この顔が整形じゃないわけないじゃないですか。
そう言われて返答に詰まった。それから慎重にこたえた。私そういうのよくわからないんですよ。今そう言われてしげしげ見たって、そんなに不自然には感じないし。
彼女はちいさく首を傾け、ちいさくくちびるを動かす。彼女の声音はいつも一定のトーンにおさまる。使う空気の少ない、喉の上のほうに呼気を当てるタイプの、か細いけれど通る声。方言の気配がなく、標準語というにはアクセントとイントネーションの幅が全体に小さい。その声が言う。
不自然なんですよ、わたしの顔は。
理想を追求するっていうコンセプトで作ったので、自然ではないです。整形に近しい人たちは自然だって言うけれど、一般的にはそうじゃないって、当時からわかってはいました。時間も経って、最近の流行から少しずれているから、より不自然に見えるはずです。マキノさんがわたしの顔を「不自然じゃない」と思うのは、単に、よく見ていないからです。
そうなんだ、と私は言う。ごめんなさい、実際よく見てないんだと思います。もうしわけない。
すると彼女は口元に手を当て、喉の奥をわずかに鳴らす。眉間が少し開いたように見える。それを聞いて見て、思う。これが彼女の「声を出して笑う」様子なのだ。
彼女は言う。
こんな世の中で、顔を気にしていないのは、いいですね。気が楽だろうし、インテリジェントな感じもします。
私は、声と話しかたと大まかなシルエットで人を覚えている。人の顔をきちんと覚えられないからだ。
長期間ごく親しくしている相手の顔は覚えている。一緒に住んでいる家族の顔が変わったらさすがにわかる(頬が腫れていた時にちゃんと気づいた)。しかし、ちょっとした知人であれば、顔はあまり覚えていない。声のほうがよく覚えている。あまり話さない相手なら、会ったときの印象だけが(その時に思った言葉で)残っている。だから勤務先で誰かに会釈されたら相手が誰だかわからなくても会釈をかえす。「あなたとすれ違ってうれしいですよ」みたいな感じで。誰だかわかってないんだけども。嫌いなやつだったらどうしよう。
人の顔を、気にしていないといえば気にしていないのだが、正確には、気にする能力がない。インテリジェントというのは、たぶん「ルッキズムに毒されていなくて政治的に正しい」みたいな意味なんだろうけども、そして私は政治的に正しいとされがちな思想傾向にあるけれども、見た目問題に関しては、単に弁別能力がないのである。
そこまで説明するのは変だから、私はただ、あいまいに笑う。彼女は口をひらく。いつもは会話のレシーブ側にばかり回る人なのに、今日は珍しい。
気づかれないのは嬉しいですが、気づいてほしい気持ちもあるので、ときどき、さっきみたいに、言うんです。整形ですよって。
気づいてほしいのは、努力したからです。お金もかかりましたし、何より苦痛を乗り越えたので、そのことをわかってほしい気持ちがあるんです。今でもわたし、顔の一部の感覚が鈍くて、それが表情にも影響していると思います。そういう苦労をして手に入れた顔だって、たまに言いたくなるんです。受験勉強をがんばったから出身大学を言いたくなるみたいな感じかもしれません。ふふ、わたし、出身大学も、わりと言います。そういうタイプなんです。もちろん、ダイエットもしてます。骨切りするとタルミが出やすいから余計に太りたくなくって、毎日自炊して、ジムに行って。
いいんじゃないでしょうか、と私は言う。評価してほしいことをアピールするのは、いいことだと思います。私こないだ鼻の病気で手術をしたんですけど、鼻の穴の中をちょっと切るだけの日帰り手術で大ダメージでしたよ。超つらかった。外見を変えるほどの手術なんて絶対耐えられない。すごい。意思が強い。立派なことです。自炊もジムもえらい。
彼女は口元に手をやり、腰を折って笑いの仕草をする。私の発言がわざとらしくて可笑しかったのだろう。
可愛らしい、と思う。
そしてその可愛らしさを、この人は自分でわかっているのだろうかと思う。この人は立派なキャリアを積んだ大人だけれど、上手に描けた絵を見せたくて走ってくる幼児みたいな、いたいけな感じがする。
そう思って、それから、自分に尋ねる。私がそう感じるのは、彼女が作った、「理想を追求した」顔のせいなんだろうか? 外見が「良い」から、この人を可愛いと思うのだろうか?