傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

呪いをかけられなかった娘

三十歳前後からまわりの女たちの半分くらいが変な感じになった。結婚するとかしないとかできないとかしたくないとか、そういうことをやたらと言うようになった。わたしは全員に「そお」とこたえた。そんなの好きにすりゃあいいじゃんねえ、と思った。日本に…

なりふりかまわず手当たりしだい

自宅のある階でエレベータを降りようとしてそれに気づいて指が痛くなるほど強く「閉じる」ボタンを押した。見るな、見るな、こちらに顔を向けるな。エレベータが一階に降りても恐怖は消えず、あとも見ずに走った。 LINEでつかまった女友達に通話を頼んで、言…

ユキコはいい子、いつも、ずっと

ユキコはまじめな女の子だった。わたしたちは中学生で、同じ塾に通っていた。保護者が熱心に勉強させている家庭の子が行くたぐいの塾で、入塾試験が難しいと評判だった。わたしは間違って入ってしまったみたいな感じで、いつもびりに近かった。ユキコは精鋭…

シンデレラボーイの妻

夫のことをよく知らない。 夫と知り合って十五年、結婚して十二年になる。わたしは夫の仕事の内容や給与や日常のルーティンや食べ物の好みを知っている。何に対してセンシティブで何について無関心かだいだい把握している。暇になるとすることのパターンもわ…

送り盆の日

ときどき、自分の頭に不満を持つ。私が考えたいこと、覚えていたいこと、想像したいことに脳が追いつかないときに、不満を持つ。頭が悪い、と思う。誰と比べて、というのではない。私の欲望に対して、私の頭が、悪い。 夜の夢はあまり見ない。年に何度か、ほ…

可愛いだけが取り柄でしょ

犬を飼おうと思う。 わたしがそのように言うと彼は首を曲げてこちらを見たあと、ゆっくりと元に戻した。そうして、いいんじゃないですか、と言った。この人が敬語を使うのは、わたしに何かを言い聞かせたいときと、もっと突っ込んで聞いてほしいときである。…

お知らせ

2011年に出した電子書籍アプリが仕様変更で利用できなくなりました。そこで、このアプリのために書き下ろした短編をnoteで公開しました。偶然を贈る|槙野さやか @kasa_sora|note(ノート)https://note.mu/kasa_sora/n/n633dddd15a3e

親密さの設計

二十歳のとき、「作戦を立てずに生きていたらいずれ人間関係がなくなるな」と思った。わたしは基本的にひとりでいたかった。自分の家族を持つにしてもひとりでいる時間はほしいと思った。昔の村社会みたいなところに所属するのはいやだった。でも完全にひと…

この町を出て、永遠に戻らなかった

東京の下町に生まれた。放課後の主な居場所だった区立図書館には「郷土の本棚」というのがあって、区内の歴史の本だとか、区内を題材にした落語を集めた本だとか、区内が登場する近代文芸のオムニバスだとか、そういうのが並んでいた。気が向いていろいろ読…

生徒会長から雲をもらった話

西脇くんは生徒会長でわたしは書記だった。中学生のころのことだ。わたしたちは素直ないい子で、クラスで推薦されて先生からもやってほしいと言われて全校生徒の前で選挙に出て生徒会をやっていた。わたしはピアノが得意で芸高の受験準備をしていた。西脇く…

好意なし、友情あり

いや、みんな、だいたい、おたがい、知ってます。部下がそう言うので、ははあ、とわたしは返した。間抜けである。部下は笑った。うちのチーム、お互いの私的な事情はだいたいわかってます。もちろん、濃淡はあるけど。「あの人は今年お子さんが受験だ」とか…

憤怒の才能

嫉妬って怖いですよね。歓送迎会でよく知らない人がそう言うので、そうなんですね、と私は言った。とくに意味のない、社交上のせりふである。歓送迎会はまとめてやるので、ふだんはかかわりのないよその部署の人がいるのだ。 そうなんですね。私が相槌よりや…

嘘つきサキちゃんの不払い大冒険

サキちゃんは小さいころから嘘つきでした。妹と口裏を合わせて凝った嘘をつくので、近所の人々から「あの嘘つき姉妹」と呼ばれていました。 嘘つきには、自分がついた嘘を嘘だとわかっている嘘つきと、自分がついた嘘をそのうちほんとうだと思いこむ嘘つきが…

わたしの部下は口を利かない

榊さんは口をきかない。そういう人なのだそうである。聴覚障害ではない。発声器官に障害があるのでもない。特定の場面、たとえば学校や会社などで口をきけなくなるのだという。榊さんは一度も口を利かないまま同じ会社の別のフロアで何年かアルバイトをして…

蟻の女

これからこの女とセックスするんだと思った。これは知らない女で、今からやってカネをもらうんだと思った。そう思わなければ50センチ以内に近づくことができなかった。実際のところ、セックスなんかぜったいにする気はなかったし、その「女」は僕の母親で、…

愛されにくさへの手当て

わたしは愛されにくい。ほとんど誰もわたしを愛さない。しかたがないから愛されにくくてもできるだけ楽しく生きていく方法を考えようと思った。十五のときのことである。 わたしは空気が読めない。口頭での会話が苦手で、人と話す場面でがちがちに緊張する。…

知らないなんて許せない

ソーシャルメディアをぜんぶ閉じた。ものを書いたときの通知に使用するSNSアカウントを一つ残したが、そこでも一切の相互性を排除した。誰もフォローしない。リプライはしないし、見ない。シェアや「いいね」はもとよりほとんどしないが、徹底してゼロにする…

あなたはこうしてキモくなる

人間関係におけるキモさというのは、僕が思うに、舐めながら期待しているときに生じるんです。なんていうのかな、「この程度の相手であれば、自分をよく扱うだろう」という感じ。好意が発生するときにはしばしば期待がともなうものだけど、そこに相手を見下…

今じゃなければ、さよならだ

子どもが泣いている。大人たちは笑っている。子どもは三歳半である。身も世もない、それはそれは悲しそうな泣きぶりである。 女友だちが寄り集まって小さい子たちを連れてピクニックに出かけた帰り、電車に乗って順次解散しているところである。いちばん小さ…

マジョリティの地獄

背後から女の声が聞こえる。 私は男に生まれなくてよかったと思うよ。私が男だったらさあ、ちやほやされて育って、ぜんぜん挫折しないもん。女の子にもモテる。もう絶対モテる。それでナチュラルに威張る。家庭のことは結婚相手に丸投げして、「子どもの教育…

たましいの接着の弱さ

ふだんより大きなプレゼンテーションをする仕事があった。会場も広いし時間も長い。一人でやるとぜったいに間が持たないので仕事仲間と一緒に登壇することにした。 早めに会場に入ると、スタッフから「準備の持ち時間は一組あたり二十分です」と言われた。そ…

「生んでくれてありがとう」

生んでくれてありがとう。 息子が言う。保育園の卒園式のことである。子どもたちがひとりひとり保護者にメッセージを伝える。なにぶん六歳だ。自分だけで考えたら、要領をえない、しどろもどろの、あるいは日常的な発話になる。でも式典はスケジュールが決ま…

余剰の捕縛

仕事の会合のあとでそのうち一人が飲みに行きたいというのでついていった。僕は人の言うことにあまり逆らわない。仕事上の利害関係に反する場合は逆らうし、夜の11時より遅くなるなら逆らう(眠りたいから)。それから酒を強要する相手には逆らう。僕は生ま…

めんどくささの範疇

友人の職場は景気がいい。右肩上がりのベンチャーで、何度か大幅な事業拡大をして、都度求人を出している。友人はその求人の波のひとつに乗った。二年前のことである。私たちはいわゆる氷河期世代ど真ん中の、しかも女で、同世代の仲間うちに転職経験のない…

記念写真の日

息子が卒園式でスピーチをすることになった。どうして選ばれたか知らない。保育園は学校ではない。成績とかはない。息子は引っ込み思案ではないが、人前に出ることを好むタイプでもない。発話能力だってとくに早熟なほうではない。だからたぶんてきとうに指…

こいつも仲間じゃなかった

読み終わった小説やマンガは人にあげる。家に置くときりがないからである。たいていのものは読んでくれそうな人がいて、会うときに持って行ったり、段ボールで送りつけたりしている。 いつもマンガを引き取ってくれる友人が言う。そういえばマンガ家の、ほら…

お知らせ(書き下ろし)

今週の原稿は他媒体への書き下ろしです。本ブログの更新はありません。 fuminners.jp

何者かにならない

古い友人が試験勉強をはじめた。友人は不動産を扱う会社に勤めていて、不動産鑑定士というのを取るのだそうである。記憶力が落ちていて困る、年は取りたくないものだ、などとと言う。彼女の高校時代のあだ名は「人間手帳」である。やたらと記憶力がいいのだ…

迷信の誕生

炭酸の摂取がアルツハイマー病の発症と相関関係にあるという説があるらしいんです。同僚が言う。私たちはたがいの手元を見る。そこにはビアグラスがある。炭酸ガスがその存在を主張している。どこの説ですか、と私は尋ねる。そういう言い方から推測するに、…

字がきれいで、声がいい

私が小さかったころ、土曜になると近所の保育園に書の先生がやってきて、行くと教えてくれた。私は大人になるまで習い事というものをしたことがなくて、この書道教室だけが例外である。要するによぶんなカネを費やさず家事をするという身分で育ったわけだが…