傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

名札がないほうの世界

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。私の勤務先ではひところ、すべての会議がオンラインになり、そして、感染者数が減ったという理由で、一部が対面に戻った。そのせいで私は今、会議室で冷や汗をかいている。誰が誰やらわからない。わからないが、わかるふりをしなければならない。もう一年半も毎月会議をやっているメンバーなのだから。

 そもそも私の昇格のタイミングが悪かったのだ。疫病流行とほぼ同時である。自分が管理する人員が大幅に増えた上、他部署との連携をしなければならない。その役割をやることになった途端の疫病だ。さらに「なんかインターネットとか強いんでしょ?」という理由であれこれやらされた。なんだよ、「なんかインターネットとか」って。
 そうしたわけで疫病流行当初から現在まで、知らない人とたくさん話すことになった。ほぼオンラインだった。私は知らない人の顔を覚えるのが極端に苦手なので、オンライン会議システムで名前が表示されることにおおいに助けられた。というより、それで会議を乗り切ってきたのだ。

 人の顔を覚えられないと言うと、しばしば「その人に興味がないんでしょう」と言われる。誤解である。私は誰の顔も覚えられないのだ。声と話し方は比較的早く覚えるし、体格やしぐさを総合すれば個人を特定できるから、社会生活に大きな支障はない。ないが、顔の造作はだいたいのところしか覚えていない。少しようすが変わればもうわからない。「Aさんかもしれないな」くらいだ。そして「Bですよ」と強く言われればすぐ信じる。
 目が悪いのはたしかだが、それ以前に見えていない。友人の子に「あんぱんまん、かいて」と言われて描いたら、友人から「パーツが足りていない」と指摘を受けたことがある。見本があるのにパーツが足りていなかった。絵が下手だとかそういう以前の問題だ。あんなに簡潔に作られたキャラクターの顔のパーツを把握する能力さえ私にはないのである。
 美術は好きだが、造形じたいはおそらくよくわかっていない。それで絵はでかけりゃでかいほどかっこいいと思っている(自分にもわかるから)。小さくて細密なのを出されるとしょんぼりする。いっとう好きなのは仕掛けと文脈のおもしろさで攻めるタイプの現代美術である。あれはいいものだ。私にもいっぱつで楽しめる。
 認知機能の一部が平均から強く逸脱している、平たく言えば知能の一部がすごく低いのだと思う。

 そんなだから人々が容姿をそれほどまでに重要視する理由が頭でしかわかっていない。みんなは人間の容貌の美がこまやかにわかるから、容姿の美しいのが好きで、容姿のすぐれている者が有利で、けっこうな数の人が自分を美しくないと思って悩む、なんなら病気になる人までいる、そういうことが頭でしかわかっていない。実感としてはいつまでたっても「たかが容姿」としか感じられない。ルッキズムに批判的である以前に、ルッキズムをやるために必要な能力がないのだ。
 自分の容貌に不満がないのだって、「なんとなし快く見えるから」「親しい人もよいと言ってくれるから」という程度でしかない。見慣れているから見分けはつくが、似たのを持ってこられたら間違えるかもわからない。集合写真の中にいる自分を見つけられなかったことさえ私にはあるのだ。

 そんな人間が仕事の都合でたくさんの新しい人と知り合うことになれば、たいていは軽いパニックに陥る。強く集中して声と話し方とシルエットを覚え、細心の注意をはらって失礼のないようにつとめるーー対面なら。
 でも私が昇格してから一年半、対面の会議がなかった。ほぼオンラインだったのだ。オンラインだとみんな四角いスペースにおさまってその上部に名前が書いてあるのだ。それが当たり前じゃなかったことを、私はすっかり忘れていた。

 冷や汗をかいている私の前で偉い人が会議の開催を宣言した。そして言った。年のせいでだいぶ目がかすみます。一年半も顔を合わせていなかったからだいぶようすが変わった人もあるんじゃないか。次回から座席表を配るから、そこに座ってください。どうも年寄りはいけないね。

 いけなくない。いけなくなんかない。最高だ。世の中には高齢でなくても高齢者より認知機能(の一部)が低い人もいるのである。たぶん私以外にもどこかしらの機能が低い人が社内に居ると思う。いたらぜひ知り合いたいと思う。みんなできることでつながろうとするけど、できないことでつながるにはどうしたらいいのかしらねえ。

アバターの中からの手紙

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。僕の職場でもできるかぎり会食などを避けるようにと言われたので、避けた。避けていたら一年半、プライベートで人と対面しなかった。

 疫病のために人に会えなくなることがつらいとみんなは言うけれど、僕にはかかわりのないことだ。平素からろくに人と会わない。コミュニケーション全般がないとうらぶれた気持ちになるが、疫病以降には通話や映像でのおしゃべりが増えたから、コミュニケーションの総量は変わらない。
 先日一年半ぶりに友人と物理的に会った。そうしたら彼女は僕が姿をあらわすなり爆笑して(もともとわりと失礼な人である)、「Zoomとなんも変わらない! すごい、アバターみたい」と言うのだった。
 友人が言うには、人間の身体には多くの情報が付随しており、それは人格の一部でありつつ、動物としての存在を示すものでもあるのだそうである。だから人と物理的に対面することは彼女にとって必須で、Zoomでしゃべったからといって「会った」ことにはならないのだという。妙なことを言う人である。もともと変わっているのだ(彼女に言わせれば僕のほうが変わっているそうだが)。
 わたしは、友だちと対面したいけど、と彼女は言う。羽鳥さんだけは対面じゃなくていいわ。Zoomと同じだもん。びっくりするほど同じ。インターネットで「会える」人だわ。

 僕はもちろん物理的に存在しているし、生物として機能している。ちゃんと年をとって老けたりもしている。それでも僕の身体が他者にとってアバターのようであるなら、それは僕自身が他者の身体を必要としていないせいだと思う。僕は他人の身体の発する情報が理解できないのだ。それに魅力を感じることもない。
 僕は空気が読めない。読む能力がないし、読むことの価値も感じない。だからコミュニケーションをとる相手には「僕は伝達事項をすべて口に出して言います。できればあなたもそうしてください。空気は読めません。理屈はわかります」と言う。空気を読まなくてよい仕事に就き、空気を読まなくてもかまわない相手とだけときどき話をして、それで白髪が出るまで生きてきた。楽しい人生である。
 一度も悩まなかったのではない。とくに若いころは「恋愛をしろ」「結婚をしろ」という圧力がけっこう強くて、僕も「そうなのかな」と思って努力した。言い寄ってくれた女性と交際してもみた。やってできないことはないが、ものすごく疲れたし、なんだか気が塞いでしまうのだった。向いてない。そう思った。
 恋愛や性行為をしないことを異常だとか病気だとか言う人もいたけれど、その人にとって僕が異常でも、僕はまったくかまわなかった。その人が僕に対する何らかの強制力を持っているのではないからだ。
 よく考えたら恋愛だの性行為だの結婚だのを強制されるいわれはまったくないのだ。ぜんぜん理屈に合わない。昔の自分はどうして悩んでいたのだろう。今となってはわからない。三十くらいのときにそう思ったことをよく覚えている。
 両親はとうに僕が「普通」になることをあきらめていたし、親戚には会わなければよいのだし、職場の人間関係は職能を磨いて実績を出せば問題なかった。というか、そういう職場を選ぶために三回転職した。
 それでも、四十までは見合いの話が来た。僕の断りかたはだんだんストレートになった。僕は結婚しません。試しに会うこともしません。端的にそう言うようになった。年をとるごとにどんどん息をするのがラクになった。

 そうしたところでこの疫病である。病気はよくない。人が苦しむのはよくない。僕も苦しんだり死んだりしたくない。経済活動が停滞するのもよくない。できるだけ早く収束してほしい。
 それとは別に、疫病を奇貨として「自分はほんとうに物理的存在としての他人が必要なのか」を検討する人がいたらいいなと思う。なかには若いころの僕みたいに、無理にまわりに合わせようとして苦労している人がいるかもわからない。
 僕らは(僕のような人がいると僕は信じているので複数形を使う)ロボットみたいだと言われることがある。でもそうじゃない。感情があるし、薄情でもない。僕の若い頃の死に物狂いの努力の源は僕みたいな人間を罵る連中への憎しみと怒りである。何がロボットか。めちゃくちゃ人間じゃないか。
 年を取ったので若い人が気にかかる。僕のような若い人が罵られたりせず、幸福になってくれたらいいと思う。

ゴシップと猿

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにいったんはリモート勤務が推奨されたものの、長期化とともに出勤ベースに戻す企業も増えてきた。弊社もそうである。わたしはリモート勤務が大好きなので(端的に効率が良い)、実績を振りかざして上司に詰め寄り、週に一度のリモート勤務の継続を確保した。それでも週に四日は出勤しているので、生活はだいぶ疫病前に近づいた。
 近づいたが、疫病前に戻ることはない。人間と人間の距離はある程度以上近づかない。それにともなって社内での会話の無駄がだいぶ省かれている。飲み会をやらないから無駄話を長々やる機会が発生しないし、社内の立ち話ではより業務に近い話題が優先される。たまたま居合わせた人と短い雑談をすることはあるが、そのときも比較的まじめな雑談が採用される。社内の薄い知り合いとどうでもいい話をする機会がない。

 それがちょっとしたストレスだったと気づいたのは、同期が久々にゴシップを持ってきたときだった。
 同期はわたしと同い年だから、三十をとうに過ぎたいいおじさんである。そうして疫病前から罪のない(あるいは少ない)噂話がとにかく好きである。それも芸能人のではなく、身近な人々の話が好きなのだ。同僚たちに関する些末なあれこれを、やたらとよく知っている。
 彼は自動販売機の横の休憩スペースでわたしをつかまえて、ちょっと聞いて、と言った。疫病前はよくあったことだが、思えばそれも年単位で昔のことである。

 同期が持ってきたゴシップはほんとうにどうでもいいものだった。同じ会社の後輩女性の劇的な恋愛の話だ。
 後輩には五年ほどつきあっている彼氏がおり、結婚を前提とした同居のために物件を契約したところだったのだが、ずっと彼女のことを好きだったという別の男性が夜中に彼女の自宅を訪ねて愛を告白、彼女の家族が出てきても堂々としており、その態度にぐっときた彼女が男性とふたりで夜の町に消え、翌日には現彼氏との同居を取りやめてしまいーーみたいな話である。
 わたしにとっては赤の他人の色恋沙汰にすぎない。ほんとうにどうでもいい。どうでもいいのだが、めちゃめちゃ楽しくその話を聞いた。
 それで?それで?えー、現彼氏かわいそうすぎでは? いやー、もともと倦怠期だった上に、なんていうかプレマリッジブルーって感じだったんだそうなんだよね本人が言うにはさ。なるほどねー、そこで情熱的なアプローチによろめいたと。そうそう、それもぽっと出の新キャラじゃないわけよ、学生時代のゼミ仲間だってよ。あらー、それはぐっときちゃうかもねえ、でもなんで今まで黙ってたんだろ、告るならさっさと告ったほうがいいじゃん。ねー、なんでだろ、結婚しちゃうかもって聞いて突然焦ったとか、別の女性とつきあってて別れたとかかもね。

 どうでもいい話を熱心にすると、なぜこんなに楽しいのだろうか。
 同期とは社内では比較的親しい。仕事上の役割がかなり近く、どういう人間かもわりと知っている。もし同期が彼自身の激しい恋愛とか激動の家庭生活(激動する家庭って具体的にはどんなものか、ちょっとわかんないけど)とかの話をしだしたら、とてもじゃないけど楽しく聞くという感じにはならない。心配したり現実的な対処を考えたりしてしまう。
 十歳も年下の、部署も違う後輩が、なにやら劇的な状況にある、その噂話を聞く、というシチュエーションだから楽しかったのだ。

 噂話ってどうして楽しいんだろ。わたしがそう尋ねると、同期は言った。それはね、僕らが猿でもあるからです。
 猿は毛づくろいをする。そして仲間うちとしての感覚を持つ。でも僕らにはできない。代わりにあいさつとかをする。でもあいさつはみんなにすることになってる。毛繕いは誰にでもするものではない。相手を選んでするものだ。たいしたことじゃないけど、でもないと成り立たないんですよ、僕ら猿の集団はね。そして僕にとってゴシップはもっとも適切な毛繕いなんだ。

 わたしはどうやら毛繕いが足りないことがストレスだったらしい。自分では「どうでもいい噂話なんかなくても平気だし、むしろ快適だ」と思ってたんだけど、実はそうじゃなかったらしい。わたしはわたしが思うほど高尚な人間じゃなくって、毛繕いの好きな猿だったらしい。
 わたしがそのように言うと同期は笑って、いいじゃん無害な猿でいようぜ、と言った。

寄るな触るな(感染症対策です)

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。疫病流行当初に一歳だったわたしの息子は二歳半になった。
 実のところわたしは、もちろん疫病はないほうがよかったが、疫病の流行がこの間に重なったことには少々の幸運を感じているのである。

 わたしは三十八歳のときに息子を生んだ。わたしにとってはじめての(予定としては最初で最後の)出産であり、友人たちの間では(今のところは)もっとも遅い出産だった。
 生まれたよーと報告すると彼女たちはいったん祝賀一色のメッセージをくれたが、少し経つとその毛色が変わってきた。高校時代の友人、大学時代の友人、職場でできた友人、趣味で知り合った友人、それぞれにつながりはなく、ひとりひとりバックグラウンドも性格も価値観も異なるのに、子のいる友人から届くメッセージには、なぜか共通したトーンがあるのだ。抜粋するとこんな感じ。

 ベビーカーはがんがん使え。無理にだっこして歩き回らなくていい。スキンシップは座った状態でできる。バウンサーとかも使え。
 母乳神話は神話にすぎない。完全ミルクも選択肢。
 成長曲線の範囲内におさまっていれば誰に何を言われても気にする必要はない。
 究極、死なせなければだいたいOK。
 家事をカネで解決するの超おすすめ。カネで時間を買うべし。
 市販のベビーフードは素晴らしい。
 他人からの「かわいそう」の語は心に入れるな。
 寝ろ。育児交代要員を用意して寝ろ。父親がめちゃくちゃ育児するタイプだとしても保育リソースを確保のこと。

 要するに、親業の先輩である友人たちはわたしに「楽をしろ」と口々に言ったのである。わたしはもともと「子どもを持ったからにはいい母親にならなくちゃ」みたいなまじめなタイプではないし、産んだあとも赤子に対して最大限のことをしてあげたいみたいな気持ちは芽生えなかった。ぼちぼち楽しくやっていこうな、くらいのテンションだった。
 だから友人たちの心配は杞憂だと思っていたのだが、ある日そうとも言い切れないことがわかった。歩いていたら息子をばっとのぞき込んで「かわいいわねえ母乳?ミルク?ちゃんと出てる?」と言う人がいたのである。
 出会って二秒で密着して早口で授乳状況を詰問。不審者である。わたしはすみやかに身をかわし(不審者が物理的にへばりつきそうだったので)、最寄りの交番に向かった。しかしよく考えたらせりふ自体は警察沙汰にするほどじゃなくて距離感が異常なだけだったので交番に行くのはやめた。でもさあ、怖くないですか、すれ違いざまにへばりついてきて母乳の分泌状況を詰問する初対面の赤の他人。
 その後わかったことだが、さすがにここまでの不審者はなかなかいないものの、赤ん坊を連れていると距離感がおかしくなる人や加害的になる人は少なからずいるのだった。頼まれてもいないアドバイスなんて数え切れないほど遭遇するし、とにかくいろんなことを否定される。
 こりゃ参っちゃう人もいるなとわたしは思った。しょっちゅう否定されたら自分のしていることにだんだん罪悪感を持つ人のほうが多いのではないか。なにしろジャッジしてくる連中の価値観は「母親は時間気力体力のすべてを育児に使え」という点で奇妙に一致しているのだ。

 タクシーに乗車して「奥さんに赤ちゃんできるようなことした旦那さんがうらやましい」などと言われた段階で、わたしは理解した。一方的なジャッジ、不要で不快なアドバイスセクシャルハラスメントに至るまで、産後やたら遭遇するようになったおかしな言動。その原因は、要するにわたしが「弱いから」である。
 赤子連れはめちゃ弱い。そしてこの世には弱い人間を選んでふだんから持っている「断罪したい」とか「セクハラしたい」とか、そういう欲求をかなえようとする人間がいるのだ。わたしは腹を立てて夜ごとノートパソコンをひらき、彼らの悪行を書き留めていた。夫はそれをデスノートと呼んだ。夫にはデスノートは必要なかった。赤ん坊を連れていてもわたしより弱そうじゃないからだ。けっ。

 そうしたところが疫病禍である。
 通行人が減った。物理的な接近は社会悪になった。居合わせた者に話しかけるのはよほどの理由があるときだけという合意が形成された。そしてわたしは「弱そうに見える」期間のかなりの時間をきわめて快適に過ごした。
 疫病の感染者数はずいぶん減った。めでたいことである。そうして「感染症対策です」と言えるあいだに、この社会の隅々にまで、他人同士の適切な距離感というものを定着させたいものである。

あなたのことは好きじゃなかった

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。現在はワクチンがある程度いきわたり、感染者数がかなり減って、みんななんとなくうきうきしている。それでわたしも連休に帰省することにした。
 わたしの地元では「東京で働いている娘が来て感染させた」となったら家族にものすごく迷惑がかかりそうで、帰省を控えていた。県の中核都市だから、知らない人もいっぱい歩いていて、娘が帰省したからその親が村八分になるみたいなことはないんだけど、それでもやっぱり、わたしはずっと、自分が生まれた町に帰れなかった。

 わたしの生まれた家にはわたしの両親が住んでいる。両親は疫病前から家を売ってマンションに住もうという話をしていて、だからわたしは自分の生まれた家にお別れするつもりで来ていた。妹は県内に住んでいるからしょっちゅうこの家に来ているし、両親にも会っている。そんなわけでわたしだけがちょっとセンチメンタルだった。
 自分が使っていた部屋に残しておいた荷物を引き上げ、部屋の写真を撮る。妹と妹の子がやってきて、そのあと父が帰ってくる。こんな当たり前の帰省がずっとできなかったんだなと、そんなことをあらためて思う。
 久しぶりに母の手料理を食べる。わたしはそれをほめる。それから、お母さん副反応軽く済んでよかったよねと言う。母の表情がすっと止まった。

 わたしは困惑する。えっと、なんで。

 父がテレビのチャンネルを変えて音声を大きくする。わたしはさらにうろたえる。お父さんそれってわたしたちが子どもだったころドラマとかで唐突なラブシーンがはじまったときにしてたやつじゃん。
 妹が言う。やっぱり打っちゃったかー。まあお母さんの自由にすればいいんだけど。自分の免疫が信じられないなら毒を入れるのもいいんじゃない。お姉ちゃんとしゃべってたら感化されちゃうだろうし。昔からそうだよね。まあいいんだけど。

 両親が目の端でわたしをとらえる。わたしは納得する。
 妹は家族に接種しないことを強要するほど強硬なワクチン反対派ではないが、家族が接種したら機嫌が悪くなる程度のワクチン反対派ではあるのだ。そして妹にとってそれは単なるワクチンについての問題ではなく、「お姉ちゃんとしゃべってるから感化される」ことの一例にすぎないのだ。
 妹と仲が悪かったのではない。少女のころはとっても仲良しだった。でもわたしが東京の大学に入ったあたりから、妹とはちょっと合わないところがあるなと、わたしは感じはじめた。ときどき帰省して話すと「えっ」と思うようなことを言うのだった。選挙の時期に帰省してそれを話題にすると「投票なんてする気はない」とか(ちなみに両親は毎回投票する。歌の文句のように「投票行って外食」だった)。わたしが彼氏と同棲をはじめたときには「結婚してもらえないの?」と言っていた。わたしが「結婚というのはしてもらうとかそういうのではない」と言いかけると、と妹は笑って片手をひらひら振って話題を打ち切るのだった。
 そうはいってももちろん妹に対する感情は変わらなかった。ちょっとうっとおしいくらいわたしのあとをついて歩いていた、わたしの妹。大きくなった妹は情が厚くて友達がいっぱいいて子育てを熱心にしていて両親のことをこまめに気にしてくれて、道に迷っている人がいたら自分が急いでいても助けてあげるような、すてきな女性に育った。ただちょっとわたしと考え方が合わないところがあっただけだ。そもそも、姉妹だからといって関心領域や考え方が同じだったらそのほうがおかしい。
 妹だって「お姉ちゃん、その話わかんないわー」と言って話題を移す以上の意思表示はしなかった。年に二回のわたしの帰省のたびに笑って話して、わたしに姪っ子を預けて外出したりもしていた。妹は姪をとても大切に育てていて、友だちでも預けられる相手は少ししかいないといつか言っていた。だからわたしは妹に信頼されているのだと、今の今まで思いこんでいた。

 これはワクチンの話ではない、とわたしは思う。妹はワクチンの話をしているのではない。ずっとずっとわたしのことなんか好きじゃなかったという話をしているのだ。好きじゃない姉が好きな両親に悪影響を与えて不愉快だという話をしているのだ。でもべつにいいけどね、と。なぜならすでに心理的な距離を取っている、だからべつにいいんだけどね、と。
 わたしだけが妹を好きだった。わたしだけが何年も、妹のことを好きだった。

おれにスカートを履かせろ

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。うちの会社も半分くらいリモートワークになって、だから夏はとくに快適だった。夏場に毎日フルレングスのパンツを(しかもワイドや薄地ではないものを)履くのは、端的に言って苦行である。そのうえパンツの傷みもはげしい。お気に入りであればあるほど着る気になれない。
 おれは学生時代、たまにスカートを履いていた。女性装としてではない。メンズファッションとして着ていた。今でも頻度こそ減ったが、時折スカートを履く。なにしろ暑いときにラクだし、かっこいいと思うから。
 おれは髭を生やすしスーツも着る。でもスカートも履きたい。男のあっけない腰まわりからすとんと布が落ちるているのは美的にもナイスじゃないか。なにゆえ日本ではスカートは男のチョイスではないのか。浴衣なんて実質ワンピースだ。着流しの男を見ろ。ああいう感じのシルエット超いいじゃん。

 そうしたところがリモートワーク導入である。おれはいそいそと部屋着のワンピース(部屋着なら男性向けも普通に売っている)をグレードアップし、外出着として腰ばきのスカートも新調した。シャツに合わせて着るときりっとした気分でかつ楽に仕事ができて良い。
 疫病流行当初にリモート飲み会が少しはやった。そのなかで一度「映らない部分はジャージでいい」「いやそれだと仕事中という感じにならない」という話題が出た。メンバーに気の置けない人が多かったこともあり、僕はスカート履いてますよと言った(僕、おれ、私をせわしなく使い分けるタイプである)。いいねと彼らは言った。うち一人が苦笑いをし、皆が黙った瞬間に狙い澄ました声で言った。いやー、最近そういう人増えたよね、あっちに目覚めちゃうんじゃないの。

 誰かがその話題を素早く流す。誰かが別の話題を出す。誰かが返答する。おれは立ち上がって新しい飲み物を持ってくる。さっきのやつがまた言う。そういう格好して彼女さん心配しない? あ、多様性について理解がある的な?
 心配なんかしませんよとおれは言う。理解があるというのがどういう意味だか存じませんが、人間が自分の好きな格好をするのは当たり前だと思っているだけです、おれの彼女は。

 そういう事態を、予測していないのではなかった。伊達に長年スカートを履いているのではない。えっと、「かっこよくいたい」という意味では伊達で履いているんだけど。まあともかく、男のスカートを見たやつがにやにやして「そっちの人?」「あー個性個性」とか言ってくるのには慣れている。なんなら一足飛びに「口説かないでくれよ」と言われたことさえある。あいつらはほんとうに愚か、二重三重十重二十重に無知、まさに蒙昧の輩である。あいつらが何をどう間違っているのかいちいち説明してやる義務はないが、間違っているという態度は崩さない。
 あいつらは怖いんだ。「おれたち」は同じように「男」のコードを守ってそこからはみだしたらからかって笑わなきゃいけないと思ってるんだ。そうしないと自分が笑われると思ってびくびくして、コードから外れる人間を必死に探しているんだ。
 おれは怖くない。笑われることなんか怖くない。嘲笑を返してやる。おれにスカートを履かせろと言う。おれはそういう度胸あるかっこいい男なので。
 スーツを着ろと言う会社に勤めて、だから出社時にはスーツを着る。私服の飲み会ならそのときの気分で服を選ぶ。あいつらの「おれたち」に入れてもらう必要なんかない。おれはおれで、「おれたち」に入れてもらう必要なんかない。群れて誰かを笑わなくちゃ生きられないほど惰弱じゃない。

 彼女に鼻息荒くそのような話をすると、彼女はふーんと雑な相づちを打ち、それから言った。あなたその調子じゃ苦労したでしょ、男社会で。スカート履かなくったって、嘲笑メンバーに入らないと許されないことはめちゃくちゃ多かったでしょ、だから苦労したでしょ。
 した、とおれは言った。我ながらしょんぼりした声だった。高校生のときには男友達がぜんぜんできなかった。大学生にもなれば自分でいろんなところに行けるけど、高校生はそうはいかない。まじで泣きたかった。ていうか帰ってしくしく泣いてた。でもしょうがないじゃん、おれの中でそいつらの仲間になるのってぜんぜんかっこよくなかったんだから。そんなださい連中の仲間に入れてもらわないと「男」をやれないなんてぜったいに思いたくなかったんだから。

オマエ ヨクハタラク オレ シッテル

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それで僕の職場でも重い腰を上げて部分的にリモートワークを導入し、紙とはんこの文化を一部刷新した。というか、せざるを得なかったのだと思う。だって取引先はみんなとうにやってるんだから、最低限は合わせないと先方のワークフローに影響する。「この業務では電話の使用を差し控えていただきたい」とか、その程度のレベルの要求でも僕の会社では一大事なのである。
 この会社には年長者が多く、ITに対する関心の低い社員が多い。能力はそこそこあるので、PCくらいは使える。しかし、仕組みをがらりと変えることにはきわめて消極的だ。新しいシステムを覚えるのは面倒だからなるべくしたくない、という雰囲気に充ち満ちている。Zoom導入で一騒動、Slack導入でまた一騒動、僕は担当してないけど給与明細の電子化あたりも相当大変だったらしい。
 疫病前は紙の明細を出していたのかって? そりゃもう出してましたよ。なんなら経費精算の一部が現金でしたよ。経理が茶封筒に入れてくれるんだよ、小銭まで計算して入れて封筒の入り口をステープラーでぱっちんと止めてくれるんだ。世の中にはそういう会社がまだまだあるんだ、まじで。ちなみに給与明細はステープラーではなくのり付けで、そのへんもおおいに謎だった。たぶん「昔からそうだったから」というだけの理由でそうしていたんだ。

 そんな中、僕は(比較的)「若いから」という理由になっていない理由で諸々のツール導入を主導する立場になり、当然元の業務もしなければならず、疫病流行から半年は死ぬかと思った。半年後に手伝い要員が配置されて一息つき、一年後に業務調整がおこなわれて過労ではなくなった。遅い。何もかもが遅い。
 そんなわけだから長きにわたる(本来担当でない)IT化業務の報酬はゼロだった。ふだんならぜったい文句言ったと思うんだけど、もともと以前の評価で昇進したばかりだった。それも結構な昇格だった。そこまで行かないで定年を迎える人もいるような立場になったばかりだった。
 だからなんていうか「そうはいっても昇進のあとだしな……」みたいな恩義でずるずるやっちゃって、一年後くらいにようやく腹がたった。

 疫病下で突然いろんなことを変える必要が生じた。だからみんな大変だった。それは事実。僕は前年度までの業績で評価してもらってかなりの待遇アップがあった。それも事実。
 でもさあ、昇進は昇進、イレギュラー対応はイレギュラー対応でしょうよ。なんで「やって当然」みたいな流れになってるんだよ。けど今更何をどこに要求すればいいのか。

 そう思いながら数ヶ月、給与明細を開いたら(例のようやく電子化した明細である)、特別手当が二万円ついていた。人事に問い合わせたら「電子化関連を兼務されるかぎり毎月この手当がつきます」ということだった。
 やっとか。一年半たって、やっとか。遅い。うちの会社はなにもかもが遅い。

 遅いが、でもちゃんと見ててくれたんだな、そしたらまあいいかな。僕はそう思った。
 二万円でごまかされるなんて、ちょろい、とは思う。今までやってきたことを考えると安すぎるとも思う。さかのぼって報酬をくれてもいいと思う。でもそれはそれとして、誰かが、たぶん直属の上司が僕の仕事を見ていて、経営陣がそれを認めたということはたしかだ。そしてそれが弊社の亀のような人事評価プロセスを経てようやく給与明細に反映された、それもたしかだ。

 オマエ ヨクハタラク オレ シッテル

 直接しゃべったことのない渡辺さん(社長)の幻がなぜか片言でそう言う。僕の想像のなかで言う。そして僕は思う。じゃあまあ、いいかな。苦労したけど、わかってくれたみたいだから。

 僕は思うんだけど、組織の中で特定の個人に負担がかかったとき、いちばんしんどいのは誰にも見てもらえないことだ。報酬はもっともらっていいと思うけど、たとえちょびっとでも「忘れられてはいないんだ」「感謝されているんだ」と思えることがだいじなんだ。気持ちの問題だけじゃなくて、人事評価の積み重ねの一部としても使える。
 だからたかが特別手当二万円で僕は今後もこの会社にいることにした。

 とはいえ、弊社は遅いだけじゃなく、無口にすぎる。これがイケイケのベンチャーとかだったら、まずは「上層部はきちんと評価している」「少しでも報酬を上乗せするつもりだ」というメッセージがあると思うんだ。給与明細にだけ語らせるってなんなんだ。照れ屋か。