傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

彼女の作った顔

 この顔が整形じゃないわけないじゃないですか。

 そう言われて返答に詰まった。それから慎重にこたえた。私そういうのよくわからないんですよ。今そう言われてしげしげ見たって、そんなに不自然には感じないし。
 彼女はちいさく首を傾け、ちいさくくちびるを動かす。彼女の声音はいつも一定のトーンにおさまる。使う空気の少ない、喉の上のほうに呼気を当てるタイプの、か細いけれど通る声。方言の気配がなく、標準語というにはアクセントとイントネーションの幅が全体に小さい。その声が言う。
 不自然なんですよ、わたしの顔は。
 理想を追求するっていうコンセプトで作ったので、自然ではないです。整形に近しい人たちは自然だって言うけれど、一般的にはそうじゃないって、当時からわかってはいました。時間も経って、最近の流行から少しずれているから、より不自然に見えるはずです。マキノさんがわたしの顔を「不自然じゃない」と思うのは、単に、よく見ていないからです。
 そうなんだ、と私は言う。ごめんなさい、実際よく見てないんだと思います。もうしわけない。
 すると彼女は口元に手を当て、喉の奥をわずかに鳴らす。眉間が少し開いたように見える。それを聞いて見て、思う。これが彼女の「声を出して笑う」様子なのだ。
 彼女は言う。
 こんな世の中で、顔を気にしていないのは、いいですね。気が楽だろうし、インテリジェントな感じもします。

 私は、声と話しかたと大まかなシルエットで人を覚えている。人の顔をきちんと覚えられないからだ。
 長期間ごく親しくしている相手の顔は覚えている。一緒に住んでいる家族の顔が変わったらさすがにわかる(頬が腫れていた時にちゃんと気づいた)。しかし、ちょっとした知人であれば、顔はあまり覚えていない。声のほうがよく覚えている。あまり話さない相手なら、会ったときの印象だけが(その時に思った言葉で)残っている。だから勤務先で誰かに会釈されたら相手が誰だかわからなくても会釈をかえす。「あなたとすれ違ってうれしいですよ」みたいな感じで。誰だかわかってないんだけども。嫌いなやつだったらどうしよう。
 人の顔を、気にしていないといえば気にしていないのだが、正確には、気にする能力がない。インテリジェントというのは、たぶん「ルッキズムに毒されていなくて政治的に正しい」みたいな意味なんだろうけども、そして私は政治的に正しいとされがちな思想傾向にあるけれども、見た目問題に関しては、単に弁別能力がないのである。
 そこまで説明するのは変だから、私はただ、あいまいに笑う。彼女は口をひらく。いつもは会話のレシーブ側にばかり回る人なのに、今日は珍しい。

 気づかれないのは嬉しいですが、気づいてほしい気持ちもあるので、ときどき、さっきみたいに、言うんです。整形ですよって。
 気づいてほしいのは、努力したからです。お金もかかりましたし、何より苦痛を乗り越えたので、そのことをわかってほしい気持ちがあるんです。今でもわたし、顔の一部の感覚が鈍くて、それが表情にも影響していると思います。そういう苦労をして手に入れた顔だって、たまに言いたくなるんです。受験勉強をがんばったから出身大学を言いたくなるみたいな感じかもしれません。ふふ、わたし、出身大学も、わりと言います。そういうタイプなんです。もちろん、ダイエットもしてます。骨切りするとタルミが出やすいから余計に太りたくなくって、毎日自炊して、ジムに行って。
 いいんじゃないでしょうか、と私は言う。評価してほしいことをアピールするのは、いいことだと思います。私こないだ鼻の病気で手術をしたんですけど、鼻の穴の中をちょっと切るだけの日帰り手術で大ダメージでしたよ。超つらかった。外見を変えるほどの手術なんて絶対耐えられない。すごい。意思が強い。立派なことです。自炊もジムもえらい。
 彼女は口元に手をやり、腰を折って笑いの仕草をする。私の発言がわざとらしくて可笑しかったのだろう。
 可愛らしい、と思う。
 そしてその可愛らしさを、この人は自分でわかっているのだろうかと思う。この人は立派なキャリアを積んだ大人だけれど、上手に描けた絵を見せたくて走ってくる幼児みたいな、いたいけな感じがする。
 そう思って、それから、自分に尋ねる。私がそう感じるのは、彼女が作った、「理想を追求した」顔のせいなんだろうか? 外見が「良い」から、この人を可愛いと思うのだろうか?

私を好きな街

 その日の読書会には、中央線沿線の住民が三人来ていた。
 私がときどきお邪魔している読書会で、会場は公営の会議室だ。そこで本を囲んで話したあと、八割がたの参加者が打ち上げに流れて雑談を楽しむのがならいである。
 その打ち上げの場で、誰がどこに住んでいるという話になった。そうしたら合計三人の最寄り駅が中央線だったというわけである。
 中央線、いいですね、と私は言った。友だちが何人か住んでいるのでときどき行くんです。すると阿佐ヶ谷在住の、近所で知り合って仲良くなったという女性二人が顔を見合わせてほほえみ、一人が代表するように、あら嬉しい、と言った。たくさん楽しんでね、いいところですから。個性的な本屋さんもたくさんあるし。
 はい、と私は答え、躊躇いをはさんで、結局口をひらいた。しかしですね、私は中央線を憎からず思っているのですが、中央線のほうは、どうも私を好きではないようなのです。

 そういう気がするのだ。一般的な感覚かどうかわからないのだが、「私の好きな街」がある一方で、「私を好きな街」があるような気がしてならない。そうして引っ越し魔である私は、住んでみてもどうにも落ち着かない街があることを知っている。賃貸を更新する気になれないのだ。「職場が近いから引っ越してきて、特段の不自由はないけど、ここはもういいかな」と思って、また転居する。そんなことが二回ばかりあった。
 でもその二回については、まあかまわないのだ。私だって通勤の便だけが目的で住んだので、先方が私を好きじゃなくても、私だって「あなたのことはそれほど」なのだから。
 しかし、自分が好きな街に好かれないのは、少し悲しい。だからかもしれないが、私は中央線沿いに住んだことがない。

 私は言う。つまり街には人格のようなものがあると、私は感じるのです。自分が好きなだけではだめで、相手からもそこそこ好かれていないと、居心地が良くないのです。みなさんはそういうのないですか?
 たとえばですか、うん、たとえば、西荻さんは人あたりが良くて話題の幅が広いので、大勢で集まるときには私がいてもOKなんです。にこやかに接してくれる。でも個人として仲良くする気はない。ホームパーティには呼んでくれない。国立さんは単に私に関心を持っていない。何度も会っているんだけど、たぶんフルネームを覚えてない。そして高円寺さんは私のことが積極的に嫌いです。あいさつすると露骨に「この人なんでここにいるんだろ」みたいな顔する。

 私がそのように話すと、皆がいっせいに「全然わからん」「いや、わかる」みたいな話をはじめて、座がにぎやかになった。例の阿佐ヶ谷の女性二人は、「あー、西荻さんってたしかにそんな感じ」「あの人昔からそういうところある」などと言い合い、それから、「阿佐ヶ谷さん」の性格を考えて披露してくれた。
 ちなみに、先方からも受け入れられた街はどんなところなの。二人が尋ねてくれるので、私はこたえる。
 昔、古い物件を借りて都心のあちこちに住んでみたんですが、神楽坂から曙橋にかけての、ええそうです、牛込ですね、とっても住みやすかったです。神田川を下って日本橋人形町もしっくりきました。静かなところだと、本郷小石川。それから、蔵前から上野にかけての、広い意味での浅草、と言えばいいかな、あのあたりが落ち着きます。賃貸で住んで気に入ってマンション買いました。

 三人目の中央線沿線住民が口をひらいた。僕は高円寺です。
 おお、と阿佐ヶ谷在住の女性が声を出した。いかにも高円寺に好かれそうよ、あなた。
 私もうなずく。彼は苦笑して、どのへんが、と言う。阿佐ヶ谷の彼女が私の顔を見る。私は考える速度そのままにこたえる。えっと、お仕事がマンガの編集者さんと伺ったので、そこがまず合ってる。あと、おしゃれ。古着とかを着こなす感じのおしゃれ。そしてたぶん音楽がお好きですね? そうでしょう、そうでしょう。高円寺さんは音楽をろくに聴かずに生きてきて何も考えずにカラオケでヒット曲を歌うような人間は好きじゃないですよ。私のことですが。そして犬より猫が好き。どうですか。
 受けた。合っていたらしい。
 帰ったら高円寺に言っておきます、と彼は言う。高円寺はね、いいやつなんだけどちょっとめんどくさいところがあるんで、そこが味でもあるんですけど、心の壁が高すぎる感じがある、それってどうなのかとオレも常々思ってるんで、もうちょいハードル下げろって、よく言っておきます。

あの日のほっともっと

 善子ちゃんは以前、僕の上司だった。今は妻である。
 僕が善子ちゃんを好きになったのは、ある意味で打算の産物だと思っている。マンガみたいに突然恋に落ちたとか、世界一美人に見えるとか、そういうふうに感じたことはない。善子ちゃんより容貌のすぐれた人はいっぱいいるし、突然恋に落ちるって僕は一度も経験ないんだけど、みんなあるんだろうか。友だち(僕の友だちは六人しかいない)も妹も、みんな、ないって言ってたけども。
 善子ちゃんは胆力と決断力に富むっていうか、仁をもって義をなすっていうか、なんかこう、武士みたいな人なのである。年齢がいっこしか違わないのが信じられない。少なくとも僕の十倍生きてないとおかしい。いや僕が十倍生きてもああはならないな、うん。
 善子ちゃんが上司になって一年も経つと、僕の肩の上あたりに、「この人が職場じゃなくって僕の人生にいてくれたらどんなにいいだろう」みたいな夢が、ふわふわ浮いてくるようになった。それでもってしょっちゅう残業中の上司から2メートルあたりの空間をうろうろしていたら、上司はある日ものすごい不機嫌な顔で、「もしかして、わたしのこと好きなの」と訊いた。僕はハイと答えた。上司は失笑して、いいへんじ、とつぶやいた。もう不機嫌そうではなかった。
 上司だったときはもちろん苗字に「さん」づけで呼んでいて、おつきあいしてもしばらくは「善子さん」が精一杯だった。やめてよ、と善子ちゃんは言った。ただでさえ何でもわたしの思いどおりにしてるんだから、パワハラ感でちゃうよ。「ちゃん」づけとかがいい。わかった?
 わかった。ので、そうした。
 一事が万事この調子なのだ。

 僕だっていわゆる引っぱっていく系男子をやったことがないのではない。大学生のときにできた彼女には頑張ってそういうふうに振る舞っていた。というか、それが男女のおつきあいだと思っていた。結果、疲れきって別れた。向いてないんだ。
 当時は恋愛に向いてないんだと思ったけど、もしも善子ちゃんが僕の恋人になってくれたのなら、向いてないのは恋愛じゃなくて「引っぱっていく」だったんだろうと思う。
 でも善子ちゃんは自分が僕の恋人だと思ったことはないのかもしれなかった。だってそういう約束したことないから。結婚するときだって、「子どもできたからわたしは産むけど、あなたはどうする? 父親になる?」って訊かれて、超動揺してうなずくことしかできなかったんだからさあ。そんで走って区役所に行って婚姻届もらって汗だくで戻ってきたら「あー、うん」「いいけど、これダウンロードできるよ」って言われた。
 善子ちゃんは僕のことを好きなんだろうか。
 僕がそのように語ると、お、おおう、と友人が言った。僕の六分の一の友人にして、紹介したらあっというまに善子ちゃんの(おそらく百分の一くらいの)友だちにもなった、高校の同級生である。子ども同士の年が近いので時々どちらかの家で一緒くたにしている。
 彼はじっとりと僕を眺めまわして、おもむろに言った。子ども二人も拵えといて、今更なに言ってんだ、おまえ。
 それは、うん、まあ、こさえたけど、それとこれとは別の話じゃん。そう言うと友人は「じゃあ本人に訊け」と言う。それができる人間なら相談なんかするわけないだろ、ばか。

 それからいくらかしてから、子どもが家にいない日が発生した。
 僕らの子どもは元気のありあまった四歳と六歳、そりゃあ手のかかるやつらだ。その子らが奇跡的に、保育園と習いごとの行事で同時に家をあけた。
 僕はやけに広く静かに感じられる自宅をうろうろして、無意識のうちに台所に立った。幼児のいる家の大人はとりあえず何か片づけようとして、片づいていたら食い物を作ろうとするものである。
 すると善子ちゃんが間髪入れず、何やってるの、と言った。子どもがやらかした時の声だった。そんな言われかた、部下だったときにだってされたことなかった。
 善子ちゃんは、待ってな、と言って出ていき、十五分後にほっともっとの袋をふたつ下げて帰ってきた。そうして言うのだった。あなたね、せっかく子どもがいないんだから、料理なんかするんじゃないの。そういう時はこれでしょ、これ。わたしはビールを飲むからね。ウイスキーも飲むからね。
 僕は死ぬほど笑って、彼女が缶ビールをあける一瞬のあいだに、ハイボールをふたつ作った。善子ちゃんのはダブル、僕のはシングル。善子ちゃんは、酒まで僕より強い。そういえば、しばらく一緒にゆっくり飲んでなかったな。
 そうして思った。善子ちゃんは、もしかして、僕のことを好きなのかもしれない。

自分ひとりの食卓

 一度言ってみたいせりふがある。
 「自分しかいないと作る気になれない」である。

 料理は愛情、などという妄言を支持したことは一度もない。子どものころから、バカがバカなことを言っている、と思っていた。料理屋の仕事は愛することではない。料理を出すことだ。愛情は愛情、料理は料理である。本気でそんなこと言うやつは料理のことも愛情のことも何ひとつわかっていないのだ。不幸なことである。おおかた、家庭料理に変な夢を見ているんでしょうね。けっ。
 それはそれとして、美味しいものを食べることは多くの人が享受する幸福のひとつである。その幸福が時に愛の契機になることもあるだろう。わたしなど、気に入りの食べもの屋の店長や板さんやシェフに対し、軽率に「好き!!!」と思う。別につきあうとかじゃ全然ないですけども。愛というのは幅広いものですね。

 わたしは素人ながらにけっこう料理をする。「料理は愛情」では絶対にないが、愛情のある相手に提供するのはやぶさかでない。家族の晩ごはんは週四でわたしが作っているし(毎日はやらない。自分の作ったんじゃないものも食べたいし残業とかするし)、帰省したら一度は両親に食事を作るのが習慣になっている。友人たちを招いてのホームパーティも好きだ。
 そのようにわたしの料理の腕前は多くの人々を相手に発揮されているが、その第一の対象は、もちろんわたしである。

 そりゃそうだ。わたしの好みや体調や気分をいちばん把握しているのはわたしなのだから、当たり前である。
 ぱぱっと作る晩ごはんも、わたしがその日に食べたいと思ったものが中心だ。子どもたちが幼児のころは辛いものや渋すぎるものについては代替を用意していたが、両親がうまいうまいと食べているので興味を示してほぼ何でも食べるようになり、早々に代替を準備する手間から解放された。親孝行なやつらめ。
 それから、わたしは年に一度か二度、自分をもてなす会を開いている。大学生のときからの習慣である。若いころは週末にしていた。今はそのために有休を取っておこなう。朝から電車に乗って気に入りの大きな専門スーパーに行き、午前中いっぱいかけて自分のためだけにフルコースを作り、お酒のペアリングもして、昼下がりからひとりで堪能するのだ。最高である。
 ちなみにわたしの家では、ホームパーティとわたしのひとりパーティをさして「パ」と呼ぶ。パのあとの数日は晩ごはんにパの残りが加わるので、みんなちょっと楽しみにしている。

 さて、先日、少し年上の友人が長い休暇を取った。早くに配偶者を亡くし、仕事をしながら四六時中走り回って二人の子どもを育てあげ、いったん休みたくなったのだそうだ。旅行でもするのかと思ったらどこにも行かずに家にいると言うので少し心配になって様子を見に行った。
 そうしたらリビングの隅に段ボールがあって、何かと訊けばカップうどんだと言う。いま晩ごはんはだいたいこれなんだあ、と言う。見れば素うどんである。
 わたしは驚愕した。子育ての忙しい時期に重宝するレシピをたくさん教えてくれた彼女が、ブリくらいまでなら捌ける彼女が、春になったら山菜の煮物をお裾分けしてくれた彼女が、素うどん。エブリデイ素うどん。
 いや素うどんは何も悪かないですが、えっと、インスタント食品を箱買いするなら、何種類かあったほうがよかないですか。飽きるでしょ。
 よかないよお、と彼女は言う。選ぶのめんどくさいもん。昼は近所の定食屋で日替わりを食べてるから栄養は大丈夫だよお。
 自分ひとりだと、何も作る気にならないじゃんねえ。

 わたしは言葉に詰まり、それから言った。あの、わたし、自分ひとりのために料理してます。家族にはそのついでに作ってるって思ってました。子どもが小さいときは別ですけど、あとは自分が食べたいものを作ってました。自分ひとりのために気合い入れて料理するの、すごい楽しみにしてます。そこまではしなくても、あの、だいたいの人は、第一に自分のために料理してるって思ってた。
 友人はにこりと笑って、言った。それは幸福なことだね。素晴らしいと思うよ。そして珍しいと思うよ。

 友人は褒めてくれたが、わたしは、少し恥ずかしい。薄々気づいてはいたが、食いしん坊が度を超している。あと、なんていうか、こう、繊細さに欠けるっていうか、ちょっとデリカシーが足りない感じしませんか。原始的っていうか。
 そんなだから、わたしも一度くらい、「自分だけだと料理する気になれないな」とか言ってみたい。

才能に戻る

 筋トレを減らして走ろうかな、と思う。

 中年期の身体メンテナンスとして週二回ほどマシントレーニングを続けて二年ほど、ふだんは一人でやっているのだが、トレーナーに状態を見てもらった。そうしたら、「特別なスポーツをするのではない中年女性としてはじゅうぶんな筋力があり、バランスも悪くない」とのコメントを得た。
 そしたら筋トレ減らそうかな、と思った。だって筋トレが楽しいと思ったこといっぺんもないんだもん。老化して筋力が落ちたからしょうがなくやってて、なんなら「加齢にともなう税」って呼んでるんだもん。ほら昔あったじゃん税を労役で払うやつ。そんで他の運動をしたい。もっと楽しいやつ。
 他のって、何を。
 そう思って、ないかも、と気づいた。
 ときどき区民プールで泳いでいて、これは端的に気持ちいいから好きなのだが、飽きてもいる。もともと泳ぎが大の苦手で、大人になるまでクロールができず、平泳ぎ一辺倒だった。今でも九割平泳ぎである。そりゃ飽きる。
 運動の手持ちのカードが貧弱すぎる。このままで長い中年期を健康に過ごせる気がしない。

 同世代の友人の中にはヨガをやっている人が幾人かあるが、わたしはヨガとはあんまり気が合わない。ヨガそのものではなく、ヨガに付随するさまざまなイメージと気が合わないといったらいいだろうか。いや、おしゃれで素敵だと思うんですよ。ただね、わたしの個人的な指向として、その周辺に疑似科学とかある種のスピリチュアルとかの気配がちょっとでもすると、「うへえ」ってなっちゃうんです。ヨガに罪はないです。
 他の友人たちにどんな運動をやっているか尋ねてみると、「これまでもしてこなかったし、これからもしない」との堂々たる回答、「散歩をしている」という枯れた回答があった一方、なんかすごく運動している人もいた。キックボクシングで他人とスパーリングするレベルにまで達していたり、わりと難易度の高い山に登ったりしているのだ。いつのまに。
 山登りをしている幼なじみが言う。
 そしたら走ったらいいじゃん。わたしもしょっちゅう登るような時間はないから、ランで体力づくりしてるよ。あなた、走ることについては才覚があるはずでしょう。ていうか、他に才覚のある運動はないでしょう。球技は全滅、スキーやスケートもだめ、ダンスに至ってはこの世の終わりを連想させる。しかしどこまでも走る。メロスのように。そういう子だったでしょう。
 言われて思い出した。
 走ることはある時期までのわたしにとってあまりに当たり前のことで、「やっていた」というほどのトレーニングを受けたこともなくて、だから「運動」のバリエーションに入れるのをすっかり忘れていたのである。
 中学校から陸上部に所属したのはどこかの部活に入らなければならなかったから、そして学校の体力測定の結果「陸上部で中長距離を走れ」と言われたから、さらにお金がかからなかったからである。一足きりの自分の靴だったスニーカーと体育で使うジャージで学校のトラックと河川敷を走っていた。文字どおりただぼけっと走って、たいしたフォーム矯正もされなかった。そんなに熱心な顧問ではなかったのだ。それで東京都大会まで行った。電車賃がかかるのが、少しいやだった。
 そうして部活動が義務でなくなると、そのことをすっかり忘れた。

 大人になって考えてみると、これはたしかに価値ある能力である。それで将来が開ける種類やレベルの能力ではないので、子どものころはどうでもよかったのだが、もうとうに大人で職があるから将来は開かなくていい。
 友人が言う。
 人よりうまくできることをやるのは楽しいものですよ。
 友人が山登りをはじめたのは年をとってから才能が開花した叔母の影響なのだそうである。彼女の叔母は特段のスポーツ経験のないまま五十代の終盤を迎え、疫病流行下で退屈して登山をはじめ、あっというまに冬山だの山小屋連泊だのをやるようになり、先だっては剱岳から元気に帰ってきたそうだ。還暦を迎え余暇にまかせて百名山の九割を踏破、その間すり傷以上の怪我をせず、高山病にもなったことがない。
 才能、と彼女は言う。それが大げさなら、素質。
 叔母にそんな素質があるなんて周囲も本人もわからなかったの。なんていうか、夢のある話だけど、そこまでじゃなくても、すでにできるとわかっていることをやるのも、いいもんだと思うわよ。わたしは思うんだけど、若いころに誰にも見つからなかった、見つかってもすっかり忘れていた才能に戻って楽しむのは、年をとった人間の特権なんだよ。だってもう才能を使って何か役に立つことをする必要がないんだから。

ロマンティックの適齢期

 友人がやって来る。店の入り口でわたしを探す。わたしは軽く手を挙げる。それから、お花、と思う。友人の背景にお花が飛んでいる。そんなふうな感じがする。昔の少女マンガみたいに。そもそも、待ち合わせのためのメッセージの文体が変わっていた。
 これはあれですね。恋ですね。
 そう思ってそう言うと、わかるうー? と彼は言う。照れ隠しの語尾が犬のしっぽみたく揺れてる。
 ごめんね髭面のおじさんの恋バナ聞かせて。でも話すね。
 おう話せ話せとわたしは言う。おじさんでもおばさんでもおじいさんでもおばあさんでも好きなようにやったらいいのよと言う。髭だって好きに生やすといい。
 「おじさんなのに」という含羞を、わたしは嫌いではない。あんまりよくない感じの規範を内面化しているな、とは思うが、それはそれとして、「自分はこうでありたいと思ってやってきたのに、どうしてもそのようにいられないほど重大なことが自分に起きた」と思って、そうして自分の中の決まりごとからはみ出す、その様相は、味わい深いものである。格好をつけるのは、いざというときそこからはみ出すためだもの。

 読んでいる小説などから推測するに、彼はとてもロマンティックな人物であり、しかし、そのロマンと本人の属性の相性があんまりよくなくて、人気があるわりに恋愛が長続きせず、それでもがんばって恋愛して結婚して、四年で離婚した。そうしてそれを「結婚に失敗した」と言っていた。
 離婚は失敗ではないだろう。
 わたしはそう言ったのだが、彼は「僕のは失敗だったんだ」と言い張った。
 話を聞くだに、彼が結婚していた女性にはさまざまな要望があって、そのすべてをかなえなければならないと強く思っていて、彼女が決めた期限のあいだに子どもができなかったことが決定打になって離婚を申し入れた、ということだった。
 そこまで愛されてなかったんだよ。彼はそのように話した。自分は彼女が「結婚」に求める条件を満たさなければ破棄される程度の存在だったのだと。
 そうかなあとわたしは思う。単に相手の気が変わってあんまり好きじゃなくなっただけかもしれないのに、と思う。
 でも言わない。

 彼は離婚後、一人で楽しそうに暮らしていて、ときどき会っても浮いた話はしなかったのだが、四十代の半ばになって久しぶりに「恋バナ」をしたいのだと言う。
 よかったなあ、とわたしは思う。
 彼は有名な学校を出てよく知られた組織で響きの良い肩書きをもらっているので、若いころには彼の属性を好きな人が山ほど寄ってきた。わたしなどは「肩書きもモテのうち」と思うのだが、彼はロマンティストであるからして、属性を真っ先に見られることに納得がいかないらしかった。
 そうして「この人は肩書きめあてじゃない」とのめり込んだ相手と恋愛して結婚して別れたので、「僕はもういいです」などと言っていたのだけれど、このたび何やら素敵な出会いがあったとのことで、よかったなあと思う。

 いい年なので、と彼は言う。浮かれたくないんだけど、でもよく考えたらいい年だから浮かれていられるのかもしれない。相手も、自然に子どもができる年齢でもないし欲しいとも思っていないと、うん、そのように言っているんだよね、僕もそれは正直必要じゃないし、知り合った段階でお互い一人で生活してるから、何かしてあげなくちゃいけないってこと、ないし、理想の家庭みたいな夢ももう持ってないからさ、ただ浮かれてるだけなんだ。
 よかったねとわたしは言う。

 わたしは思うのだが、若いころの恋愛にはロマンの割合が意外と少ない。恋愛が結婚や出産と緊密に結びつくとされている年齢にあってそれを撥ねのける意思もとくにない場合、生活という要素がくっついてくる。自分が生活に求める条件をクリアした上でロマンをやろうとするから苦労するのである。
 そうして、若いというのは、可能性があるということだ。だから多くの人は「恋愛」とか「結婚」とかのハコに大量の仕切りを作ってラベルを貼る。こういう人でなくては、こうしてくれるのでなくては、自分もこれくらいするのでなくては、何年後かにはこうなっていなくては。
 タスクに次ぐタスク。大変である。
 それに比べたら一人で楽しく生きているおじさんとおばさんの恋愛は楽ちんなのかもわからない。

 よかったねとわたしは言う。それから、友人とその相手の人が「こうでなくては」合戦はほどほどにして(ゼロということは、たぶんないから)、ぽわぽわ楽しんでくれますように、と思う。

彼女の最後の言語

 大伯母が英語を話さなくなった。

 彼女のことを知らない人に話すときには「大伯母」と言うが、そんな機会は滅多になく、だから僕はそう口にするたび、「そうかこの人は大伯母だったのだよな」などと思う。彼女は親戚のあいだで「ジェシカ」と呼ばれている。僕もそう呼んでいる。本名ではない。アメリカに渡ったときに自分でつけたあだ名である。
 ジェシカは、当時の日本人女性としてはかなり珍しいことに、三十近くまで結婚せず服飾デザインの仕事をしていて、それから単身アメリカに渡り、あれこれ仕事をしたのち雑貨商になって、成功したというほどではないのだが、少なくとも自分を食わせて自分の家を買うくらいには稼ぎ、いちど遅い結婚をし、その相手を亡くし、またボーイフレンドを作るというような生活を送って、いまや九十、えっと、いくつだったかな、とにかくまだ百ではないが、百に近い。子どもは産んだことがあるが、正式にはいないことになっている。

 日本の親戚側のジェシカ向け窓口をやっていた大叔父が高齢になり、また、インターネットに疎い人だったので、ジェシカが電子メールを使いはじめたタイミングで僕がその役割を継いだ。アメリカに旅行したときに二度ばかり泊めてもらって、わりと気が合ったからである。
 それからももう結構な時間が経ち、僕も中年になった。ジェシカとの関係は相変わらずで、年に一度くらい来るジェシカのメールに返信をし、正月に親戚との通話を取り持って、親戚の誰かが死ねばメールを出している。
 ジェシカには日本語を話す友だちが何人かいたのだが、その人たちも亡くなったとのことで、僕とのやりとりも英語の割合が増えていた。そのほうがラクだから、とジェシカは言っていた。タカシが英語を理解してくれて助かるわと。タカシの英語力そんなたいしたことないんだけど、話す内容が限定的だし、こう、雰囲気でね。
 このようにして人は少しずつ移住先の人としての濃度を高め、そして死ぬんだな、と僕は思っていた。
 そのジェシカが、英語を話さなくなった。

 そのことを知ったのはジェシカ自身からではない。ジェシカのボーイフレンドからだった。彼は僕の、ろくに使用していなかったFacebookアカウントを見つけだし(年下のボーイフレンドとはいえ、彼だって相当の年齢なのだから、たいしたものである)、そうして書いた。ジェシカが日本語しか話さなくなったんだ。一度連絡してくれないか。
 僕は驚いた。だって去年の正月にも、ジェシカは「日本語を話すと疲れるわ」と言っていたのだ。
 さしものジェシカも少しずつ引っ越しをしているのかもしれないね。
 僕のメッセージに対し、ボーイフレンド氏はそう書いた。つまり、天国に、と僕は思った。天国では人は母語を話すのだろうか? それとも天国に行けばどちらの言葉の能力も取り戻せるのだろうか? その前段階として、語学力が間引かれていくのだろうか? 六十年以上メインで使っていた言葉さえも?
 なんてね。天国、だなんて、レトリックとしての使用すらできない。そんなものがあるはずがない。死後の人間は無になるとしか思えない。

 ひとまず僕の両親(これまた老人たちである。この話には老人しか出てこない)にこの件を報告すると、彼らは「やっぱり日本の土を踏んで人生の最後を過ごしたいのではないか」というようなことを言った。僕はあいまいに笑った。
 日本の土、ねえ。
 ジェシカが日本に帰りたがっているとは、僕にもボーイフレンド氏にも思えないのだった。そもそもジェシカは、サポートを受けながらではあるが、九十代半ばまで一人暮らしをする体力と頭脳を有していて、僕とボーイフレンド氏が知るかぎり、この二十年以上、一度だって帰国したいとは言わなかった。それどころか常時介護が必要になったときに入る施設に費用を先払いして予約していた。正月に通話するとき、最後に僕とだけ話すのが恒例で、そのときの口癖は「わたしは本当にこの国に来てよかったわ」だった。

 僕は年末年始の休みに有休をつなげてジェシカの様子を見に行くことにした。若いころに何日もタダで泊めてもらって、何なら小遣いももらったのだから、それくらいする義理はあるだろう。彼女は書面を作って後見人をつけていたはずだから、その人と話をしてみよう。
 もちろん、いま現在の彼女のいいようにしてあげたい。そう思う。それでも一方で、こうも思う。ジェシカが僕の知るジェシカのまま、「やっぱり日本の土を踏みたい」なんて言わずに、あの古くさい派手な化粧で大量の笑いじわを動かしてアメリカでの人生をまっとうしてくれたら、どんなに美しいだろうかと。