傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

あなたの最後のパーティ

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにいくつかの事象が絶滅する見通しだ。そのうちのひとつがパーティである。

 この世界にはかつて、知らない人を含む多数の人間が集まって飲食をともにし、特段の目的もなくさほどの実りもない会話をし、それだけで何時間も過ごす、という行事があった。宴会とかパーティとか、そういう名前のイベントである。現在でもないのではない。よほどの関係のある者同士のよほどの機会であれば実行可能だ。
 具体的には、披露宴だとか、精進落としだとか、そういった冠婚葬祭的なものは、実行しても非難されることは少ない。少ないが、それらもしだいに減ると予測される。「感染リスクを取ってまで来いというのか」と思われることが人間関係上のリスクだからである。「感染リスクを負うか否か選ばせるのは申し訳ないから」という理由でわずらわしい義理の関係から遠ざかることもできる。そのうち、招待しても不自然でないのは何親等まで、くらいの「マナー」ができるのではないか。

 そんなわけで大半のパーティ、とくに些末な宴席は遠からず絶滅する。私は宴会大好きなパーティピープルとかではなかったから、それでもまあ生きるのに差し障りはない。ないんだけど、生きるのに障りがなければ何がなくなってもいいということはない。この世から余剰が少しずつ消えれば、いずれは自分の生命が不要と感じる、人間というのはそういうものだと、私は思っているのである。
 だから私は私の最後の宴会について思い返し、それを記述しようと思う。

 あれは二月末のことだった。疫病は世を席巻していたが、人々はそれがまだ短期でおさまると思っていたので、怖がること自体が少々珍しく、「不謹慎」な言い方をするなら浮き足立っていた。私もそうだった。
 私は趣味でフィクションや感想文を書いていて、それを読んだ人からときどきお金をもらって文章を書いている。もちろん本業は別にある。その日は脚本を依頼されたラジオドラマの収録で、帰りに宴会が設けられた。参加者はその日に収録された番組にたまたまかかわった俳優やスタッフであり、全員を知っているのはディレクターだけだった。まあせっかくですから飲みましょうよ、ということで、飲みに行った。今となってはなつかしいばかりの不要不急ぶりである。
 疫病はすでに流行し、私の本業の出張が取りやめになったりもしていたが(新幹線やホテルの払い戻しをして、払い戻しが混み合っているということでずいぶん待ったことを覚えている)、都心の居酒屋は満席だった。人々は今からは考えられないほどぎゅうぎゅうに飲食店を埋め、無防備に話ながら飲食していた。私たちもそこに加わった。

 私の隣に座ったのは頭の回転の速い豪快な女性で、宴席をともにするにはベストな相手だった。私は二十数年もののフェミニストであって、エンタテイメント業界の宴会のノリにすっとなじむタイプではない。先方もそれをわかっていて私を誘うので、人によっては「下手なこと言えないな」という空気を出す。なんなら「僕きっと怒られちゃいますねー」とか言う。しかし彼女のような人がはさまってくれれば全員が安心である。彼女ははっはっはーと笑って、言った。ここでわたしたちが感染したら明日の新聞に「浜松町の居酒屋で二十代から四十代の男女七人濃厚接触」って出ちゃいますね。はっはっはー。

 笑うようなことだったのだ。私たちにディスタンスは課されず、私たちに消毒液はかけられず、私たちに体温計は向けられなかった。非接触体温計を見たことさえなかった。

 私たちが何も考えず「せっかくですから」と宴席をもうけることはきっと二度とないだろう。選び抜かれた少数ではない、知らない人をふくむ雑多な大人数で無目的に集まることは、この世界ではもう起きないだろう。
 私たちは重要な関係だけを選んでコミュニケーションを取るだろう。私たちは関係の些末な糸をすべて捨てるだろう。私たちの薄いつながりは清潔なデジタルデータの形式でしか保持されないだろう。薄いつながりが直接のコミュニケーションに移行する確率はひたすら下がりつづけるだろう。袖すり合うような縁を感染リスクとして減少させるだろう。
 私はあなたの最後のパーティについて尋ねる。あなたが最後に参加した、無目的でさほどの実りのない、あなたにとって重要でない多数の人々との会話の場を。それは不要と判断された事象だから、今のうちに書いておかなくてはきっとどこにも残らない。

ママの最後の呪文

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしにとって母はよぶんなので、疫病以来直接に顔を合わせていない。そして母はわたしが設定して送ってあげたタブレットを使って映像で話すことを好きではない。手足もウエストラインも映らない、顔ばかりを映すシステムだから、母は好きじゃないんだろうな、とわたしは思う。

 母は美しい人である。今どきの若い女性と並んでも目立つほどの高身長で手足が長く、とてつもない小顔、その顔だちもすっきりと整って、いつも姿勢がよく、昔ながらのファッションモデルみたいだ。本人はしょっちゅう太った太った子どもを産んでからほんとうに太ったと言っていたけれど、それでもなお海外ブランドのゼロ号が入る細い胴回りが自慢で、それ以上のサイズをクローゼットに入れることをいやがった。今でもそうなんだろうと思う。

 わたしは幼いころ、母の美しいのが嬉しかった。家に遊びにきた友だちがびっくりするのが楽しみだったし、授業参観でも得意満面だった。しかし、思春期に入るとしだいに母の姿を肯定的にとらえることができなくなった。母にとっての美はいわゆるモデル体型で、それ以外にはないみたいで、わたしのからだはそうじゃなかったからだ。
 母はわたしがブラジャーを手洗いして干すと露骨にいやな顔をするようになった。あらゆる部分が大きかったからだ。母にとって、肉体のパーツが大きいことはいけないことなのである。わたしが短いスカートを履くと「脚」と暗い声でつぶやいた。そして食事を別にするようになった。わたしがあまりにたくさん食べるので混乱するのだろうとわたしは思った。母は葉物野菜ばかりを大量に食べ、そのほかは非常な少食だった。
 わたしは運動をしていて、骨太で筋肉もあって、母のようでなかった。わたしは友人たちに恵まれていたからか、自分のからだを頼もしくて豪華なものと思ってわりと気に入っていたのだけれど、母はそれが嫌いなのだった。

 とはいえ、わたしの身体のうち母が軽蔑する首から下についてはまだ扱いがラクだった。蔑視させておけば済むことだからである。問題は母が良しとする部分だった。わたしの顔立ちは彫りが深く、母にとってそれは薄めの顔立ちより「上」だった。わたしがそれを知ったのはずっとあとのことだった。母はわたしの顔立ちについて決して言及しなかったからだ。わたしが十二歳のとき、田舎から遊びに来た祖母がわたしの顔を見て、お人形さんみたいねえと言った。母の気配が凍りついたのがわかった。そして母はぼそりと言った。でも、デブでしょ。しょせんは。
 それまではもってまわったせりふしか言われたことがなかったので、「デブ」という語に驚いたことを覚えている。その発言の意味するところを自分なりに把握したのは十六歳のときである。もちろんそれは「病的な肥満である」という意味ではない。「醜い」という意味ですら、おそらくはない。母が誰かに対峙して不安になったときに唱える呪文なのだ。そのひとことで相手の価値をひっくりかえす、母の最終手段なのだ。

 わたしにはどうしても理解できなかった。胴まわりや脚の太さがそれほどまでに重大な問題になる母の世界が。わたしが小さかったころ、母はわたしを猫かわいがりして、座布団より薄いお膝にのっけてくれていた。それなのに、たかが外見が気にくわないだけで、娘に嫌われてもしかたないことを延々と言う。

 そんなわけでわたしは今や母を嫌いである。ひとさまの外見を一瞬でジャッジして、相手が自分の基準で自分より「下」であることに安心していた母。外見のみならず、出身大学だの勤務先だので「加点」「減点」をしていた母。わたしが受験や就職で人生に「加点」すれば喜び、しかし最終的に声音の落ち着きをうしなって、わたしのからだをじっとり眺め回すようになってしまった母。
 がまんしなくていいのに、とわたしは思った。デブのくせにって、言っていいよ、ママ。わたしちゃんと今でもデブだから、だいじょうぶだよ、ママ。あれから一回もデブって言わなくて、ママとってもえらかったね。でももうがまんしなくていいんだよ。
 そう思う。でも言わない。

 わたしはそのように母を嫌いである。嫌いだから、母に(わたしの考える)よりよい人間になってほしいとは、もう思わない。より楽な生き方をしてほしいとも思わない。疫病が落ち着いたら実家をたずねて、いつものせりふを言ってあげようと思う。ママは相変わらずきれいね。ママの脚はいつ見てもほんとうに細くてまっすぐで素敵なのね。

どうして友だちと会えないの

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そうすると一緒に住む人間の重要性は良くも悪くも増す。事態の長期化もあいまって周囲では家庭生活の変化についての話が多くなった。このたびPCの画面越しに話している友人は離婚するのだそうである。

 うちの場合はもう、Zoom離婚よ。原因がZoomなんだもん。冗談みたいだけど、実際にそう。そうそう、あのイケメン。友だちみんなそう言う。あはは。
 まあ、外見はいいの。有名企業に勤めてもいるの。学歴なんかもいい。それでもだめなものはだめ。ああ、DVとかモラハラとかじゃないよ。そういうのだったら先に言う、話聞くだけでダメージ受けちゃう人も少なからずいる話題でしょ。
 あのね、夫がZoom飲みに乱入してくるのよ。だから別れたの。

 夫はわたしの親戚や友人のすべてに会いたがった。新婚当初は「わたしの周囲の人みんなにあいさつして、自分が夫だと言いたいんだな」と思って少し嬉しかった。「そういうのを愛情っていうのかしらね」なんて思った。でも夫は一度のあいさつでは終わりにしようとしなかった。二度でも三度でもわたしの友人たちとの集まりに参加したがる。したがるっていうか、当然みたいな顔してついてくる。
 わたしはいやな気分になった。交友関係を制限したい系の、なんていうかDVの前兆じゃないかと思って、断るようになった。そうすると夫は引き下がる。引き下がるんだけど、なんていうか、落ち込むの。

 わたしはできるだけ詳しく友人たちの話をするようにした。夫が心配しないように。そしてみんなが夫を認めていると、ことあるごとに付け加えた。それに加えて、男女まじりの複数人の会合にかぎって、夫の参加を許した。隅のほうにいるだけなら無害だし、見栄えもするから、みんな悪くは思わなかったみたい。

 でもねえ、それでもねえ、一年もたてば鬱陶しくなるわよ。あのね、あの人、話題の提供ってものをしないの。にこにこして聞いるみたいな顔してるけど、人の話を聞いたのなら受け答えができるはずでしょう。でもそれはしない。
 家ではわたしの話を聞くし、受け答えもする。でもつきあって二年、結婚して一年のころに、わたし、気づいちゃったの。夫のわたしに対する発言はすべて、すごく念入りに作られた定型文じゃない? 誰かが脚本を書いているように思えてならないんだけど?

 飲み会や何かなら夫を置いて出かけられる。でも疫病以降そういうのは極端に減った。部屋でZoom飲みをするようになった。そうすると夫がふざけた調子で映り込んでくる。

 最初はみんな笑ってた。でも二度目、三度目になると、わたしは画面を切って真剣に夫を叱るようになった。夫は棒立ちになってそれを聞いていた。

 とうとうわたしはリビングに鍵をかけて、「二時間だけ寝室とダイニングで過ごしてよ」と言った。一時間が経過したとき、夫が扉をどんどん叩いた。わたしはぞっとした。自分の音声をミュートにして、扉の向こうの夫に向かってたずねた。どうして二時間くらいそっとしておいてくれないの。そうしたら夫は言ったわ。

 どうして僕が友だちに会えないようにするんだ?

 夫はね、わたしの友だちを自分の友だちだと思っていたのよ。親の言うことを聞いていい学校に行っていい会社に入って、言われたとおりに仕事して、会社のつきあいはあって、親戚の集まりに行ったらそれなりには扱ってもらえて、地元で同級生が大勢が集まるときには呼んでもらえることもある。でも夫にはそれ以外の人間関係はない。そして結婚したら結婚相手の友だちは自分の友だちでもあると、なぜだか思い込んでいたのよ。

 夫は、なぜでしょうね、自分が友人関係を獲得しにいくという発想がないみたい。人間は魅力的に感じる相手としか話したくないんだということがあまりわかっていないみたい。みんながにこやかに接してくれて、みんなの側から話題提供してくれて、自分はそれを聞いていればいい、それが当たり前だと思っているみたい。ようやくまともな友だちができたのに、と言っていた。あなたの友だちじゃない、とわたしは言った。怖かったわよ。だから離婚するの。同意したくせに書類を返さないものだから、先に別居した。

 どうしてわたしとは会話らしいことができたかって?
 「女性というものは理不尽だからそうでもしないと手に入らない」と教わったのですって。誰にかって、そりゃあ、もちろん、お母さんよ。

夜の社交場

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。とくに槍玉に挙げられたのが夜の繁華街である。「夜の街」というタイトルでホストやホステスのいる店が感染源であるかのように扱われた。

 わたしは個人的にそうした接待を受けるのが好きではないので、接待する人と身を寄せあって話したりすることはないのだが、友人知人と飲みに行くことはけっこうあった。知らない人と話すのも好きで、行きつけというほどではないが、近所のバーにもときどき行っていた。

 それもこれも疫病流行前の話である。そうして疫病前の生活が戻ってくることはおそらくない。世界はすっかり変わった。変わって、元どおりになることはきっとない。そこには夜の繁華街で気軽にちょっとした友人知人や知らない人と話すという選択肢はなくなった。もちろん、その選択肢を「自己判断」「自己責任」で設置して実行する人もいる。しかし、わたしはその判断をしない。かくしてわたしの生活から、いわゆる夜の町が消えた。

 わたしが夜の退屈をもてあましているところに、近隣に住む妹からアルバイトの話が持ちかけられた。犬の散歩である。妹は現在妊娠しており、身体にいいからという理由で飼い犬の散歩はつづけていたのだが、犬の運動量がやたら多いのでだんだんしんどくなり、朝晩の散歩の半分を誰かに任せたいと、そのように言うのである。わたしはそれを引き受けた。早起きは嫌いなので、担当は夜である。

 妹の犬は名をフサという。フサを連れて近所の大きな公園に行く。フサは中型の雑種である。犬種の定まらない外見で覚えやすいからか、わたしが連れて歩いていても「あらフサちゃん」と呼びかけられる。今日はお母さんと一緒じゃないのねと言われる。そのせりふはじきに「お兄ちゃんに散歩してもらっていいわねえ」になった。わたしは妹の兄であり、フサの兄ではない。妹がフサの「お母さん」でわたしが「お兄ちゃん」なのは妙である。でもまあいい。たいしたことではない。

 夜の公園で出会う人々は多様である。半分くらいはわたしと同じく勤め人で、帰宅してから犬を散歩させている。残りの人々からは職にまつわる話が出てきたことがない。高校生くらいの子もいるし、お年寄りもいる。犬のついでにわたしたちは口をきき、相手の犬の名を覚える。

 わたしは独り者で、妹経由以外の近所づきあいはなかったのだが、あっというまに顔見知りが増えた。犬を連れた人々は犬の名しか覚えないから、わたしは「フサちゃんのお兄ちゃん」である。男性の飼い主たちは主に「フサさん」と呼ぶ。犬と犬があいさつしたり謎のボディランゲージ(?)を交わしているあいだ、わたしは彼らと短い立ち話をする。リードを伸ばし、適切とされる空間を置いて。

 夜の公園にはほかにも人がいる。ベンチに座って電話している男。楽器の練習をしている女(わたしは楽器に疎いので、「らっぱ」としかわからない)。ボールを使ってトスのやりとりのようなことをしていた少年ふたりのうちのひとりが、ボールを追って上げた顔をそのまま止め、「星」と言う。「星、すげえきれい」と言う。

 みんな暇なのだ、とわたしは思う。大人たちは夜の街に行くことができない。少年少女は学校近くに溜まってだらだらおしゃべりできないし、友人の家に行くこともできない。遊ぶということばの意味が、この世界では変わってしまった。それでもわたしたちは遊びなしにやっていくことができない。暇だから。

 仕事や役割があって差し迫った生活の心配がなくて夜の自由時間があるだけ幸福だ、感染リスクを下げるために家でおとなしくしていろ、と言う人もあるだろう。でも、とわたしは思う。恵まれているから自宅に引きこもっていろというのはまったく理屈に合わないのではないか。公園で第三者から距離をとって活動することは誰にも禁じられていないのだし、そもそも「禁じている」主体は多く特定の者ではなく、いわゆる空気である。

 わたしはフサの背を撫でる。フサは撫でられるのが大好きというタイプの犬ではないので、ちらりとわたしの顔を見るだけである。わたしは言う。ありがとう、フサ。おかげで知らない人と話せる。ちょっとした知人ができる。利害関係のない、重要な他者でない、何かの役割をはさまない他人と些末な話ができる。それがだいじなことだなんて思ったこともなかったんだ。それがないと奇妙な憂鬱が少しずつ溜まっていくなんて、知らなかったんだよ。

ゲームとたき火

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために外出せず遊べるゲームが人気である。僕は据え置き型のゲーム機を起動しっぱなしにしている。そうして仕事から帰ると(仕事はわりとすぐオフィス通いが復活した。ダイニングテーブルで仕事していて腰が死にかけたので正直ちょっとうれしい)スリープ状態から戻す。
 子どものころは人並みにゲームの世界にのめりこんだ。とはいえ僕は本を読むのも好きだったし、少し大きくなってからは自分で近所のTSUTAYAに行って映画を借りたりもしていた。フィクションの中に入れるのなら字でも映像でもいいやという、わりと雑な子どもだったように思う。

 しかし現在の僕のゲームの目的はフィクションへの没入ではない。ドラクエとかが出れば、これはまあお話だよなと思う。思うけど、今や僕はもっと現実的な物語のほうが好きだし、ファンタジーでもちょっとひねりがあるほうが好みだ。
 僕にとってのゲームはいつのまにかフィクションの器ではなくなった。ではなにかといえば、飲み会みたいなものになった。知らない人との飲み会ではない。知っている人とだらだら話すやつだ。

 飲み会は不要不急である。しかし人間はコミュニケーションを欲する。Zoom飲みは正直言ってあんまりおもしろくない。あれは会議システムであって、雑談に向かないと思う。同居している彼女はわりとZoom飲みをやってるけど、あの人は仲間うちの雑談にもアジェンダ用意していくからなあ。あれじゃあ「楽しくてちょっとアルコールが入る会議」だよ。それか対談イベント。

 僕の周囲の男たちは飲み会にアジェンダ用意しないし(ふつうはしないと思う)、かといって女友達みたいに用のない通話をかけてきたりもしない。僕はわりと女の友達が多いほうなんだけど、彼女たちは平気で目的のない通話をする。このあいだは学生時代の先輩の愚痴を一時間半聞いた。
 男たちがそういうのやらないのはどうしてかなと思う。彼らは「おい、聞いてくれ」といってコンタクトを取ってこない。疫病前は「飲むか」といって集まっていた。もちろんアルコールの摂取が目的なのではない。話をしたくて集まるのだ。そうしてそれは今や不要不急、避けるべきこと、よほどの相手でないとしないことになった。

 それで僕が選んだのがゲームである。僕としてはただ通話するだけでぜんぜんかまわないんだけど、それだとあいつらしゃべらないんだよな。なんでかわからないけど。僕も男だけどサシの電話でだらだらしゃべるの全然平気だから、「男は一対一で雑談の通話をしたがらない」と決めつける気はない。僕のまわりの男たちがそうだということ。
 彼らはなぜだか、雑談の場に雑談の場というラベルを貼ることを好まない。トイレを手洗いと呼ぶように、雑談の場を飲み会と呼ぶ。
 誘うときにも、聞いてくれよとか、おまえに話したいんだよとか、そういうこと言わない。僕が彼らにそう言って誘うと変な顔をする。その言い方はちょっとキモい、みたいな返事がかえってきたこともある。だから僕は彼らを飲み会に誘っていた。今はゲームに誘う。マルチプレイヤーの、てきとうなやつに。ゲームに誘うなら、彼らの世界でもキモくないだろうから。

 ゲームをしながら話すと雑談の導入には困らない。あいさつもそこそこに目の前のプレイの話をする。そうしてずるっと近況に持ち込む。
 疫病前、僕はときどきキャンプをしていた。バーベキューしようとか、山歩きしようとか、そういう名目で友人たちを誘った。彼らはたき火を焚くとなぜだかよく話すのだった。彼らにはごはんの友みたいな「雑談の友」が必要なのかもしれなかった。白米をそのままむしゃむしゃ食べる人間ばかりではないのかもしれなかった。

 だからいま現在、僕にとってのゲームは飲み会で、たき火である。今日は地元の、ちょっと年下の友達とゲームをしている。彼はどちらかといえば僕の弟と親しかったのだけれど、どういうわけかこの数年、ちょっと疎遠にされていると、弟が言っていた。
 ゲームしながら聞いた感じだと、どうも就職でつまずいたときにいろんな人に連絡を取らなくなって、職に就いたあともちょっと気まずい、みたいな感じだった。それで子どものころにはそれほど親しくなかった学年違いの僕と話しているのかな、と思った。そのうち弟も入れてゲームしよう。こういう状況では意図的に人間関係をキープする場を作っておかないと、びっくりするほどあっというまに孤独になってしまうから。

両親との密会

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。帰省はよぶんであるということになっているようだ。オンラインでやる、というのが現在の「正解」と目されている。

 もちろんオンラインでも両親と話をしている。わたしの父親は幸いテクノロジーに比較的明るいのだ。しかし、オンラインはオンラインにすぎない。わたしは親と情報交換をするために帰省しているのではない。情愛の交換のために帰省しているのである。わたしの娘は両親の孫で、娘がいると両親はあきらかに元気になるし。
 しかしわたしは帰省できない。わたしの故郷は高知市内である。県庁所在地だ。中核都市だ。前近代的な風習の残る謎の孤島とかではない。ふだんの生活はわたしが今住んでいる東京とさして変わらない。
 しかし、現在の生活は「ふだんの生活」ではない。飲食店の営業時間は短く、旅行が推奨されない場合とされる場合がくるくると入れ替わり、そして、「新しいふだんの生活」を作りあげたともいえない。みんなうっすらと左右を見渡して行動している。
 両親は言う。画面の向こうから言う。こちらでは東京や大阪から娘が来たりなんかしたらあとで何を言われるかわかったものじゃないんだ。不合理だけどね。合理性というのは、こういう事態では役に立たないんだ。おまえがレンタカーを借りてうちまで来てもだめだ。お父さんはおかしいと思うが。お母さんもおかしいと思ってるわよ。もちろん人には言わないけどね。そうそう、他人には言いやしないが。ともかくね、こちらに来るのはやめなさい。近隣で患者が出たらあっというまに「あの家のせいだ」ということになる。

 両親の話が正しければ、東京在住在勤のわたしあたりは病原体を移植したシャーレみたいな扱いをされそうである。そう思われてまで帰省する気にはなれない。もちろん両親が東京に出入りしてもだめ、飛行機に乗るのもだめ。両親のその後の地域での暮らし向きに著しい悪影響をおよぼす。なんなら市内で美容院をやっている従弟の敬一くんにも迷惑がかかるかもしれない。敬一くんの弟の江利ちゃんの、小学生の子どもにも。
 ああもう、ストレス、ストレス、ストレス。わたしはそのようにつぶやき、夜中のリビングをうろうろ歩く。飼い猫のコムギが醒めた目でわたしをちらと見る。

 わたしは考える。そしてひらめく。高知からどこまでなら行っても問題なさそうかリサーチしてくれと両親にたのむ。ほどよいエリアを割り出す。現在は東京外の居住者の東京外への旅行はむしろ推奨されている(ほんとうに謎である)。わたしはそのエリアの貸別荘を予約し、両親に「ちょっとした旅行」をプレゼントする。両親は用心して自家用車で出かける。わたしの父は運転免許を返上したが、母は車の運転ができる。長距離だからこまめに休憩をとるようにと、わたしは何度も彼らに言う。
 もちろんその貸別荘にはわたしとわたしの娘も行くのである。行くのだけれど、両親はそれを近所の人に言う必要がない。留守を見とがめられたら、「娘が○○への旅行をプレゼントしてくれて、夫婦で行ってきた」と言えばいいのだ。嘘ではない。土産物だって買っていく。ご近所に対して完璧な演技をする。わたしの両親はそのへんは上手にやれるタイプである。

 さあ、わたしは相変わらず、病原体を移植したシャーレのような悪だろうか? そうかもしれない。このままようすを見ていたら下手すると両親が孫(わたしの娘)に会えないまま死ぬ。わたしはそれがいやだった。もちろんわたしだってお父さんとお母さんに会いたかった。
 だって、わたしのお父さんとお母さんだよ。わたしはもういい大人だけれど、そんなこととは関係なく、ふたりの前では娘なんだ。どうして会ってはいけないの。お父さんとお母さんはおじいさんとおばあさんで、今は元気だけれど、元気といっても老人の元気にすぎなくて、あした死んじゃうかもしれないんだよ。わたしがお父さんとお母さんに会えないままふたりが死んじゃっても、みんなは「オンラインで『帰省』していたんだからいいだろう」と言うの? どうしてそんなこと言えるの?

 どうしてかは知っている。いやというほど理解している。だからわたしは、ばれたら叱られるかもしれないことをする。ロミオとジュリエットみたいに両親と密会する。夫のほかには誰にも言わず、助手席に娘を乗せて、レンタカーを走らせる。

わたしは選ばれなければならない

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。小学生も中学生もしばらく学校に行けなくなり、そのあと行けるようになった。大学生だけが学校に行けないままだ。正確に言うと、どうしても行かなければならない(と大人たちが判断した)学生は行けるけれど、わたしはその対象ではないのだった。
 いろいろの理由が説明され、オンラインで授業がおこなわれた。わたしは粛々とそれにしたがった。わたしは今年入学した一年生で、だからまだ学生として自分の大学に行ったことがない。アルバイト先にはずいぶんと行っている。

 わたしの大学はオンライン授業をがんばっているほうだと思う。わたしは抜け目なくSNSを駆使していろんな人とつながっているのだけれど、前期の授業の話をすると他大の新入生から「さすが」とか「うちなんかこんなだよ」とか言われる。それはまあ、そうなんだろうと思う。わたしの学校の大人たちはがんばってくれているんだろうと思う。
 だからといってわたしたちが満足しているかというと、もちろんそんなはずはない。自宅でオンライン授業を受けるために入学したのではないのだ、もちろん。正直に言うなら、合格発表のあと記念写真を撮った門の前までダッシュして地面に寝そべって手足をばたばたさせて「大学生をやらせろ」と叫びたい。「こんなの大学生活じゃない」とだだをこねたい。スーパーマーケットでひっくりかえってお菓子をねだる幼児みたいに。

 でもやらない。幼児ではないから。十九歳だから。もう大人に近いから。理屈でものを考えて判断できるから。自分にそう言い聞かせて、「オンラインで授業を受けられる大学生は感染リスクが低くて恵まれている」という理屈をのみこむ。がまんして、がまんして、がまんするーーいつまでかもわからないまま。

 オンラインでつながった新入生仲間を「友だち」と呼ぶ人もいる。わたしはそうは思っていない。オンラインだけで友だちができるはずがないと思っている。SNSでは薄く広くつながり、そのあと相互の選別があって、ようやく友だちができるんだと思っている。そして顔を合わせないまま選別したりされたりすることは、いくら若くたって、わたしにはまだ経験がない。
 わたしは友だちを作るのにさほど苦労しないタイプだった。でもそれは疫病禍の前の話だ。大勢が物理的に同じ場所にいるのなら、わたしは強い。どんどん人に話しかけるタイプだし、けっこう空気も読めるし、空気に振り回されないずうずうしさもあるから。
 でも今はそんな「場」はない。SNSでいくら上手に立ち回ったところで儚いとわたしは思う。SNSでは親しくする相手の選別を先送りすることができるからだ。SNSには誰が誰を選び誰を選ばなかったかを見せないようにする「やさしい」仕組みがあるからだ。そして親密な人間関係は相互の選別のもとにしかありえないとわたしは思っているからだ。

 わたしは選ばれなければならない。この状況で選ばれなければならない。自分が選んだ相手から。そうしないとわたしの世界は広がらない。そのように思う。そうじゃない人もいるんだろうけど、わたしは大学生になったら大学で新しい友だちがほしいタイプなのだ。
 でも今は人に選んでもらうハードルがすごく高い。オフラインで人に会おうとすれば、もれなく感染リスクがついてくる。感染リスクはSNSが「やさしく」隠蔽してくれた選別の残酷さをあらためて示す。わたしは自分が選んだ相手に「感染リスクを取ってでも親密になりたい」と思ってもらえるだろうか? 親密になるために会おうと思ってもらえるだろうか?

 わたしは矛盾している。わたしは社会全体の感染リスクを下げることを善だと思っている。でもわたしは今日、英語のクラスが一緒だった四人の同級生と顔を合わせてごはんを食べる。物理的にひとつのテーブルをかこむ。大人たちはそれを「若者が疫病禍を真剣に考えていない」と言うだろうか。それとも、感染リスクをカードのようにやりとりして親密さをはかるわたしたちのやりかたを「新しい様式」と呼ぶだろうか。
 大人たちはすでに親密な関係をいっぱい持っているから、誰かと親しくなりたいというわたしたちの気持ちを軽く見ているんじゃないかと思う。わたしが同級生と会うことを叱られたら、こう言いたいと思う。それなら感染リスクと親密さの獲得の望ましいバランスのための指針をください。月に何人までなら会ってもいいですか? それともゼロにするべきですか? 親密なコミュニケーションのすべてをインターネットでまかなえと言いますか?