傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

女に甘い女

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために三年ちかく会っていなかった古い友人から連絡があって、顔を合わせたら、年月では説明がつかないほど人相が変わっていた。どうしたのかと尋ねると、恋愛をしたと言うのだった。
 その話を簡潔にまとめると、結婚していて子どももいる上司の二番目の女みたいな立ち位置になり、その男が「押し切られて結婚し、みるみる醜くなった妻を愛せないが、子どものために耐えている」というようなことを言われ、「女磨き」に力を入れて自分の部屋で男を待つ生活を二年続け、あげく連絡先をブロックされた、という話だった。
 もちろん古い友人が直接そういう話をしたのではない。時間をかけて事実を確認したらそういうことだったのである。実際の話し方としては、「とても素敵な人から情熱的に愛を告白され運命的な恋に落ち大切にされていたが、どうしても一緒にいられない事情があり、お互い好きでたまらないのに彼がわたしの幸せのために身を引いてしまった」というようなものだった。
 わたしは怒り心頭に発し、何だその男まだ同じ会社にいるのか今からわたしが電話してやると息巻いて止められた。

 腹立ちがおさまらないので、別の友人に会ったときに子細を説明し、「一緒にそのろくでもない男の悪口を言ってほしい」と頼んだ。すると友人は眉根を寄せてわたしを眺め回し、そんな陳腐な男に使う悪口はないよ、と言うのだった。よくある話じゃん。わたし二十代から何度もそういう話聞いてるわ。若いうちは相手が既婚じゃなかったりするけど、まあ同じよ。パターンよ。テンプレよ。
 わたしは驚いた。世の中ではありふれた話なのかもしれないけれど、身のまわりの人からそんなひどい話を聞いたことはなかったからだ。
 そりゃあね、と友人は言う。若いうちは相手が結婚してなくて、恋人がいることを隠して近づいて二番目三番目をゲットするパターンが多いから、引っかかったとしても、「世の中にはひどい人間がいるものだ」「そういう人間に引っかかってしまったのはなぜだろう」と思って、考えるよ。だから友だちに話すとしてもトーンはちがう。年とって引っかかったらなおのこと考えるから、友だちにも言わない人が多いでしょうよ。
 「自分たちは悲恋の運命のもとに出会ってしまった」という認識を持ち続けるケースは少ない。そこまでずれた認識を持ってきて「肯定してくれ」と言われても、わたしにはできない。それでね、はっきり言って、あんたが女をひたすらかわいそうがって男の悪口ばかり言いたがるのも、同じくらい認識がずれてるの。おかしいの。

 わたしは二度驚いた。だって悪いのはその男じゃないか。たしかにあの子には恋に恋する少女のようなところがあるけれど、だからといってそれが悪いというのは酷ではないか。純粋でひたむきであることが悪だとでも言うのか。
 わたしのそのせりふを聞いて友人は顎を下げ、わずかに口の端を上げた。それから言った。さっきの話のひどい男に対して「あの人は少年のような人だから」って言われたらあんたどう思う。
 わたしは即答した。幼稚な男が理屈に合わないことしてるだけだと思う。

 友人は右手で軽くトスの動作をしてみせる。
 そして言う。あんたは女に甘すぎる。とくにお気に入りの女に。ちょっと度を超えている。そういう女の話をするときのあんたは、それこそまったく理屈に合ってない。
 わたしはそんなことを言われたためしがなかったから、すぐに返答できなかった。お気に入りの女?

 友人は言う。
 思うんだけど、いわゆる男好き女好きというのとは別に、男という存在が好きな女と、女という存在が好きな女がいて、あんたは後者のだいぶ極端なやつなのよ。あんた自身が異性愛女性だとかそういうのはあんまり関係ない。いや関係あるのかもしれないけど、あと男とか女とかのカテゴリ自体への疑問をわたしあたりは持ってるんだけど、そういうのはまあ置いといてさ。女に甘い女なんだよ、あんたは。同じように男に甘い女もいる。その中でもあんたは極端。対象が男ならばんばん断罪するくせに、お気に入りの女はどこまでも庇う。お気に入りじゃなくてもかなり甘い。見知らぬ相手にもデフォルトで甘い。自覚ないなら気をつけなさいよ。そろそろ部下を持ったりするんだからね。公平にやんなさいよ、ほんとに。

 わたしはとりあえず言った。仕事のときに性別で差をつけたりなんかしないよ、わたしそういうの嫌いだもん。
 仕事以外では、と言おうと思ってことばが出なかった。仕事以外では不公平でもいいような気が、少しした。

人間でない男

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために友人たちとの集まりも控えていたのだが、近ごろは「いくらなんでももういいだろう」という雰囲気である。疫病以来の帰省、疫病以来の再会、疫病以来の帰国といった話がよく耳に入る。
 そんなわけで疫病前は毎年会っていた高校の同級生たちと再会した。皆でお弁当を食べていた仲である。
 四十代になっても人生は変化するものらしく、転職したとか、子どもができたとか、彼氏ができたとか、近況報告だけでずいぶん盛り上がった。それが一段落して、娘さんは元気と訊かれた友人が持ち出したのが、ホストの話だった。自分の子どもの同級生がホストに入れあげていてたいそう驚いた、という話である。

 この友人はなにしろまっすぐな人間である。この世には正義があると思っているし、愛は素晴らしいと思っているし、人間同士はわかりあえると思っている。そんなだから、「十代の子どもがホストに行きたいという気持ちについて、同世代の娘の解説を受けてあれこれ考えたところ、そういうこともあるかもしれないと思った」などと言うのだった。
 誰かが「いや大人がその気持ちをわかると思ったらいけないでしょう」と言う。そうするとみんながホストの話をはじめる。「一度行ってみたい」とか「ぜんぜん興味ない」とか「行ってみたけどつまらなかった」とか、やいやい言う。
 行ったことないけどぜったいに行かない、とひとりが強く言う。みんなが彼女を見る。彼女は言う。
 わたしはベタな少女マンガみたいなロマンティックが好きなんだ、自分でわかってるんだ、お姫さま扱いされたらコロっと落ちる。ありふれた営業のせりふを聞いて「自分を見いだしてもらった」「特別な言葉をもらった」とうっとりする。そして定期預金を崩す。自分でわかってるんだ。だからぜったいホストなんか行かない。定期預金のために。

 わたしはびっくりした。わたしは生まれてこのかた、ベタな恋愛ものの少女マンガの主人公の気持ちがわからない。マンガのお話を面白く読みながらも「主人公はどうしてこんな男が好きなんだろうなあ」と思う。だって、そういう男って、基本いばってるじゃん。「おまえ」とか言うじゃん。言えばいいこと言わないみたいなコミュ障でもあるじゃん。壁ドンとかぜったい無理。
 でもそれは、マンガの中では「かっこいい」ということになっているのだった。現実ではそうでないのかといえば、そんなこともなく、たとえば客商売で似た様式が提供され、一部の女性に好評を博しているようなものでもあるのだ。

 だって、いばるのに、とわたしは言う。いばってお金取る人の何がいいの。

 彼女はわたしを見て笑う。あなたはピュアだねと言う。あのね、ここで言う「男」は、えっと、「女」でもいいんだけど、とにかく、そういう対象は、人ではないの。神さまとか妖精とか、そういうのなの。一部の人間にはきれいな人間のなりをした自分向けの上位存在を求める機能がインストールされているの。妖精にかどわかされたいの。神さまに見つけ出されたいの。美しいものに特別な価値を与えてほしいの。
 わたしの夫は人間ですよ。彼女は言う。人間だからかっこ悪いところもあるし、ていうか普通のおじさんだし、だからもちろんいばらないほうがいいし、皿を洗ってくれたほうがいい。ほつれたパジャマを着て口あけて寝ててもいい。でもね、そういうのはわたしにはロマンティックじゃない。ロマンティックを経由してそこに行けたらいちばんよかったんだろうけど、わたしにはそれは来なかった。
 来なかったことにいまだに未練があるから、お金めあてのつまらないテンプレートにでも引っかかる自信がある。そりゃあもう、頭がぼーっとしてふわーっとお金出しちゃう自信がある。だから行かないの。

 残りのみんなは「最近のホストにはさまざまな営業形態があるらしい」という話に移行していた。
 わたしはそれを片耳で聞きながら彼女の顔を見た。ピュアなのはわたしではなく、この人じゃないかしらと思った。恋愛沙汰やパートナーシップの相手が最初から人間でしかないわたしが見たことのない美しい神さまの夢を見て、いまだにそれをうしなっていない。
 わたしがそのように言うと、彼女は苦笑してこたえた。人間に人間じゃない役割を求めるなんて、ぜんぜんピュアじゃないよ。そのうえ定期預金のほうがずっと大事なんだから。

僕の目下の男

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから三度目の冬が来て、僕はつくづく「目下の男」のありがたさを実感しているところである。

 「目下の男」というのは、僕が特別仲良くしている同性の友人を指す。僕の以前の彼女がつけた名前で、わりと気に入っている。単にいちばん仲が良い友だちというだけでないニュアンスがあるんだけど、うまく言えない。
 僕には同性愛の経験はない。「女の子と恋愛をしたことがある。でも男女両方が色恋の対象になる可能性をナシだと決める理由はない」と思って素敵だなと思ったゲイの男性とデートしたことはあって、でも女の子みたいに好きになることはないなと感じた。たまたまその人と恋に落ちなかっただけかもしれないけれど、まあともかく、今現在までの僕は異性愛者男性ということになるんだろう。
 「目下の男」も恋愛の対象ではない。性欲とか独占欲とか、身体が近しい感じとか、甘えたい感じとか、自分が相手にとって最優先であってほしい感じとか、そういうのがない。
 それでも「目下の男」は他の友だちとは違う特別な相手だ。よく「きょうだいみたいだね」と言われる。でも本物のきょうだいよりよく会うし、よく話す。そしてそれが当然だと感じる。ちょっとした頼みごとをよくするし、される。ちょっとしてない頼みごとも必要になったらすると思う。相手の役に立ちたい気持ちと頼りにしたい気持ちが強くある。そいつの前で僕は油断していて、リラックスしていて、でもときどき格好つけたくなる。僕はそいつと仲良くなることに苦労しないし、そいつも出会ってすぐのころから僕を特別扱いする。
 それが僕の「目下の男」である。
 「目下の」がつくのは、僕の人生にはしばしばそういう男がいて、そして季節が変わるように相手も変わるからである。永遠の存在ではない。だから「目下」。

 保育園のときからすでにそういう相手がいた。小学校に入ってすぐ交代して、その子と五年生くらいまで続いて、六年生は少し孤独、中一から中三にはまた別の同級生と仲が良く、高校一年から二年まではすごく孤独だった。高三で出会って大学を出るまで仲が良かったのは予備校で出会った男である。
 「目下の男」がいないとき、僕はとてもさみしい。彼女がいないときより、ずっとさみしい。彼女はいたら楽しいけど、いなくてもわりと楽しくて、どうかすると何年も平気で彼女なしで過ごしたりする。でも特別に仲の良い同性の友だちはいつもいてほしい。
 そういうのってみんなにはないんだろうか。

 僕は同世代の男の集団がちょっと苦手だ。同じ集団でもいろんな人がいればOKで、女の子とか外国人とか、十歳以上年が離れた人とか、そういう別の属性を持つ誰かがいたほうがラクにおしゃべりできる。
 競争は嫌いではない。職場で業績を争うのとかは得意なほうだ。でも同性代の男同士の、くるくる移り変わる微妙な力関係みたいなのをうまく乗りこなせない。その中でえらそうな顔してるやつを好きになれたためしがない。
 そんな人間を見つけて良くしてくれるのが、たぶん僕の「目下の男」なのである。
 僕の「目下の男」たちはみんないいやつで、勉強や仕事ができて、顔かたちも整っていて、同世代の男たちからも好かれるほうなんだけど、でもきっとどこかで集団に飽き足らなくて、一対一の友情を必要としていて、それで僕を選んでくれるんじゃないかと思う。

 現在の「目下の男」とは、就職のために東京に出てきてすぐ、趣味仲間の紹介で知り合った。お互い海外旅行が好きなんだけど、疫病のために行きにくくなったので、腹いせのように互いの家によく行き、隙を見て国内旅行をした。
 このたびそいつが疫病流行以来初の海外旅行を敢行する。そうして、現地で今の彼女にプロポーズするのだそうである。めでたいことだ。彼女もとてもいい人で、二人の結婚が楽しみである。
 楽しみなのだが、結婚しても僕と遊んでくれるだろうか。

 僕はそれがちょっと心配である。ライフステージが変わると友情も変化するというからねえ。僕もう全然、料理とか子守とか得意だし、だから彼らに子どもができて忙しくなったらサポート部隊として名乗りを上げるつもりだし、きっと役に立てると思うんだけど。

 でももしかすると疎遠になってしまうのかもしれない。特別でない、たまに行き来するだけの、普通の友だちになるのかもしれない。それはそれでしかたのないことだ。何しろ彼は「目下の」男なのだから。

羽鳥先生の静かな正月

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それ以来、盆正月恒例の集まりは基本的にオンライン、ときどき対面というぐあいになった。
 恒例の集まり、といっても親戚づきあいではない。大学の先輩後輩三名の集まりである。同業で気心知れていて職場が別なので、情報交換に適した人選なのだと思う。いつかの集まりで僕がそう言うと、メンバーのひとりから「ただ友だちなだけでは?」と言われた。そうかもしれなかった。
 ただ友だちなだけで盆正月に会うのはおかしいと言われたことはあった。電話をかけてきて帰省の日程を尋ねた母に「その日はこういう予定があるので」とこたえたらそう言われたのだった。僕は自分の振る舞いが一般的でないと自覚しているので、「わかりました」とこたえた。そうしてそれ以来よその人に盆正月の予定を訊かれたときには「その日は仕事の都合で」と答えている。

 僕の帰省は半ば以上、弟のためにしていることである。
 僕は故郷に帰りたいという欲求を持っていない。地元の友だちもいない(そもそも友だちが一桁しかいない)。愛着というようなものがもしもあるとするのなら、東京の一人暮らしのマンションと、長く勤めている職場にある。でもそれもたいした愛着ではないように思う。
 両親や弟と仲が悪いのではないが、だからといって毎年会いたいかと言われればそうではない。同じ家に住んでいたときから、その感覚は変わらない。たぶん生まれつきそばに人がいることがあんまり好きじゃないのである。もちろん誰かと家族になりたいという欲求もない。四十代半ばの今まで一度もそう思ったことがない。なんならマンションの隣の部屋に知らない人がいるのがうっすらストレスである。だから常に角部屋を借りている。
 正月の帰省は親戚が集まる日に合わせている。僕の生家は交通の便のよい場所にあるので、昼前に着いてその日の最後の新幹線で帰る。そうすればよその家(実家だが、感覚として)に泊まらなくてよい。最終に間に合わないときはホテルを取る。

 弟は僕とは違う。友達がたくさんいる。地元の大学を出て地元の優良企業に就職して三十手前で結婚して子どもを二人持ち、実家からほどよい距離に家を建てて住宅ローンを繰り上げ返済している。
 すごい。僕はそういうのぜったいできない。
 十年ほど前、僕がそう言うと、弟は苦笑した。兄貴はねえ、できないというか、やりたくない、そしてやたくないことが絶対にできない、そういうタイプ。殺すって脅されたら少しは俺みたいな人生ルートをやれるかもわからないけど、うーん、できなくて死ぬかも。でもいいじゃないか。兄貴は立派だよ。たまに親に息子自慢をさせてあげてくれたら、あとはこっちのことは何もしなくていいよ。なに、兄貴にはたいした肩書きがあるから、多少変人でも、正月に顔を見せるだけで「立派に育った」「あの子は昔から秀才でお行儀がよくて」ということになるから。
 弟がそのように言ってくれなければ、僕は親戚の中での自分の立ち位置さえわからないのだった。
 そんなわけで僕は談笑(としてパターン化した行為)をしながらご馳走を食べているふりをする。食べたくないときに食べることは嫌いなのでふりである。酒は飲みたくないので飲まない。ときどき酒食を強要されそうになるので台所に逃げて皿を洗う。以前は男が台所に来るなと伯母に叱られたものだが、今はなあなあである。
 幼い親戚のひとりが大きな声で電車のアナウンスを再現しながら歩き回る。その子の母親が慌てて彼を連れて部屋を出る。僕の隣の伯父がつぶやく。あいつ治ってないんだな、頭がおかしいのが。

 頭がおかしいのではない。状況のランダムさに耐えられなくなると、自分が好きで知っているものを再生して安心したくなるのだ。とても人間らしい心のはたらきだと思う。僕は黙って窓の外を見て通り過ぎる車のナンバープレートの数字を足し算していたから、誰も問題にしなかっただけだ。
 伯父さん、と僕は言った。ああいうくせは僕にもありましたよ。そんなにおかしなことではないです。まわりの人がびっくりしないように振る舞う訓練をしているところだと思いますよ。頭はおかしくないです。
 叔父が僕を見る。どう答えようか考えているようだ。僕はもう一度、今度はちょっと気弱な子どものころみたいな気持ちで、言う。頭がおかしくはないです、伯父さん。

 帰省の翌日は例の先輩後輩との集まりだった。今年はオンラインである。その中で「こんなことがあった」と話すと、彼らは手放しで僕を絶賛した。まあ、褒めてくれると思って話したんだけど。

敏感な世界に生きる鈍感なわたし

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。弊社ではリモートワークが定着し、勤務先の人々の顔を見る機会が減った。社内に物理的に存在する人間が少ないために、数少ない対面が密室化しやすくなった。そうして、その中で重大なハラスメントが発生したために、上司と部下等の個別面談に関するガイドラインを作成するはめになったりした(わたしが)。
 わたしはハラスメントや労働問題の専門家ではない。まったくないのだが、「あの人にやってもらおうよ、人権とかめちゃくちゃうるさそう、もとい、詳しそうだから」という偉い人の一声で担当するはめになった。それ全部言うの、正直すぎやしませんか。最後のだけでいいでしょうよ。
 わたしがそう言うと、偉い人は「僕だって心の声を全部出したりしないもーん」と言った。
 本音を言うと、小うるさいガイドラインを作って誰かに嫌みを言われたりしても、あなた、ぜんぜん気にしなさそうだからだよ。若い女性部下と二人きりになりたがるおじさんたちに憎まれても、どうってことないでしょう。なんかひどいこと言われたら録音して僕のところに来るでしょう。

 そのとおりである。わたしは自分が若いころ、当時の上司に面談と称して長時間密室で社外での「つきあい」を強制されたとき、「録音します」と言い、そのあと別部署に飛ばされた履歴を持つ。そこでわたしを拾ったのが、このたびわたしにガイドライン作成というイレギュラー業務をぶん投げた偉い人である。
 わたしには社会性がまるきりないのではない。少なくとも自分ではそう思っている。ハラスメントを容認する・しない、どちらが自分にとって不利益が少ないかを天秤にかけ、より少ないほうを取っているだけである。別部署に飛ばされるより、何なら辞めさせられるより、容認するほうが心理的に負担で、自分にとってより損だった。それだけである。その後もずっとその方針でやってきた。
 わたしは同業他社の前例を調べてちゃちゃっとガイドラインを作り、偉い人は意気揚々とそれを全社に申し渡し、わたしはいくつかの嫌みを言われた。録音はしなかった。たいした内容ではなかったからである。わたしが新人だったころから二十年、世界は変わった。「人権振りかざすババア」にたいしたこと言えないんだよな、もう、みんな、少なくとも、うちの会社では。
 そういう潮目を見ている段階で、わたしの社会性はゼロではない。ゼロではないが、やはりわたしは鈍い。強いのではない。鈍いのである。他人が気にすることが気にならない、その確率がやたら高い。

 そんなだから敏感な部下の気持ちがわからない。わたし、敏感なんです、と本人が言わなければ、その人が敏感だと自分を認識していることにも気づかなかっただろう。
 そうですねとわたしはこたえた。わたしが鈍すぎるので、すみません、と言った。その部下は少し黙って、いえ、わたしが特別に敏感すぎるんです、と言った。
 しかしわたしの目には、その部下の敏感さは特別ではなく、典型的なもののように見えた。自分の周囲の人の目、人の言うこと、人の評価、そういうものをとても気に病む。そして気に病んでいる時間が長く、気に病んでいる対象との問題解決に使用する時間は短い。採用する問題解決は当人同士の話し合いではなく、密室で第三者(たとえばわたし)に訴えかけるというものである。
 わたしが知るいくつかの例にかぎるのだが、その種の「敏感な人たち」は密室と権力者が好きである。部署内で権力を持つわたしと二人きりで、部内の別の人との関係について語りたがる。気にしている相手本人とではなく、オープンな場ででもなく。そうして彼らが訴える内容は、「人権にうるさい」わたしにとってもハラスメントとは言えないものである。
 せっかくガイドラインを作ったのに、そこに「特段の事由がなければ、面談は複数でおこなう」「特段の事由があると判断した場合も、別途記載の担当者に面談を実施する時間と場所を予め知らせてからおこなう」と書いたのに、読んでくれていないのだろうか。
 そう尋ねると部下は「読みました」とこたえた。読んだけれど自分は該当しないと、そう思っているのだそうだ。

 どうしてだろう。
 どうして「敏感な人たち」は自分をデフォルトで特別な存在として扱うのだろう。特別扱いを当たり前のように要請するのだろう。

 その部下は特別ではない。だからわたしは、その問題は会社やわたし個人が解決する性質のものではないですと言う。

 わたしは密室を出る。わたしは息をつく。わたしは、プライベートの特別のときを除いて、密室を好きではない。 

成長は自動で訪れない

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために多くの学校でオンライン授業が導入されたが、わたしの勤め先の専門学校は比較的早く対面を再開した。
 それでも学生たちの生活に影響が出ないはずはなく、休学や退学は増えている。わたしは学校事務をやっているのでその増加が如実に感じられれる。多くがお金の問題で退学せざるをえないので、わたしも一緒に悲しくなってしまう。
 その中にはびっくりするようなケースもある。

 除籍でいいんだと言っています。わたしはそのように報告した。
 この前の保護者、学生が学校に来なくなったのに面倒見なかったのはどうしてかって怒ってたお母さま、学費払わないって言うから、そうすると除籍になって、今まで取った単位も認められないし、名誉なこととはいえないと思いますよとご説明して、そしたら「除籍は納得がいかない」と繰りかえしていらしたんですけど、事務的な対応に終始していたら「このままでは除籍になると担任の先生に伝えてほしい」というようなことをおっしゃいました。
 担任の先生はわたしの話が終わるのを待ってふうとため息をつき、伝えた、とだけお返ししておいてください、と言った。わたしは話しません。担任教師が保護者に対応する範囲を超えています。

 この先生はふだんは人情派である。今回の保護者が最初に電話してきたときには、なんと一時間もつきあっていた。横で聞いていてもその辛抱強さに感心したものだ。
 それが今回は「話さない」と言う。労を惜しんでのことではないだろう。校長先生が「ここから先は事務的な対応を」と指示したからだろうか。
 わたしがそう尋ねると、担任の先生はそれもありますけど、とつぶやき、それから言った。あのね、それ、いわゆる試し行為ってやつです。そういうのに乗っても何もいいことはないんです。

 試し行為というのは、相手の情愛が自分に向いていることを確認するために自分の危機を示すようなことです。あれですよ、ほら、恋人に「別れるなら死んでやる」って言うみたいなの。自分を人質に取って相手の情愛を確認したいというか、自分が望むリアクションを獲得したい、そういうやつ。
 わたしそういうのって年とったらおさまると思ってたんです。実際聞かないでしょう、十代二十代でそういうことしてた人が、四十五十でまだやってるケース。わたしの友達にも、彼氏ができるたんびにそういうことする子がいたんだけど、あるときすっとなくなった。年とるとけろっとなくなるもんだなーって、感心しちゃいました。
 でもその友達は、恋愛以外のところで成長していたんです。彼女の場合は仕事をする中で人の面倒を見ているうちに、人間が練れてきたのね。自分にばかり関心を向けなくなった。男の人にしがみついてあれしてこれしてと言わなくなったし、認めてほしいばかりに「尽くす」こともなくなった。そうすると彼氏や結婚相手ともうまくいくのよね。そりゃそうよね。
 その精神的な成長や成熟は彼女の試行錯誤と努力のたまものなんです。自動的にやってきたものではない。

 成熟しないまま四十、五十になるとしましょうか。何十年ものあいだ「○○してやる」と脅せば聞いてくれる恋人や結婚相手をキープするのは難しいでしょう。だからね、別の相手に、別の場面でやるの。昔なじみの友達にこう言えば心配してもらえる、自分の親にこう言えば必死になってもらえる、というように。そういうことしてるとまわりからどんどん人がいなくなるんだけど、でもやっちゃうの、そういう飢えた心のままだと。
 あのお母さまの場合は、「おまえたちのせいでわたしの娘が不幸になるぞ」「それがいやならわたしの機嫌を取りなさい」と言っているの。
 あのお母さん、お金ないわけじゃないのよ。娘が除籍になるのを止めるためにわたしたちから連絡してお願いするのを待っているのよ。たぶんそうなのよ。

 先生はそこまで話して、わたしの顔を見た。わたしは信じられなかった。だって、とわたしは言った。自分じゃなくて、娘さんを人質に取っているじゃないですか。そんなのひどいじゃないですか。
 ひどいの、と先生は言った。娘のせいではないからと思って、相手をしたくなってしまうでしょう。あの人、おそらく自覚はしていないけれど、娘を人質にしたほうが有効だと、どこかでわかっているんじゃないかな。
 わたしが黙っていると、先生はちょっと笑って、ただの想像ですよ、と言った。

やさしさの出力調整

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために多くの学校でオンライン授業が導入されたが、わたしの勤め先の専門学校は比較的早く対面を再開した。実習なしには成り立たない分野であり、いわゆるエッセンシャルワーカー(疫病後突然人口に膾炙した語である)を育てる場でもあるからだ。
 わたし自身はその分野を勉強したのではないし、資格も持っていない。学校事務をやろうと思って就職先を探したら採用してもらったのだ。

 対人サービスで窓口業務があるところには必ずヘビーなクレームが発生する。何をどうやっても発生はする。できるのは減らすことだけである。
 今回わたしが対応したケースはどう考えても防げるものではなかった。
 学生が学校に来なくなると、事務が取りまとめて学年担任の先生に通知する。先生はたいていその前に把握しているが、ともあれ先生は学生にメールを出したり、電話をかけたりする。それらのうち一定の学生は連絡をすべて無視する。
 この事態が続くと、教員側と事務側の双方で、保護者(たいていは親)への連絡が検討される。一人暮らしの学生なら健康なども心配になってくる。とはいえ、学生によっては親に連絡されるとたいへんなことになるので、一律同じ時期に連絡するわけではない。世の中には学生の奨学金を取り上げるようなとんでもない保護者から逃げてきた学生だっているのだ。
 今回のケースでは早い段階で担任の先生が保護者に電話をかけていた。入学時提出の書類に書かれていた、学生のお父さまの携帯電話番号である。先生がかけても出なかったとのことで、事務からもかけた。やはり出ない。
 さらに時が過ぎたが、その学生は学校に来ない。本人も保護者も連絡に応じてくれない。このままでは留年は確実だし、一留で済まない可能性もある。ここまでくるとわたしの職場では書面を送る。
 するとその学生のお母さまから電話が入った。そう、お母さまは何ひとつご存知なかったのである。自分の娘(女子学生である)が学校に行っていないことも、学校が本人や父親の携帯電話に電話をかけていたことも。

 お母さまの言い分はこうである。
 娘が学校に行っていないのに放置していたとはなにごとか。本人に連絡したというが、いつ誰がどのように連絡したのか。連絡に応じられない気持ちになっていると想像しなかったのか。学校に行けなくなった原因について調査したのか。もっとずっと早い段階で、両親の双方に連絡があってしかるべきではないか。学校に行ってもいないのに学費を支払えとはどういうことなのか。
 ところが、「学生対応についてのデータを開示せよ」といった要求をするつもりはないのだという。つまり、要望あっての電話ではないのだ。感情の問題なのである。まあそうじゃないかとは思っていた。
 こういう人はいる。
 大きなできごとがあって自分の感情を処理できなくなったとき、他人にそれを委託しようとするのである。親しい人と話したり海に向かって叫んだりするなどして落ち着き、要望をまとめてから電話してほしいのだが、それをすっ飛ばしてしまう。そして電話口で延々と話し、泣き、怒り、また話す。
 わたしの経験則によれば、こういう人の90%は話せば落ち着き、その後も話はこじれない。5%はぜったいに納得しない。残り5%は一度落ち着いて電話を切るが、その後何かのきっかけでまた感情を昂ぶらせ、電話をかけてくる。

 このお母さまが90%の人でありますように、と思いながら電話を切った。
 一週間後にまたかかってきた。最後の5%のケースだったか。

 「担任に出席状況等について問い合わせたい」というので先生につないだ。案の定、内容は実際には出席のことではなく、わたしの時と同じであるようだった。
 わたしと先生は顔を見合わせた。あのお母さま、「問い合わせ」二回じゃたぶんおさまらないな。

 わたしの勤め先は小さい学校なので、校長がそこいらにいる。わたしと担任の先生で連れだって校長をつかまえ、今回のケースについて相談した。
 うんそれはね、もう慰めなくていいよ。校長はそう言った。次かかってきたら録音して「事務的」な対応して。

 二人とも、その人にやさしくしてくれてありがとね。でも、そろそろ、やさしさの出力を絞るタイミングだね。
 あのね、そういう人って、「こんなにつらいんだからまたなぐさめてもらわなくっちゃ」って思うの。二回ゲットしたものは三度も四度も手に入ると、どこかで思ってる。だから「問い合わせ」の名目がギリギリ立つうちに、「もらえない」前例を作らなきゃいけないの。