傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

何者かにならない

古い友人が試験勉強をはじめた。友人は不動産を扱う会社に勤めていて、不動産鑑定士というのを取るのだそうである。記憶力が落ちていて困る、年は取りたくないものだ、などとと言う。彼女の高校時代のあだ名は「人間手帳」である。やたらと記憶力がいいのだ…

迷信の誕生

炭酸の摂取がアルツハイマー病の発症と相関関係にあるという説があるらしいんです。同僚が言う。私たちはたがいの手元を見る。そこにはビアグラスがある。炭酸ガスがその存在を主張している。どこの説ですか、と私は尋ねる。そういう言い方から推測するに、…

字がきれいで、声がいい

私が小さかったころ、土曜になると近所の保育園に書の先生がやってきて、行くと教えてくれた。私は大人になるまで習い事というものをしたことがなくて、この書道教室だけが例外である。要するによぶんなカネを費やさず家事をするという身分で育ったわけだが…

教養がないとはどのようなことか

私の勤務先では人事部だけが採用活動をするのではなくて、現場の人間が面接を担当する。面接官は通常二人組で、このたび私を指名したのが篠塚さんである。篠塚さんは言う。僕、教養がないんで、面接でその手の話になったときにはよろしくです。 篠塚さんは私…

お知らせ(書き下ろし)

今週の原稿は他媒体への書き下ろしです。本ブログの更新はありません。 fuminners.jp

ロマンスのセンサー

友人が双子を産んだのでよく見にいく。子どもというのは見ていておもしろいものなので、他の友人も一緒に寄ってたかって子どもをかまっている。子のある者は子を他人と遊ばせることができ、子のない者は物珍しくて嬉しい。一挙両得である。 双子はこのあいだ…

お知らせ(書評)

河出書房新社「文藝」2019年春季号に書評を書きました。エリザベス・ストラウト、小川高義訳『何があってもおかしくない』の書評です。

敗北を売る

この二、三年、Youtubeで将棋の解説をしている。わりとまじめな解説なんだけど、ノリは軽くて、最終的には「でも僕、負けた人間なんで」「プロになれなかった人間の予測だ、あてにすんな」みたいな感じで笑ってもらう。いい小遣い稼ぎになっている。インター…

お正月を許す

元旦の昼、「東京の伯父さん」という役割を果たすために新幹線の切符を買う。 平均寿命の半分近くまで好き勝手に生きてきた。堅実な教育を受け、こつこつ勉強し、十八になって、好きな数学をやろうと思ったけれども、あれは完全に才能の世界で、僕にはそんな…

影を買う

今年のクリスマスの準備は手間取った。 わたしの家のクリスマスは二十四日の前の週末だ。わたしが小さいときからそう決まっている。土日のどちらでもいいんだけれど、母が買い出しや料理をする時間を確保するためか、日曜日が多かった。父はだいたいいなかっ…

お知らせ(書き下ろし)

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楽しげな景色

自分よりも年長の、それも極端に年上なのではない、ひとまわりくらい上の知己に会うとする。すると彼らはほぼ確実に、やれ老眼だ中性脂肪だ高血圧だと、話の枕のように老化の状況を口にする。その顔はちょっと楽しそうだ。中年の後輩ができて嬉しいのだと思…

人でなしの誘惑

イラストを描いて生計を立てはじめてもうすぐ十五年になる。学生の時分から仕事をもらっていて、そのまま職業イラストレーターになった。企業に所属してはいるが、企業側の役割はほぼエージェントであり、中身は自営業者の集まりに近い。所属を経由してでき…

家を作れなかった男

わたしの両親はわたしが十一歳のときに離婚した。そのことはとくにうらみに思っていない。わたしが小学校に上がるころまで、父はよくわたしや妹の面倒を見てくれた。父は乳幼児の相手が上手い人であったように思う。一方でわたしが少し大きくなるとなんだか…

愛されない子のピアノ

両親から相続した小さな二階建てをリフォームしてひとりで住んでいる。空き部屋があるので、ときどきそこに人を住まわせる。たいていは自分の住居を見つけて出て行くから、わたしはまたひとりになる。しばらくひとりでいて、また別の人を住まわせる。わたし…

愛された子のピアノ

メイ先生の家に行く。メイ先生はわたしが小学生のときに近所でピアノ教室をしていたおばあさんである。息子たちが独立して久しく、五年前に夫が亡くなってひとり暮らしをしている。さみしかろうと思ってときどき行く。 わたしにとってピアノはただの手習いの…

お知らせ(書き下ろし)

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長い法要

もうすぐ帰国します。二週間ほどいるので、お暇な日を教えていただけませんか。日本っぽいものが食べたいな。 そのようなメッセージが入る。履歴をさかのぼると去年にも似たようなメッセージがある。その前は一昨昨年。海外に住む知人から、「帰国するから食…

あなたが憎くはないけれど

この世には暗黙の了解とされることがたくさんある。彼女はそのルールをこまかく読むことのできる人間である。職においては短いスパンで客先に常駐し、大量の聞き取り調査を実施し、その場その場の暗黙のルールを察知する。暗黙のルールはだいたいの場合、職…

かわいいを作れない

彼女は美容師である。都心の、美容室とギャラリーとファッションブランドが延々と並ぶ街で働いている。彼女のキャリアは結構なものだし、料金も高めなので、主なお客は二十代半ばから三十代の、美容に関心の高い女性だ。キュートなスタイルが得意で、美容室…

野蛮な風穴

この世には私の知らない複雑なルールがあり、みんなはそれにしたがって事を運んでいる。法律や規約なら書いてあることを読めばよいのだが、そういうのではない。「空気を読む」みたいなやつである。私にはそれが見えない。だからルールを知らないまま、見よ…

お知らせ(書き下ろし)

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羽鳥先生は静かに暮らしたい

わからない、と同僚が言う。そう、と僕は言う。そして説明をはじめる。僕にとって、わからないのはぜんぜん悪いことではない。その理屈はわからない、というならより多くの説明があればいいのだし、その感覚はわからない、というなら双方が「そんなものか」…

プリキュアになれなかった女の子

世のため人のために働くんだと思っていた。わたしは無邪気な自信家だった。将来はずっと口を糊することができると信じていて、それ以外の余剰があって、それでもって人に尽くすんだと思っていたのだから。高校生になっても、大学生になっても、なんなら社会…

バグ対応にストーリー

何かから逃げている。何かはわからない。でも逃げている。そのような感覚をずっと持っている。物心ついてからずっとある気がするけれど、強くなったのは高校生のころだった。そのころから、「逃げている」という感覚にとらわれると生活できないとわかってい…

劇場から出ない

だって仲良くなって何度かおたがいの部屋に泊まった相手なら、部屋の中を下着でうろうろするものでしょ。 私がそう言うと彼女は完全に沈黙し、それから、ほう、とつぶやいた。そのつるりとしたひたいに「保留」と書いてあるかのようだ。インテリジェントな人…

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夫が病気になったので

朝はテレビのニュース番組をつけっぱなしにして、見ていたり見ていなかったりする。わたしの家の朝の日常的な光景だ。夫は決まってトーストとコーヒー、わたしはそれに加えてヨーグルトかチーズを食べる。トーストを焼くのは夫、コーヒーを淹れるのはわたし…

夏の子ども

巨大で清潔で管理された水たまりに行った。凶暴な日差しが濃い影を作る水辺、といったら楽しそうだが、なにしろ膝までしかない水たまりなので、それだけあっても楽しいものではない。幼児を解き放って水遊びさせるための設備だ。プールより手数をかけず安全…

折り返し地点の転倒

寝苦しいのは冷房のせいだと思っていた。このところの気温の高さで、眠るときにも冷房をつけたままにしているからだ。でもそうではなかった。うとうとし、何度か目が覚め、そのたびに「悪い夢を見ているんだな」と思った。そうして何度目かに認めた。これは…