傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

自由意志と家の中に落ちている靴下

 同僚ふたりが目の前で次々に話題を繰りだす。わたしたちはいずれも四十代の女で、ひとりは娘が小学六年生、もう一人は子どもなしの二人暮らしである。彼女たちはふだんから早口なのだが、退勤後に食事やお茶に行くとさらに早口になる。言いたいことがたくさんあるのだ。
 彼女たちの話題はめまぐるしく入れ替わる。職場の人事異動について、担当したプロジェクトについて、今後の組織改編について、それから私生活について。彼女たちは何に関しても明瞭な意見と長期的な方針を持っているように見える。ふたりがふとわたしを見て、「この人なんで黙ってるんだろう」という顔をする。仕事の話や趣味の話や食べ物の話をしている間は、わたしもよく話すからだろう。わたしはいくらか目をふせて、しょうことなしに少し笑う。

 家庭の話になるとわたしはあまり話すことがない。子どもはひとり、もう大人で、家を出ている。夫とふたりの生活には変化というものがない。家事は昔に比べてたいへんではない。全自動洗濯機もロボット掃除機もある。食器洗い洗浄機は必要ない。家族の数が少ないと、皿洗いは手を洗うほどの手間でしかないようにわたしには思われる。
 立派だなー、とひとりが言う。ロボット掃除機だから掃除の手間がないなんてことないでしょ。ロボット掃除機を掃除する必要がある。夫はそこのところをぜんぜんわかってないの。それでこの前おこっちゃった。あの人、ようやく自分の洗濯物を自分でまとめて自分でたたむようになったんだけど、なにしろ独身のころから買ってきたものを食べて掃除もろくにしない人でね。わたしはまあ、わかってて結婚したからいいんだけど、でも今はわたしだけの問題じゃなくて、娘の教育によくない。同じように働いてるのに男のぶんまで家事するのが当然だなんて、娘には思ってほしくない。だからこの人の家に娘を連れて行ったりしてるの。料理してる男性を見せたくて。
 そう言われたほうの同僚は、ことのほかつんとした顔をつくってみせる。彼女のパートナーは家のことを何でもする人なのだそうである。助け合わない人間と一緒に生活する理由はない、と彼女は言う。わたしは、障害があるのでもないのに自分の身のまわりの面倒も見ない大人は、生理的に無理。でもあなたはとにかく相手の顔が好きで結婚したのだから、いいじゃない。その信念の強固さについては、わたし尊敬してるんだ。面食いもそこまでいけば立派なものだよ。
 ふたりはパートナーシップのあり方について侃々諤々と話す。それからまたわたしを見る。わたしは今度は目を伏せずに笑う。そして言う。ふたりとも立派だね、ちゃんと考えて人生を決めていて。

 わたしは親同士が仲の良い近所の子どもだった人と、今でも一緒に生活している。好きだったのかと言われれば、もちろん嫌いではなかった。しかし絶対にこの人がいいと思っていたのでもなかった。まして、この人が好きだからこの人のぶんまで家事をやろうと思ってしてきたのではない。ただ大きな波が来て交際して結婚して二人分ないし三人分の食事をつくって皿を洗って脱ぎ捨てられた靴下を拾って生きている。子どもだって作ろうと思って作ったのではなくて、できたから学生結婚と休学と出産をした。そうしてずっと、生まれた町の、自分と夫の両親の家の近くに住んでいる。
 それだけである。

 意思がない、とわたしは言う。わたしの意思で結婚して子どもを持ったのではない。誰かと戦って何かを勝ち取ったことがない。ただ許された環境にいて運良く食い扶持を稼ぐことができて、それなりにキャリアを築くことができた。それがわたしの意思だったのかと言われると、そうじゃないと思う。わたしは勉強しろと言われて勉強して、職場で求められることをして、家事も育児もわたしがするものだと思ってた、ううん、思ってさえいなかった。ただしていた。そのための努力はしてきた。でも、努力しようと意思してしたのではない。わたしはただ、たまたま睡眠時間が少なくても平気で、体力があって、それで。

 そうだろうか。
 ひとりがつぶやく。
 あなただけ意思がないなんてことはない。わたしだって、職場でできることをしているだけの人間だよ。家族だって、なんだかよく家に来て、長く居て、居ると気分が良くてラクで、だから一緒にいて、今もそうしているだけだよ。子どもがいないのも子どもがやってこなかったからで、いたらいたで育てていたと思う。わたしは、こんなに主張の強い声のでかい人間だけど、でも、ほんとうは環境の変数の合計にすぎないんだと思う。
 わたしはもう一度目を伏せる。そんなことはない、と思う。