筋トレを減らして走ろうかな、と思う。 中年期の身体メンテナンスとして週二回ほどマシントレーニングを続けて二年ほど、ふだんは一人でやっているのだが、トレーナーに状態を見てもらった。そうしたら、「特別なスポーツをするのではない中年女性としてはじ…
友人がやって来る。店の入り口でわたしを探す。わたしは軽く手を挙げる。それから、お花、と思う。友人の背景にお花が飛んでいる。そんなふうな感じがする。昔の少女マンガみたいに。そもそも、待ち合わせのためのメッセージの文体が変わっていた。 これはあ…
大伯母が英語を話さなくなった。 彼女のことを知らない人に話すときには「大伯母」と言うが、そんな機会は滅多になく、だから僕はそう口にするたび、「そうかこの人は大伯母だったのだよな」などと思う。彼女は親戚のあいだで「ジェシカ」と呼ばれている。僕…
人生で十一回目の引っ越しをした。ずっと賃貸で暮らしてきたが、このたびは分譲マンションである。すぐに売るのも損なので、十二回目の引っ越しはだいぶ先になりそうだ。子どもが独立する十年後くらいかな、と思う。 本当にそんなに長く一つところに住めるか…
この時期は調子が悪くなるんです。 ええ、あの日は、こういう暑い日だったんです。 わたし、いいように利用されましてね。好意をかさに着て、人を利用する人間っているじゃないですか。そういうタイプに、してやられたんです。 ああ、いえ、わたしの当時の行…
服が嫌いである。 ファッションが嫌いなのではない。着るものを選ぶのは楽しいことだと思う。買い物も楽しむ。しかしその頻度は、おそらく非常識なまでに低い。 正確に言うなら、長時間にわたって服を着ている状態が嫌いなのである。 職場で許容される範囲の…
わたしの話、書いてもいいけど、それならマキノさんが「買った」話も書いてよ。 ホスト通いをしている若い友人が言う。あるでしょ、コミュニケーションっぽいものを買ったこと。一回いくらで、総額いくら突っ込んだ? 貢ぎ系は総額だけの回答も可。 貢ぐよう…
推しが生きてる若い女じゃなきゃイヤなのは、夢を見たいからでしょ。超わずかでも可能性がないと夢も妄想も生まれないから。で、若い女に夢みといて「これは性欲じゃない、キレイな感情なんだ」みたいな、そういう気分でいて、そのくせアイドルに男がいたり…
ChatGPTで済む人は、たしかにコスパいいと思います。 僕はぜんぜん、興味もてないです。話してみても薄っぺらい。魅力がない。仕事では便利に使ってるし、調べ物とかもする、でもそれだけです。メンタルには関係ない。 僕のメンタルに効くのは推しです。 推…
わたしの世代の生成AIの使い方ですか? えっと、わたしの友だちが何人か、ChatGPTを訓練して理想の彼氏を作ってます。目的ですか。メンケアがメインです。あ、メンケアって言いません? メンタルケアって意味なんですけど、そんな専門的なケアとかじゃなくて…
二日間の小旅行から帰ると、がじゅまるが死んでいた。 植物というのはこんなに見るからに「死んだ」状態になるのだなと、私は思った。もっとゆっくり死ぬものだと思っていた。二日前には枯れた葉を一枚取り、いつものように水をやって、それから出かけた。そ…
姉が三十五歳になったのを機に、お金の話を根掘り葉掘り訊くことにした。 長丁場になったときの兵糧として、家族で贔屓にしている神田の洋菓子屋さんのお菓子、それにコーヒーのドリップパックを調達した。念入りに封鎖しなければ、姉は「コーヒー買ってくる…
管理職十年目にして未だに好きではない仕事がある。評価面談である。 基本的な仕事もできておらずミスマッチが明白であるような部下が相手なら、ある意味で気が楽である。下の評価をつけることが確定するからだ。もちろん、最高にできる部下が相手でも、うき…
寝る前に頭に浮かんでくるやつあるじゃん。それみたい。 私がそのように言うと、彼はゲームの手を止め、疑問符を持ち上げる。寝る前に? 私はゲームをやらない。やったことがないまま大人になってゼロから覚えるにはシステムが難しすぎるように思う。それで…
昨年度新人として配属されてきた若者があまりに優秀なので訊いてみた。いやほんとすごいよ、平然と努力してひょいひょい挑戦してるように見えるよ、なかなかそうはいかないよ、どうしてできるのでしょう。 彼は一瞬無表情になった。 しまった、とわたしは思…
インターネットにものを書いている人間ばかり数人で顔を合わせる機会があった。私はそうしたつきあいに疎いので、彼らに会うのは久方ぶりのことである。 うち一人が離婚したという話をはじめた。SNSでちょっと書いたけど、とその人は言った。えっと、いいか…
身のまわりで生成AIが話題なので、会う人会う人に「AIに何をさせている?」と尋ねている。 わたし自身は仕事に使用している。大雑把にいって、わたしにとってのAIは、スケジュール管理ツールであり、検索エージェントであり、資料作成補助アプリであり、翻訳…
きみはだいぶ前に勝手に死んだので知らないと思うけど、わたしは今、恋人と一緒に暮らしているよ。 きれいな人だよ。 わたし、その人にずっと、恋をしているの。 きみにしていなかったやつを。 きみはガラスの靴はいてるみたく危うかったから、最初から対象…
都合が良すぎると愛せない、ねえ。 友人がつぶやく。それから言う。 でもさあ、自分側に偏って都合のいい会話をしてくれる相手は、うん、AIでなければ、接客とか、力関係のある相手だけだけど、パターン化はもっとありふれてるでしょ。職場の会話とか、つき…
チャッピーに課金したかと友人が訊く。彼女の言うチャッピーとは、話題のテキスト生成AIのことである。している、とわたしはこたえる。勤務先がお金を出してくれるから。とても役に立っている。 そう、と友人は言う。それからちょっと悪い顔をする。あなたの…
警察署と区役所へ行く。不動産を取得したためである。 通常の不動産取得にはその必要はない。不動産仲介業者が司法書士を雇ってその司法書士が書面を作って登記して、それで仕舞いである。しかしわたしはその登記簿を親に見られると生活に支障をきたす、要す…
勤務先で新規部署が立ち上がるという。AIとかデータサイエンスとかそういう流れを受けたアレである。 僕の会社は大雑把にいってそれらに関連する業界ではあるが、かといってそれが現在の中核的な事業というわけではない。 取締役の、代表でない一人がその立…
大学生のころに家庭教師をしていた子の母親がときどき食事をご馳走してくれた。たくさん食べなさいと言いながら自分はほんのちょっぴりで、食後はわたしにコーヒーを淹れてくれて、自分はハーブティーを飲んでいた。自分の母親や叔母もある程度の年齢で「な…
いつも首から値札を下げて生きていると思っています。 わたしがそう言うと先輩はわたしの語尾が消える前に口をあけ、それから閉じ、わたしが首をかしげて待っていると、もう一度ひらいた。そうして、この業界にいるからかねえ、と言った。 わたしたちの業界…
美容院ではよく眠る。 熟睡すると首ががくっとなって危険なので、うとうとする程度ではある。眠りの海の砂浜にいちばん近い浅瀬までしか行かないのだが、それでも店に居る時間が三十分程度に感じるくらい、よく寝ている。カラー剤を浸透させている間は遠慮な…
こないだマッチングアプリを入れてみたんだけど、人がいっぱいいてびっくりちゃった。うんそう、男性と出会うやつ。 友人が言う。わたしは驚く。 この人は二十五で結婚して二十七で離婚して、それから二十年、少なくともわたしに対しては、色恋の話もパート…
Kは忙しい。Kは十歳のふたごの母親である。フルタイムの職を持ち、家事子育ては結婚相手と等分におこない、多くの友人と定期的な会合を持ち、かねてより「少なくとも年二回は家族とじゃない、友だち同士での旅行をしたい」と言っていた。 端的に言って無茶で…
わたしの彼氏のあだ名は「姫君」である。 あだ名といっても本人に面と向かって呼ぶやつではない。友人たちとの会話で彼をさして使うニックネームである。三年前、わたしが彼と出会ったころ、彼が仕事の都合と裕福さにまかせて移動に車ばかり使っており、わた…
住んでいる自治体の粗大ゴミ回収受付のウェブサイトを開く。少し前にリニューアルしてスマートフォンでも申込みがしやすくなった。しかしわたしはこうした作業はPCでおこなう。近ごろ老眼が出てきてスマートフォンでの細かい操作にストレスを感じるのである…
最近の若い子はインターネットでどんなの見てるの。 そのように尋ねると、後輩はたっぷり二秒、意味ありげな顔をして、わたしが子どもだったときのお父さんみたいですね、と言った。わたしのお父さん子育て何ひとつしてなかったからたまに話しかけてくるとき…