傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

一人であること、あるいは機嫌のいい犬

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために人々の楽しみが減り、数少ない疫病伝染性の低い娯楽に注目が集まった。その筆頭がキャンプである。
 僕もご多分に漏れず毎月ソロキャンプをするようになった。子どもが中学生になって生活の世話や送り迎えが減り、勉強も塾まかせになった。パパとのお出かけなんか年一回もあればいいという感じだ。そんな中で疫病がやってきた。
 僕は自然豊かな場所にアクセスしやすい郊外に住んでいて、自家用車を持っており、アウトドア経験がある。いかにもソロキャンプをはじめそうな人間でしょう。

 とはいえ僕が昔やっていたのはハードな登山である。ちょっと間違えると死ぬやつである。その種の人間のゆるいアウトドアに対する感覚は二つに分かれる。一つは「オートキャンプなどというものは野外活動のうちに入らない」というアウトドア過激派、もう一つは「自然っぽいところにいるだけでOK」というアウトドア無節操派である。
 僕は後者だ。年も年だし、もうあんまり本格的な登山はやらなくていいようにも思う。ちょっとした自然の中にいれば、僕は上機嫌になれる。土が露出した地面はいいものである。なんなら毎日地面で寝たい。土と草の湿気をシート一枚ごしに味わいながら昼寝すると実によく眠れる。妻はいわゆるグランピングが好きなタイプなので(まあ、あれはあれで結構なものですが)、そこらへんで寝るのが好きな僕のことを「野犬みたい」と言う。かまわない。きみは布団で寝たまえ。僕は地面で寝る。
 夜のテントもまたいいものである。僕はテントが狭ければ狭いほど嬉しいので、家族でのキャンプに使っていたテントを人に譲り、えびす顔でソロテントを買った。高性能の寝袋にくるまり、それがすっぽりおさまるソロテントで寝ると、一度死んで生き返ったみたいな気持ちになる。

 ソロキャンプのメシについてはだいぶ研究して、以下のパターンに落ち着いた。
 買い物は家の近所で済ませる。というか、普通の買い出しと一緒にやっちまう。肉か魚の干物ないし粕漬けを買い、肉はタレにつけ、ジップロックに入れて冷凍しておく。野菜はざっくり切って、やはりジップロックに入れる。それら食料と飲み物と凍らせた水のペットボトルを小さいクーラーボックスに入れて出かける。あれこれを七輪で焼き、缶ビールを飲む。〆はおにぎりが定番である。コンビニの、海苔が別になってるタイプが便利だ。そいつをちょっと焼いて海苔を巻いて食う。チーズを小さい燻製機で味付けするのもいい。
 なんというか、食が細くなって酒も一、二杯あればいい、大人しいおじさんの晩餐そのものである。でもこのおじさんはコーヒーが好きで、朝になれば人気の焙煎所で買ってきたコーヒー豆を手挽きして淹れるような、小洒落たこともやってます。野外用の小さいコーヒーミルを持っているんだ。
 飲み食いしながら何を考えているということもない。夜は小規模なたき火をして、星を見て、気が向けば電子書籍で本を読み、朝は「帰る前にシートの夜露が乾いてくれるとラクなんだけどな」とか思ってる。あと「夜のたき火はいいにおいなのに朝になるといぶされた服が超くさい」とか。そして温泉施設に立ち寄ってさっぱりして早めに帰宅する。家事とかやらなきゃいけないことがあるし、しょっちゅう行ってるからあれもこれもとは思わない。
 若いころはロッククライミングしながら愛について考えて岩から落ちたりしていたのだけれど、もうそういうことはあんまりない。劇的な恋も熱い友情も将来への漠然とした夢も、このおじさんにはもう遠いものである。正確には「遠いということにしておきたい」という感じかな。もうね、考えるだけで疲れちゃうんだよね、そういうの。

 ソロキャンプのいいところは何もかもひとりぶんであるところだ。
 組織で働いて給料もらって家族と暮らして、それは僕の望んだことなんだけれど、だからといってそこに完全にフィットすることもできない。組織からも家族からもはみ出す個というものが、どうしても僕にはある。でもそこに激しさはあまり残っていなくて、ちょっとなだめてやればうとうとしはじめる、熾火のような葛藤にすぎない。
 僕はそいつとけっこううまくやっていると思う。昔の僕が見たら「つまらない大人」と言うかもしれない。そうしたら、そうだねと僕は笑うだろう。凡人が自分ひとりを上手に扱う方法なんて、だいたいつまらなく見えて、でも本人はつまらなくないんだよと。

缶詰課長の巨大な欲望

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから三年たった春、給湯室に「缶詰課長」の段ボールが復活した。

 缶詰課長は総務課の課長である。もちろん本名ではない。年のころなら四十路の半ば、若いころ老けて見えるタイプのようで、わたしが入社して以降、十年ほど同じような容貌のままである。元陸上選手で今でも走るからか、中年太りには縁がない。
 缶詰課長は常時半袖である。体温が高いから、というのが本人の言で、ほとんど一年中、襟のついた半袖の、ネイビーブルーのシャツを着て、来客対応や上司との面談があるときにだけスーツを着用する。ジャケットの下はもちろんいわゆるワイシャツである。課長はよほどそれが嫌いらしく、来客が帰るとわざわざ手洗いで着替えて戻ってくる。いつもの服はシャツを七枚、パンツを四枚、スーツは二セット、それぞれ同じものを買うのだと話していた。
 それだけ聞くとスティーブ・ジョブズみたいでちょっとかっこいい。でも彼のあだ名は缶詰課長だ。毎日缶詰を食べているからそう呼ばれているので、かっこいいとは言いがたい。
 彼はランチに出ない。おかずの缶詰と「サトウのごはん」を箱買いし、デスクでそれを食べている。自宅で妻の作る栄養豊富な食事をとっているから、昼はそれで問題ないのだという。
 総務課のメンバーは毎日缶詰ランチを目撃しているので、飲み会では課長の前に肉や野菜を置く。お地蔵さんのおそなえみたいである。課長は延々とそれを食べる。飲みものはコーラである。課長は二時間の宴会で三杯のコーラを飲み、酒を飲んでいる人間より楽しそうに話す。

 わたしは課長は欲のない坊さんのような人なのだと思っていた。彼は異例の若さで課長になり、上にも下にも評判がよく、家庭にあってはまめに子育てをし、犬のように走って、夜はよく眠る。先輩からそのように聞いた。先輩はやや呆れた口ぶりで言った。要するにすごく「いい会社員」「いいお父さん」なんだよな、ちょっと変だけど。欲しいもんとか、ないのかね、あの人。

 疫病流行以来はじめての総務課飲み会が開かれた。課長は相変わらずで、余ったわかさぎのから揚げをわりわり噛んでいた。余ったのじゃなくて新しいツマミも食べてくださいよとわたしは言った。食べてる食べてると課長は言った。でもわたしが見るところによると、課長は「あるものを食べている」のである。
 そう指摘すると課長は笑い、あるものを食うのが習い性で、と言う。飲み会でコーラを飲んでるのも酒が飲めないからじゃなくて、飲まないから。飲んだらぜったいろくなことにならないと思ってるから。

 課長は大学生のころ、「このままいくと破綻する」と思ったのだそうだ。上京、一人暮らし、大学生、奨学金、アルバイト。お金はそんなにない。でも高校生に比べたらはるかにある。そして周囲はだいたい自分より裕福で、いろんな遊び方を彼に見せた。
 あれもこれもいいなと彼は思った。楽しいなと思った。かっこいいなと思った。いくつかに手をつけて、彼は悟った。だめだ、楽しすぎる。頭ふわーってなる。優先順位を決めて箍を填めないとおれはあっというまに夜遊びと旅行と買い物でカネを使い切り、コレクションかギャンブルかアルコールか女の子か、あるいはその複数にどっぷりつかって、大量に借金して、人生がだめになる。

 そう思って箍を填めたわけ、自分に。たとえば昼メシは缶詰にするみたいな箍を。
 課長はそのように語り、わたしはたずねた。おいくつの時ですか。課長はこたえた。はたち。

 若すぎる。いっぺん破綻してもどうにかなる年齢である。
 いやおれは破綻したくないので、と課長は言う。「普通」より手前で人工的に贅沢を区切らないと滑るように破綻する。おれはそういう人間で、そういう人間が「まとも」を指向したら、こうなる。どっかの王子さまなら、二十代のあいだじゅう箍を外してもいいのかもわからないけど、おれは田舎の庶民の子だからね。

 総務課では週三回の出社と二回のリモートワークが定着した。それにともない、フルリモートの時期に姿を消していた課長の缶詰段ボールが復活した。Amazonから直接会社に送られてくるのである。
 わたしはその段ボールを見ながら、ゴーダマ・シッダールタについて考える。子どものころ読んだマンガによれば、ブッダは王子さまとして生まれ、あらゆる贅沢を手にし、それに倦んだあと苦行に入り、苦行も意味ないなと思って悟りを開いた。坊さんみたいな人って、欲が強いからそれを怖れるのかもしれない。

人生のピットイン あるいは老いについて

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから三年あまり、わたしの「ピットイン」はほぼ完了した。

 三十歳とか三十五歳とか四十歳とか、節目の数字で自分の年齢について考える人が多いようだ。人間は成長期を終えたらずっと老いているので、どこかで区切らないと老いに向かい合いにくいためだろう。
 わたしはそのように節目の年に考える戦略を採用していない。わりと激務が好きなたちなので、いざ節目の年になって「このように変わろう」と思ったって仕事がそれを許さない。それでイライラするくらいなら、仕事の区切りに人生を変更したほうがよい。わたしは資格職を選んだので、年単位で計画すればそれが可能である。若いころは転職したし、疫病流行下では事務所の共同経営者になった。遊びに行くのも不自由な状態が続き、リモートワークなども可能になった(わたしは書類を見るために出勤してたけど)。
 よし、とわたしは思った。ピットインだ。

 わたしは体力には自信があるほうで、三十代半ばで屋久島の縄文杉コースを歩き、その翌日に太鼓岩コースを歩いた。その程度には身体が強かったのである。しかし四十過ぎたら「もうああいうのはしんどくってできないだろうな」と思うようになった。同時に徹夜がほぼできなくなり、集中力が落ちてきた。身体にもしまりがなくなってきた。単に太るのではない。体重が同じでも、たゆん、としてくる。そして少しずつふくらんでいく。
 たゆん、としてもまあいいやとは思う。それはそれでかわいい。わたしは自分のことをだいたいかわいいと思っているのんきなやつである。
 しかし、ものには限度がある。二十歳のプロポーションに戻りたいとは思わないが、無防備すぎるのもどうかと思う。筋力をある程度維持しないと快適な老後を迎えることもできない。
 筋力以外にもあれこれ衰えてきている。ずっとお世話になっている美容師が「おお」と言うくらい、短期間に白髪が増えた。「産後にばっと出る人なみの増え方」とのことだった。更年期を前にホルモンバランスが変動しているのだろう。バイオリズムによる変動もやけに大きくなって、こちらはほぼ病気の域と思われた。老眼もはじまった。
 わたしはリストを作る。仕事を減らしてでも生活に加えるべき項目を連ねる。食事の見直し、飲酒回数の削減、睡眠時間の確保、筋力トレーニング、歩数確保のための通勤ルートの変更、婦人科と眼科の定期検査、現在の体形をひきたてる服装の開発、白髪をきれいに見せるヘアスタイルの確立、スキンケア用品と化粧品の更新。

 ぱっとしない、とわたしは思う。どれも堅実で有効な施策だ。年単位で見れば相当変わるだろう。しかし、それはそれとして、もっとこう、劇的なやつもやりたい。身体改造をしたい。

 わたしはピアスホールを増やす。わたしは十八から十九にかけて合計三つのピアスホールをあけ、化粧をしない日にもピアスはつけるという生活を送っていて、それはおしゃれというより呪術的な意味合いのもので(護符をつけたような感覚があるのだ)、それを増やすことにした。軟骨にあけるのは痛そうなので、耳たぶの薄い部分の、今までの穴より上のほうにあけた。
 わたしは婦人科で相談してホルモンバランスを調整する。ホルモンを発する器具を入れておいて変動を減らす方法にした。これはわたしの体質に合っていたようで、非常に快適だ。定期的に器具を入れ替え、そのままぬるっと閉経までもっていくつもりである。
 わたしは眼科で相談し、目の中にレンズを入れる手術を受ける。ずっと強度の近視で、うっすらと乱視があり、その上老眼がやってきたので、思い切ってやってしまうことにした。高額な施術だが、やってよかった。なにしろ快適だ。それに、眼が悪いというのは生物としてなんとなく弱い気が、ずっとしていた。

 つまり、とわたしは思う。わたしは強くなりたいのだろう。弱いのがいやなのだ。年をとって弱るのは当たり前だけれど、できるだけ強くいたいのだ。
 職業上はどんどん強くなっているし、精神の安定も右肩上がりである。年をとって強くなった部分はキープ、弱くなった部分はそれなりに鍛えながら折り合いをつけていく。そのためのピットインである。

 やれることはほぼ済ませたあたりで、行動制限が緩和され、マスクの着用も任意とされた。わたしは新しい目標を定めた。六十五までフルで働き、七十までゆるやかに働く。趣味の旅行も再開して、気になっていたダイビングの免許を取る。

マスクを着ける要件

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから三年あまり、世界的な緊急事態宣言が解除され、日本でも他の感染症と同じ扱いになった。この数日のことである。

 それでわたしはマスクを観ている。人々がどのようにマスクを扱うかを観覧している。それで何をするというのでもない。急速に広まった習慣の急速な変化は何かをあらわしているようで興味深いという、ほんとうにそれだけの理由で見物している。
 もちろん、疫病はなくなったのではない。今後もばんばん感染の波が来るだろうし、今日も人がたくさん死んでいる。しかしそれが長期化し、ワクチン接種などの対応がひととおり整えられ、しかも根絶できるようなものでもないので、日常に組み込まれたと、大雑把に言えばそういうことである。
 こういうとき、人は左右を見る。きょろきょろする。そして自分のマスクをどうするか決める。疫病に関する科学的な事実に変化はないので、どうするかを決めるのは「気分」である。その気分を決めているのは、きっと疫病前からある何かである。わたしはそれを観覧している。

 人混みでなく、誰かと話さないのであれば、屋外ではマスクをつける必要はない。感染症対策としては流行当初から一環してこの事実があり、この一年ほどは政府もそのようなアナウンスをしているのだが、それでも最近までは、マスクをつけていることがデフォルトだった。わたしは疫病流行当初から、人混みでないところをただ歩くときにはマスクを外すので、それを目撃した同僚から「マスクつけたら」と言われたことがある。「変な人に絡まれてもいやでしょ」とその人は言った。とくに女性はそうした目に遭いやすいとのことだった。
 さもありなん、とわたしは思った。弱者はしばしば「ルール」「マナー」を厳密に守れというプレッシャーをかけられる。なんなら弱者専用の「マナー」もいっぱいある。国会議員は屋内でマスクを外してカメラの前をうろうろしてもよく(疫病下ではしばしばそうした姿がテレビに映った)、わたしは二メートル以内に誰もいない道端でも外してはいけない。
 こうした不思議な「許される」「許されない」という感覚を、わたしは「被客体化感覚」と呼んでいる。マスクにかぎらず、その人が感じる「許されない」事項が多ければ多いほど、その人は他人の基準に合わせて生きている、すなわち決める側でなく決められる側にいる。わたしはそれを弱者と呼ぶ。
 マスク着用要件そのいち。相対的に弱者であること。

 わたしの勤務先近辺のエリアには公的な団体の建物が多く、いわゆる堅い仕事の人々が行き交っている。そういうところではどうやらマスクをしたままでいることが良しとされている。みんなずっとつけているし、ここ数日も外している人をあまり見ない。
 一方、週末に歓楽街に出かけると、行き交う人はけっこうな割合でマスクをしていない。酔っぱらいはとくにしていない。こみあった街中でマスクを外して話している相手に身体を近づけて大声を出し、笑う。自宅近辺は勤務先近辺よりいくらかマスクなしが多い。歩くときにはつけず、またはずらしておき、商店などに入るときにつける形式が定着している。
 マスク着用要件そのに。「きちんとしている」こと。

 ところがこの世には職業上の理由でマスクをつけたくてもつけられない人もいる。対面サービス業でお客と話をする(つまり感染リスクがある)のに、「接客にあたっては笑顔が大切だからマスクを外すように」との指示があったりするのだそうだ。
 個人の判断でつけるつけないを選べるときにも、対面での会話においてマスクを外すのは感情を見せたいときである。この感情が売り物になることもある、ということなのだろう。
 わたしもこの三年間、感情をより伝えたいとき、かつ相手が外しているときには自分もマスクを外すことがあった。家族の前ではもちろん外しっぱなしである。親密な相手の口元がずっと見えなかったらきっとすごくさみしい。ある種の感情的交流は感染リスクより重い、とわたしは思っているのだろう。
 マスク着用要件そのさん。感情をより強く詳細に伝える必要があること。

 疫病はこのまま流行しつづけ、人が毎日死ぬだろう。人々はずるずるっとマスクを外すシチュエーションを増やすだろう。わたしもそうするだろう。そのよん、以降の要件が出てきたらメモしておこう。

山田専務はきれいなおじさん

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしの勤め先でもリモートワークが導入され、大勢が集まる対面の会議はぐっと減った。そのさなかにやってきたのが山田専務である。疫病禍を受けた組織改革の要としての、鳴り物入りの引き抜きだったと聞いている。
 とはいえ、それなりの規模の企業では、そこいらの社員と専務に業務上のやりとりはほぼない。わたしが専務とはじめて口をきいたのは仕事に関係のない場面だった。階段部に勧誘されたのである。

 久しぶりの大規模な対面会議のあと、エレベーターが混んでいるので階段で降りることにした。会議室は十階、わたしの席のあるフロアは三階である。
 比較的若い社員たちが三々五々降りていく中、リズミカルに階段を踏みしめてわたしに追いついたのが山田専務であった。やあ、と彼は言い、わたしの名を口にした。口語で「やあ」と言う人はそんなにいない。でも彼にはそれがよく似合っていた。あなたのところの部長から話を聞いていますよ、リモート化のあれこれにご尽力くださったとか。
 わたしはそんなに役職の高い社員ではない。ということはこの人は、少なくともちょっとした管理職なら顔と名前と業務内容が一致するていどには覚えているのか。対面会議がない時期に社外から来た人なのに。
 恐れ入りますとわたしが言うと、彼は眉をあげ、その動作で「それはともかく、本題ですが」というニュアンスを示した。そして言った。階段部に入りませんか。

 階段部とは「美と健康のゆるやかな追求」を旨とし、社内でできるだけ階段を使う活動をする集団だそうである。彼は部員として何人かの名前を挙げ、「階段を使う以外に何をするのでもない部活です」と言った。では、とわたしは言った。入部します。意思決定が早い、素晴らしいと彼は笑い、「そうそう、わたくしに呼びかけるときには役職名抜きで『山田さん』とおっしゃってください」と言い残して去っていった。階段部には連れだっておしゃべりしながら降りる派閥と自らのペースを最優先する派閥があり、山田専務、じゃなかった山田さんは後者なのだそうである。
 階段部の発起人は山田さん自身である。「美と健康」を標榜するだけある、とわたしは思う。山田さんはありふれた顔だちの、薄毛を短く整えた五十代男性である。それだけならばそこいらにいそうなのだが、山田さんみたいな中年男性はそうそう見ない。すらっとした姿にしゃきっと伸びた背筋、張りのある声に個性的かつ感じの良い話しかた、みごとなサイジングと手入れが見て取れるスーツと靴、ほどよい血色のきめ細かなお肌。なるほど美と健康である。

 わたしが歯のクリーニングに行っている歯科医院は美容医療にも力を入れていて、受付で会計を待っているとそのポスターが目に入る。男性院長の写真がばーんと出ていて、美容医療の内容が書かれたのち、このように結ばれている。「男性もより美しく! 院長と一緒にきれいなおじさんになりましょう」。
 そうか、とわたしは思う。男性の身体を好意的に形容する語としては「清潔感」が鉄板だが、美容医療なのだから、それよりアグレッシブにしたいわけだ。それで「きれいなおじさん」。山田さんみたいな人をめざすということかしら。結構なことである。美容医療をやるかはともかく、きれいになりたい人はどんどんきれいになれる世の中がよろしい。
 わたしの父は山登りが趣味なのだが、お肌の手入れをしないので、もうガサガサである。母に言われて日焼け止めだけは塗っているものの、てきとうに塗るのでこめかみにシミができている(ちなみにわたしも若いころ雑に化粧していたのでこめかみに薄くシミが浮いてきた。親子である)。父が化粧水のひとつもつけたがらないのは、やっぱり「男らしくない」からかな、と思う。今よりずっとその種の抑圧が強かったころに人格形成した人だ。そういう男性たちに抑圧を乗り越えて美を追究しましょうと呼びかけるために「きれいなおじさん」という表現が出てきたのだろう。
 わたしも中年である。きれいなおばさんになりたい。しかしおばさんという語は、おじさんとはまた違うニュアンスで揶揄的に使われすぎていて、当事者としては困っている。「おばさんじゃない」とか言われて、言う側は褒め言葉のつもりだったりするのだ。困ったものである。おばさんをやらせてほしい。できればきれいなおばさんを。

 それから三ヶ月ほどの間に、わたしの勤務先では「美と健康」という語が流行した。みんなちょっと可笑しそうに、でも好意的に口にしていた。

雑な家族は平和に暮らす

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために家にいる時間が増えて、いわゆる行動制限が解除されたあとも疫病前よりは家にいる時間が増えた人が多いように思う。リモートワークが定着した企業も少なくないし、まだ用心している人もあるためだろう。年をとったこともあって、人に会うときランチやお茶を選ぶことも増え、飲み会は遅くても終電解散、最後にレイトショーに行ったのはいつのことか思い出せない。単純に疲れちゃうのである。
 そうして家にいる時間が増えると、周囲の夫婦から「けんかが増えた」と聞くようになった。その原因の多くが家事である。家事が原因で離婚した人さえある。まあそれはもともと家事をやらない夫がずっと家にいて家事を増やすので妻の堪忍袋の緒が切れたという、わかりやすいパターンなのだけれど、双方が「自分は家事をしている」と思っていても諍いが起きるようなのである。「どうしたらけんかをしなくてすむか」と訊かれて、わたしはやや恥ずかしくなった。だってうちの夫婦が家事でけんかしないのは、立派だからじゃなくて、生活に対する意識が低いからなんだもの。

 洗濯は全自動洗濯乾燥機を使って各自でおこなう。洗濯別式は結婚当初に夫が提案したもので、「パンツは尊厳であり、ロマンである。したがって各自で洗いたい。子どもができたら子どものは洗うけど」とのことだった。わたしとて己の下着を夫に洗ってもらうなんて超イヤである。それを見ていた娘も、中学校に上がる前の段階で「自分でやる」と言いだした。彼女の場合はプライバシー感覚というより、自分のおしゃれ着をずぼらな両親に皺だらけにされるのがイヤだったらしい。誰に似たのか、たいそうおしゃれなのだ。
 ふだんの掃除は掃除ロボットのボタンを足で押すだけである。その日最後に家を出る人間がやる。リビングの床にものを置くと掃除ロボットにつつきまわされ、あるいは吸い込まれる。娘の部屋は娘の管轄である。整理整頓の手伝いをやめるのが早すぎたのか、一時期わたしと夫から「熱帯雨林」と呼ばれていたが、今は夫婦の寝室よりずっとましである。
 寝室は右半分が夫、左半分がわたしのスペースで、床掃除は夫がやる。というのも夫は本来散らかし屋であり、自分だけのスペースがあるとものをためこむタイプなのだ。各自のスペースに置いているリモートワーク用の小さなデスクも、夫のだけがカオスである(ベッドの上にものを移動させて作業し、終わったら戻している。かえって面倒ではないのか)。それでときどき夫が床のものを片づけて掃除ロボットを走らせている。人間のベッドルームというより動物の巣に近い。
 水まわりは防汚製品を駆使した上で、ときどき適当にこする。トイレブラシやお掃除シートはもちろん使い捨てのやつである。
 そして毎月「掃除デイ」をやる。拭き掃除や磨き掃除、季節ごとの整頓をする日である。この日は家庭の重要なイベントであり、あらかじめ予定され全員の出席が確認されていて、終わったらお寿司とかを食べに行く。ノー掃除・ノー寿司である。
 料理は当番制だ。わたしが平日に週二回、夫は週末のみ。夫は週末その日の食事を作るというより、作り置きをする。主に野菜の副菜である。わたしがあれこれ作って出す日以外の平日三日間は、夫の作り置きと、焼くだけの何か(干物とか味のついた肉とか)と、切れば食べられる生野菜や納豆や豆腐を組み合わせる。冷凍食品やできあいの惣菜も使う。わたしたちはそれを「雑メシ」と呼ぶ。雑メシの素材は週末に夫婦または一家で買い出しする。できなかったらネットスーパーである。

 人々の話を聞いていると、どうもみんな家事にけっこうな時間をかけている。巣みたいなとこで寝てなくて、どこもかしこもきれいで、雑メシを食べていないのだろう。もやしを袋ごとレンチンしてぽん酢とかつおぶしをぶっかけて出さないんだろうし、キムチと鯖缶と少量のごま油を混ぜただけのものも食べないんだろう。あれけっこううまいんだけどな。

 娘が小さいときにはけっこう必死に家事育児をしたが、彼女ももう中学生、そんなにまめなお世話はいらない。雑なわたしと夫が育てた結果、すでにてきとうな昼食を作るスキルがある。
 そのような娘に、ひとつの質問を投げかけた。ていねいな暮らし、ってどう思う。
 娘はわたしをちらりと見て苦笑した。そして言った。まだ習ってないな、そのイディオム。

春の滋養 あるいは老いについて

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから二年ほどで料理の腕前に磨きがかかった。食いしん坊に外食を禁じたら自炊に力を入れる。自然な成り行きである。
 今年はいわゆる行動制限がすべてなくなったが、料理の腕は残った。年をとって外食はちょっと重いと感じることも増えた。家で好きなものを作って食べるのは快適なことである。ことに春は好きな食材が多い。
 春キャベツと春にんじんの、半ば甘酢漬けのようなコールスロー。新玉葱は生も好きだけれど、オーブンで焼くのが最高。うどはスティック状にしておいて、りんごみたいにかじる。スナップえんどうもゆでただけのをおやつ感覚で食べる。そら豆は皮が黒くなるまでグリルで焼いて、焼いたのが余ったらパスタに入れて、豆ごはんも一度は炊きたい。
 週末は自転車で十五分のところにある大きな魚屋に行っておすすめを買う。今週は白ミル貝である。疫病禍二年目の春に貝をあける道具を買って貝好きが加速した。
 年に一度のお楽しみ、オホーツクの毛蟹の取り寄せは先日済ませた。これは人を幾人も呼んで食べるのが楽しい。全員にキッチンばさみを持ってきてもらって、はじめて参加する人には蟹の殻剝き講座を受けてもらう。みんな春酒を飲みすぎてへろへろになるから、先にはさみを入れておく。この会に毎年参加する友だちがたけのこの下ゆでしたのを持ってきてくれるので、酔っ払わないうちにぱっと煮てつまむ。たけのこごはんは別の日にする。毛蟹パーティでは蟹の殻と昆布のだしで〆のかにめしを炊くから。
 たけのこをくれる友人の親御さんが農業をやめる前には、白菜の菜の花(野菜として売られる「菜の花」用の品種を菜花と呼ぶが、それ以外のアブラナ科の野菜でも「菜の花」がとれるのだそうだ)も譲ってくれたのだけれど、今はなかなか手に入らない。あれを少量のバターで蒸し焼きにして食べるのが好きだった。

 さて、本日は白アスパラガスである。食べ方はおおむね決まっている。シンプルな塩ゆでを、卵・オリーブオイル・胡椒のディップとあわせるのだ(ソテーも捨てがたいが、今のところこれがトップ)。問題はゆで方である。
 毎年のことだが、インターネットで検索する。白アスパラガスの皮はどこまで剝くか。いつ剝くか。ダシがもったいないから剝いた皮ごと鍋に入れたまま冷ませという意見もあれば、ゆでたてをとっとと食えとする流派もある。
 わたしは思うのだが、ヨーロッパの寒いほうの人々は春の訪れが嬉しすぎてその象徴たる白アスパラガスの調理を工夫しすぎているのである。工夫しすぎてオカルトじみている(わたしの平凡な味覚ではわからない違いがあるのだろうけれども)。皮のダシまではもういいんじゃないか。
 そういうわけで豪快に皮を剝いてざっとゆでてばばっと食べる。うまい。でもやっぱり皮のダシも試してみようかなあ。来週もまだ白アスパラガスが買えるだろうか。

 うちにごはんを食べに来る人たちも順調に年をとっている。以前の毛蟹の会では一升瓶があいたものだけれど、今年は二合ばかり残ったのが冷蔵庫におさまっている。一人あたりの料理の量も減らした。昔は宴会中盤に炭水化物をはさんだ上で〆も出していたのだが、今やそのようなメニューに立ち向かう戦闘力は誰にも残されていない。すでに〆の炭水化物が入らない者も、アルコールをほぼ飲まなくなった者もいるのだ。脂気を減らして蕗味噌なんかを出したほうが喜ばれる。
 四十代というのはそういうものなのだろうと思う。

 わたしは想像する。身近にたけのこのあく抜きをやる人がいなくなって、もちろん自分もやりたくなくて、しょうことなしに水煮を買うところを想像する。自分で下ゆですると姫皮を食べられるのにねと、誰かに話すところを想像する。でももうやりたくないわ、億劫だもの。ーーわたしの想像上の老いたわたしは、今のわたしとはちがう、昔ふうの女言葉を遣う。
 わたしは想像する。春になっても豆のひとつも買おうと思わず、自転車を飛ばして遠い魚屋に行くこともない、遠い先の、老いたわたしのことを。
 わたしは言うだろう。もう一生分食べたから、いいのよ。

 わたしは生きる目的とかをあんまり考えたことがない。食って寝るために生きている。動物みたいでちょっとかっこわるいような気もする。でもまあいいやと思う。食って寝るのが楽しみなうちはこんなに楽しく生きていられるのだから。