傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

暇なやつ、それから悪いことしないやつ

 わたしがどのような人間か説明するとしたら、そのひとつに「暇そうで悪いことはしなさそう」という項目を入れる。
 わたしはものすごい方向音痴である。それなのに道を訊かれる。外国でも訊かれる。電車の乗り方を訊かれる。それからちょっとした頼まれごとをする。ひところは旅行のたびに観光地で誰かの写真を撮っていた(今はセルフィーが多いからか、減った)。飛行機に乗れば隣の人から「このボタン何に使うんだと思う?」「そのペン貸してもらえない?」などと言われる。たまには黙って乗って黙って降りたい。一昨日は搭乗するなり「ちょっとお願い」とスタバの飲み物を手渡された。彼はそれによって自由になった両手を使用して自分の荷物を仕舞っていた。ありがとう、と彼は言った。

 わたしは暇そうなのだ。居住地にいても、世界のどこにいても、誰といてもひとりでいても、たとえ急いでいても、暇そうなのだ。
 わたしは観光客と地元の人がくつろぐ港の公共市場の外のベンチで薄ぼんやりしていた。わたしは海外で薄ぼんやりするのがたいそう好きである。
 市場にはフードコートがあり、人々はそこで昼食を買い、海の見える広場のベンチで食べていた。広場には楽器をつまびく人や歌を歌う人がいて、お金をもらおうとするでもなく演奏しているのだった。
 気がつくと小さなリヤカーに機材とバイオリンケースを載せた男性がわたしの横にいて、やあ、と言った。やあ、とわたしも言った。あのさ、と彼は言った。これ見ててくれる。二分で戻る。
 彼はそそくさと市場が入っている建物に消えた。手洗いだろう。
 薄ぼんやりしていると彼は戻り、ありがと、と言った。見ててくれたんだ。
 とうとう見知らぬ人から商売道具を預けられる身になった。なんだか極まったな、とわたしは思った。

 わたしがこのたび旅行している町は多文化共生を旗印にしていて、いろいろなところでいろいろな人が働いている。たとえばパリとはちがう。わたしはパリをとても好きだが、清掃業者やいわゆる下働きがことごとくアフリカ系であることに、いつまでたっても慣れない。生理的な嫌悪感を覚える。この町にはその種の居心地の悪さがない。
 この町には素敵なブリュワリーがあって、来るたびにお土産にしている。そのためにリカーショップに行く。個性豊かなローカルビール、デイリーから贈答品までカバーするワイン、それからほんの少し、カクテルに使うようなスピリッツと上等なウイスキー。酔っぱらうためだけの安酒はない。
 スーパーマーケットに行けばうっとりするほど新鮮な野菜が大量にあって、干した野生のきのこや量り売りの美しい精肉や加工肉やチーズ、ぴかぴかのサーモンや鱈が並べられている。高級なスーパーじゃないのにだ。アメリカで庶民的なスーパーに行って手に入る野菜は袋入りの小さくてひび割れたにんじんだけなのに。
 わたしがアメリカ合衆国にあるとき、わたしはそれを手に入れて宿に戻り、かなしい気持ちでさりさりと噛む。わたしの好きな、とてつもなく豊かであまりに貧しくて底抜けにさみしい、アメリカ合衆国。ニューヨークのオーガニックスーパーで野菜をいっぱい買って、その日の夜にバーで隣り合わせたアメリカ人から「行ったことがあるのはニューヨークとLAだけ? 毎日生野菜を食べている? ではあなたは本当のUSAに行ったことはないよ」と言われた。彼女はわたしにハイネケンを奢ってくれた。それから、あなたはかわいそうな子だねと言った。きれいな人だった。

 このたびの旅行では中心市街地に宿をとっているけれど、人々はあまり夜遊びをしないようだ。この土地の人々はそんなのよりアウトドアを楽しんでいるように見える。街中には犬連れの人がたくさんいて、犬たちはみな、毎日たくさん散歩してもらっているように見える。

 こんなにもヘルシーでピースフルでファミリアな土地にいて、そうして友だちも親しい人もできずにドロップアウトしたとしたら、どんなにか孤独だろう。アメリカでの孤独の比ではない。
 そのような人であるバージョンのわたしの朝昼晩のようすが脳裏に展開される。きわめて安全な明るい大通りで、あきらかに様子のおかしい、おそらくドラッグをたくさんやっている人を見たからかもしれない。

 暇なのはいいことである。食うに困らず、おおむね世界を信頼していて、犬みたいに機嫌がいい。わたしはそのような人になりたいと思って努力してきたのかもしれなかった。足下に散らかった、わたしに投げつけられた小石の数々を、ひとつひとつ腰をかがめて、すべて拾って、それらをいちいち磨いて、そうして生きてきたのかもしれなかった。