名を呼んで少し笑った。あとから母に聞いたところによると、「妻をなくした夫から母をなくした娘の父親に復帰した」伯父が、遅ればせながら娘を気遣って指示したものらしかった。わたしはまだ六歳だったから、誰かの目が必要だった。
 従姉は喪服のまま壁に背をあずけるようにぺたりと座り、何か他愛のないことを話した。内容は覚えていない。伯母の話や葬儀の話はしなかったように思う。
 そしてわたしたちは「自分たちがプリキュアになるなら」という想定で大学ノートに落書きをはじめた。従姉は工学部だったからか、理系のプリキュアがいいと言うのだった。コンピュータとか、機械とか、そういうの。
 わたしは小さな頭をひねり、初代と同じ二人組のプリキュアを作ることにした(わたしはその少しあとの世代だが、最初が二人組だったことは知っていた)。
 わたしはロボットアニメも観ていたから、自分が発明したロボットと一緒に戦うことにした。そのロボットには心がある。とてもやさしい、でも強いロボットで、わたしと通じ合っているのだ。すると従姉は大きなコンピュータの前に座るツインテールの女の子の後ろ姿をさらさらと描いて、わたしはこれ、と言うのだった。プログラミングの天才で、ロボットを強くかしこくするの。
 わたしはプログラミングというのがなんだか知らなかったが、しかつめらしくうなずいた。大人のお姉さんのような気持ちでいた。
 わたしたちはおしゃべりしながらたくさん絵を描いた。敵は強いロボットを作って人々に悪さをする。ロボットたちは作られたときには心があるのに、敵はその心を悪い魔法で引き抜いて悪事の道具にしてしまう。許せない。わたしにはロボットの心のありかを感じ取る特別な力があるから、敵から奪われた心を取り戻してロボットに返してあげることができる。ロボットは作られたとたんに心をとられていて、赤ちゃんみたいなものだから、従姉がすばやくキーボードをたたいてロボットの心にいろいろのことを教え、強くかしこくする。悪いことをした記憶がよみがえったロボットが罪悪感で自暴自棄になる回もある。
 わたしたちはたくさん絵を描き、わたしの話す内容を従姉が絵の余白に書き加えて、いいね、いいねと盛り上がった。わたしが「メカハート」というタイトルを提案すると、従姉は「メカニカルハート」がいいんじゃないかと言った。そのほうがかっこいいからそうしようとわたしはこたえた。フリルのついたスカート、ひゃくまんばりきのロボット、いちおくえんのスーパーコンピュータ、たくさんのリボン。

 従姉はたぶんあの夜、子どもになる必要があったのだと思う。大学生なんてまだ半分子どもである。ましてとても仲の良かった母親をなくしてすぐだ。三十だろうが四十だろうが子どもに戻っていいくらいの状況だ。
 従姉はあの日の翌日の葬儀で立てなくなるほど泣いたのだという。先日見舞いにいってはじめて聞いた。わたしはそのことを少しも覚えていなかった。わたしはただ楽しかったことだけを覚えていた。
 これがわたしたちのプリキュアの話である。

伯父の役割

 僕の生家では、盆正月に親戚の集まりがある。僕はそのどちらかには行くことにしている。東京に出て三十年、いくつかの試行を経てできた習慣である。行きたくて行くのではない。後ろめたいから行くのである。

 両親は僕を適切に養育したと思う。弟とも悪くない仲だと思う。親戚の人々も(少なくとも露骨に加害的なふるまいをしないという意味において)、良い人たちだと思う。そして、それらとは関係なく、僕は他人といるのが好きではない。
 僕の言う「他人」は僕以外のすべての人間をさす。
 会議室の隣の椅子に人が座っている状態がわずかに苦痛である。電車に乗らずに済むことを優先して住居を決めている。個室に単独でいる状態がもっとも息がしやすい。
 十年単位で馴れた相手であれば、さらにそれが頻繁でないならば、半日程度一緒にいることに支障はない。両親や弟、亡くなった祖父母、それから少数の友人たちがこのカテゴリに入る。それ以外の人間との同席は数時間が限度である。限度を超えたって死にやしないだろうが、事前にさまざまの努力をして避けたいたぐいの苦痛ではある。
 僕はそのような気質であって、どうやら修正がきかない。修正する気もない。修正しなくていいことを優先して人生を構築した。
 しかし僕は年に一度、親戚の集まりに顔を出す。ひとえに、後ろめたさのためである。

 僕だって自分がよくいる普通のちゃんとした人間だと思っているのではない。
 統計的によくいるタイプではないだろう。普通とされる規範から逸脱している部分がかなりあるだろう。「ちゃんとした」は条件ではなく各自の持つイメージだと僕は思っているのだが、そのイメージにも一致していないと思う。
 でも僕は排除されていない。
 僕が東京で死んだら都内にいる友人に死亡を確認してもらって、それから地方にいる血縁者に連絡してもらう手筈を整えているのだけれど(積極的に死ぬつもりはないが、人間はいつ死ぬかわからないので)、連絡があれば血縁者が、今ならたぶん弟が、さっと上京して後始末をしてくれるだろう。
 ありがたいことである。
 のみならず親戚の間には、僕について、「変な人だが、とても頭が良くて、東京で立派なことをやっている」という認識があるのだそうだ。二十年ほど前、弟がそのように教えてくれた。僕はとても驚いた。
 弟は僕のできないことをほとんどすべてやってのけた人間である。
 弟は地元の信頼の厚い大学に進学し、卒業後は地元の優良企業に就職、学生時代から交際していた女性と結婚して子をふたり育て、生家の近くに家を建てた。
 僕にはそのひとつだってできない。
 生まれた土地の大学も立派だとは思うが、僕は高校生なりにあこがれた先生のいる大学に行きたかったし、その段階から大学院にも進むつもりだったし、二十代の終わりまでボロアパートに住んで学籍のあるフリーターをやって、それに何らの問題も感じていなかった。たまたま就職できたが、もしそうではなくて、五十近い今までその生活をしていたとしても、問題はないように思う。
 そしてそれが「普通」じゃないと知っている。
 僕はだから、盆正月のどちらかは、生まれた家に顔を出すのである。

 インターフォンを鳴らす。弟が出迎えてくれる。リコが帰ってるよ、と言う。弟の娘の名である。つい先日までハイハイしていた姪っ子は、関西の大学に進学したとかで、去年来たときにはいなかった。
 居間で親戚たちに挨拶していると、おじさん、と呼ばれた。こっち、こっち。
 なにやら凝った髪型の、化粧をした若い女性である。姪だろう。
 僕は姪の顔を覚えていない。他の親戚の顔も、ほぼ覚えていない。状況で判定し、誤っていてもおおむね問題ないような会話文を出力している。
 おじさん、ありがとね。おそらく姪である人物が言う。今年はまだ小遣いをやっていないが、何のことだろうか。弟に預けた入学祝いのことだろうか。
 姪は目を見開き、そんな前の話、と大笑いする。それから言う。あのね、ほら、こういう家じゃん、おじさんみたいな人が親戚にいなかったら、わたし自分の好きなことやるのにもっと時間がかかったと思うんだよね。でもたまにおじさんが来てたでしょう。それでわたし「いいんだ」と思ったの。こんな変な大人でも、いいんだ、って。 
 僕なんかいなくても、「いい」に決まっている。
 僕がそう言うと姪は笑って、でもいたほうが、勇気が出るでしょ、と言う。
 そう、と僕は言う。それならよかった、と言う。勇気? なんでそんなものが必要なんだろう、と思いながら。

芸術家逃げ

 だから排斥用語としての「芸術家」は禁止したほうがいい。
 会社員兼美術家の友人が言う。
 わけのわからない存在をとりあえず保留するためのラベルとしての「芸術家だから」は、百歩譲ってよしとする。それは「見たことないタイプの人間に遭遇してどう振る舞っていいのかわからないからいったんこの箱に入れておきますね」という程度のものだからね。芸大出てればその種の箱に入れられる機会は飽きるほどある。彼らの九割にはたいした悪気はない。たいていは放っておいてくれるし、仲良くなれる人もいる。
 でもあんたの中学だかの同級生たちのしたことはそれとは別だ。珍獣観察がしたくて能動的にあんたを呼んでたんでしょ。なら「珍獣」と呼べ。ケモノ扱いをしますと言え。「ちゃんとした仕事」もせず親からもらった家でのうのうと暮らしているプータローがいい年して男も女もたらしこんで気持ち悪い、普通じゃないから気持ち悪い、気持ち悪いところを見せろ、と言え。本人に動物園としての同意を取り付けて入場料を払え。勝手にやるな。しかも集団で。

 もう一人の友人が歯を見せて笑う。相変わらずキレるねえ。わたしは「芸術家」扱いって楽でいいと思うけどねえ。
 あなた芸術家だったっけ。わたしは尋ねる。この人は職業デザイナーである。お金をもらうことを明瞭に意図して技術を身につけて職に就いた人である。学生時代から「アートをやりに来たのではない」と言っていた。だからわたしの認識ではこの人は芸術家ではない。
 もちろんわたしは芸術家じゃない。彼女は言う。でも「芸術家だから」は笑顔で受け取る。うちではPTA役員は夫の担当だし、学校行事でも他の女性保護者たちとはちがう格好をしている。たとえばそういうことが「芸術家だから」で済む。楽。「お母さんだから」がないのはほんとうに楽。なんなら夫が「あのおうちはダンナさんがお母さんだから」って言われる。
 でも、お母さんじゃん。美術家が言う。
 子どもの保護者じゃん。生活上も制度上も親そのものをやってるのに、そこから排斥されるのはしんどいことじゃないの。「お母さん」の枠組みを勝手に使われてそこからつまみ出されて、くやしくないの。
 そのように訊かれてデザイナーは笑う。ないない。なんならわたし、べつに「女」じゃなくてもいいくらいだから。社会でお力をお持ちのみなさんがそうおっしゃるので、そしてそれに逆らいつづけるエネルギーを持ち合わせていないので、「女だ」と言われれば「そうですか、でも好きにしますよ」と思うし、「芸術家だから」と言われれば「そうなんですね、あなたがたの中では」と思う。

 デザイナーは大人である。美術家は戦士である。わたしはそのように思う。彼女たちのことを、ほんとうに立派な人たちだと思う。
 彼女たちには彼女たちが研いできたナイフがあり、それでもってものごとを切りはなすことができる。わたしにはそのナイフがない。ナイフを作ることを怠ってきた。
 わたしは自分が「きちんとしていない」ことをどこかで後ろめたく感じている。否、きちんとできないししたくない自分を、自分としてはまったく悪いものではないと思っているが、それによって人に攻撃されたとき、きっちり怒ったり上手に受け流したりできないことを、そしてそのくせしっかり傷つきはすることを、後ろめたく思っている。
 だからできるだけ「きちんとした」人とかかわらずに生きようとしている。

 それは悪いことではないでしょう。
 デザイナーが言う。そんなのわたしがPTAに入らないのと同じでしょ。合わない相手を避けて生きることの何がいけないの。
 そうだよ。画家も言う。あんたのこと好きな人間とだけ一緒にいたらいいじゃん。

 わたしは少し笑う。そうだねと言う。
 でもほんとうは、それが悪いことだと知っている。
 わたしは、おそらくは「きちんとした」人を避けたいがために、自分がさみしくなったとき、やたらと精神が不安定で経済的にも余力のない、確実に「きちんとしていない」人間を拾ってしまう。わたしは、そうした人たちを、かわいそうでかわいいと思って欲望してしまう。わたしのその種の欲望には見下しが強く結びついている。だから彼ら彼女らはそのうち、わたしのもとからいなくなる。
 そうでない人間だと、自分のテリトリーに遊びに来てもらうのはかまわないが、自分が相手のテリトリーに入る気になれない。だから相手が望むような親密さを提供することができない。すると彼ら彼女らもそのうちわたしの前からいなくなる。
 何度も同じパターンを繰り返してようやく自覚した。
 わたしは、それを、悪いことだと思う。

ちゃんとしているとはどのようなことか

 わたし、ちゃんとしてないのが恥ずかしくてさあ。
 友人が言う。わたしはとても驚く。
 この友人はわたしと同じ芸術の大学を出て新卒で正社員になり、三十代の現在は立派な中間管理職であって、そのうえ作家としての活動も続けていて(いわゆる美術家である)、そちらでもそれなりに評価されている。
 とてもちゃんとしていると思う。
 一方、わたしは人生で一度も正社員になったことがない。両親から生前相続した小さな二階建ての維持管理費と食い扶持程度をピアノ教師として稼ぎ、伴奏やイベント演奏のアルバイトのときだけ「ピアニスト」と呼ばれ、あとは語学教師をやっている。この語学教師業務は、友人たちから「留学中に得た技能をカスまで使う」という意味で「グラッパ」と呼ばれている。カスまで使わないとささやかな贅沢もままならぬ、地味な非正規労働者である。
 そうして、二階建ての一軒家を一人で所有しているのをいいことに、ときどき人を拾って住まわせている。その全員に対して「いついなくなってもおかしくない存在」「自分がいやになったら出ていってもらう存在」という認識でいたし、今でもそう思っている。親族としては両親と兄がいるが、いずれとも離れて暮らしていて、家族は元野犬の犬一頭のみである。
 いわゆる「ちゃんとした生活」ではないように思う。
 属性はさておいても、成人してから朝10時より前に起床したためしがない。朝に出かける用事があるときは徹夜する。食べたいものを食べ、食べたくないときは何も食べない。そこいらの小学生より生活習慣がダメである(そのためかずっと低体重である)。
 生きていると髪が伸びるので、結うのが面倒になるとしょうことなしに美容院に行く。公共の場に出るのでなければ下着なんかつけない。いまだもってブラジャーというものの意義がわかっていない。のみならず服全般がうっすら嫌いである。なんでいろんな布くっつけなきゃいけないんだと思う。コーヒー豆とかが入っている麻袋に穴をあけて首と腕を出してかぶって、それで済ませたい。暑くなったら最寄りの公園の水道で水浴びしたい。それを実行していない自分はほんとうにがんばっていると思う。
 わたしはわたしの体質と気質に適合した人生を構築したので、それを恥じるつもりはない。ないが、それはそれとして、世間で言われる「ちゃんとした人」ではないと思う。昔の同級生からは「奔放なバイの芸術家」とされていた。要するに「まともじゃない」という意味だ。

 だって、家がちゃんとしてるよ。人を呼べる家で、いつ来てもきれい。
 友人はそのように言う。わたしはこの人が大物を制作するとき家の一階を貸している。
 きれいな家ではない。
 一階は元工場で、改装して半分を広い土間にしてピアノを置いてある。残り半分は(よく言えば)リビングダイニングだが、犬の居住空間でもあるので、換毛期は毛まみれルームである。二階の自室もたいして片付いてはいない。散らかっていないのは単にものが少ないからである。使っていないものはぜんぶ捨てたい性質なのだ。わたしには居心地が良いが、どことなく殺伐とした家である。
 いいえ、片付いています。一軒家を維持できるなんて、ほんとうにちゃんとしている。
 友人が首を振りながら言う。わたし、どれほど決意しても、あっというまに散らかしちゃうの。それも家族のものがあるとかじゃない、自分ひとりのものしか置いてない、1LDKしかないおうちが、だよ。ほんとうに恥ずかしい。

 なるほど、この友人にとって「ちゃんとしている」というのは部屋が散らかっていないということなのだ。
 そんなの気にすることないのにな、と思う。この人は、朝起きて夜寝て、決まった時間にまともな食事をとり、わたしみたいにどこの馬の骨ともわからぬ人間や野良犬を拾ってきたりせず、いつ会っても今ふうに身ぎれいで、どこへ行っても適切な振る舞いをして、人に言えば「いいところですね」と言われる会社に長く勤めて、ニーサ? とかそういうのもやっている。
 そんな人の部屋が散らかっていたって、「キュートな弱点」くらいのものじゃないかと思う。

 人間は自分が弱点だと思っていることを必要以上に気にして「ちゃんとしていない」と言うのだろうなと思う。
 ということはわたしは「奔放なバイの芸術家」として珍獣のように扱われることを気にしているのだろうか?
 別に奔放じゃないし、芸術家でもないし。そのとき好きだと思った人と一緒にいて自分にできる仕事をしているだけだし。
 そう思う。でもどこか遠くから「ちゃんとしてない」という声が聞こえる。

身も蓋もない家事の話

 家事分担って、揉めるんだってさ。
 わたしがそのように言うと、夫は完全に他人事の顔で、なるほど、インターネットでもよく話題になるね、などと言った。うち、揉めないじゃん、なんでかなと思って。わたしが訊くと夫は戯画化された西洋人のように肩をすくめ、そりゃ、あなた、八割は子どもがいなくて二人とも健康状態が良好だからですよ、と言った。シンプルに家事の総量が少なくて助けを必要としている人間がいない。将来高齢者になったら揉めるかもわからない。
 それから小さい声で言った。残り二割の話はね、反感買いかねないからおれ余所ではしないんだけどね、カネと能力の問題だと思ってるから。

 「カネ」は金持ちかどうかじゃなくて、家事に課金するかどうかってこと。おれあなたが何かあったとき速攻カネで解決するのわりと好き。かっこいいと思う。ふだんけちだからよけいに。こないだロボット掃除機が壊れたときだって、おれが探してきた10万の掃除機、平気で買ったじゃん、家計で、つまり一人あたま五万で。家具家電の買い替えプールがなくなったところで壊れたから、臨時支出で。あれ、片方が「二万の非ロボット掃除機にして手で半分ずつ掃除しよう」って言い出したらめちゃくちゃ揉めるよ。もうね、愛とか関係ない。揉む。率先しておおいに揉むねおれは。
 つまり双方が数万円程度の臨時支出を許容する稼ぎがある上で、「出す」と判断しているから揉めない。二人とも全自動洗濯乾燥機フル活用だし、その電気代をとやかく言う人間はこの家にはいない。
 カネがもっとうんと少なかったらスペースも減るから、そこもポイントかな。うち、リビングの棚いっこまで、どちらかのもの、または共用、って決まってるよね。共用の部分はなんとなくルールができてるし、相手の部分には口を出さない。これもカネで解決してる系の問題だと思う。口を出さないのは人格の問題でもあるけど。でもまあ自分にとって人格が好ましい人間と一緒になるのは当たり前のことだからなあ、あんま考えてなかった、そのへんは。
 あとは能力。
 家のことでどちらかしかできない部分がない。これはでかい。家計管理、契約や事務手続き、家具の組み立て、スマート家電の設定、引っ越しの手配、あれやらこれやら、住居を確保して生活を成り立たせるすべての仕事について、どちらかしかできないことはない。どちらかのほうが得意なことはあるから、やってあげたりやってもらったりはするけど、それはまあ、あったらうれしいプレゼント、みたいなもんじゃん。
 料理については、おれの生まれた家の影響はあると思う。父母双方の祖父母の代から家族全員料理すんの。食いしん坊の家系で、自分が食べたいものは自分で作るという意識がある。未成年に晩飯を提供するのは、たとえばいつもは母親がやる、父親がやることもある、で、弁当は基本父親、とか。おれなんか高校生のとき中学生の弟に土曜日の昼飯作ってもらってたからね。練習がてら予定がない週は基本やるって言うから、ありがてー、って。
 何か難しいこと考えてやってる人間はあんまいなくて、なんだろ、なーんも考えずに人間が寄り集まって暮らしてみんなで楽しくやっていこうと思ったらそうなった、って感じ。病人と年寄りは体調と相談、子どもは遊んでろ、興味があったら教えてあげよう。作ってもらったら喜んで食って皿を洗え。これがうちの「なーんも考えてない」なんだけど、外ではそうじゃないところも多いって知ったの、わりと大人になってからなんだよな。正直びっくりした。
 あと調理者は調理プロセスで使用したすべての道具を原状復帰するのが当然だというコンセンサスがある。食材調達、調理器具の片づけ、残った食材の管理までを調理者がやるのが当然で、できないのは「料理を教わっている途中の子ども」なわけ。たとえば大人が勝手に食材使ったり片づけが甘かったりしたら、ちょっとびっくりして「何かあった?」くらいの感じ。
 あなたはやたらと料理がうまいし、作り終わった段階で台所がきれいなんだから、そりゃ揉めない。揉むポイントがない。「見守る」という考え方も理解できはするから、料理がぜんぜんできない女の子と結婚したとしてもすぐに揉めるってことはなかったかもしれないけど、でも、かなりのストレスだっただろうなあ。もちろん、意思表示と合意形成の能力がないとどうにもならない。
 結局「能力がある」という身も蓋もない話になっちゃうから、外ではあんまり話さないんだよね。逆にカネですべてを解決してて、うちみたいなのは「貧乏でかわいそう」と思ってる家もあったりするだろうし。