傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

憤怒の才能

嫉妬って怖いですよね。歓送迎会でよく知らない人がそう言うので、そうなんですね、と私は言った。とくに意味のない、社交上のせりふである。歓送迎会はまとめてやるので、ふだんはかかわりのないよその部署の人がいるのだ。 そうなんですね。私が相槌よりや…

嘘つきサキちゃんの不払い大冒険

サキちゃんは小さいころから嘘つきでした。妹と口裏を合わせて凝った嘘をつくので、近所の人々から「あの嘘つき姉妹」と呼ばれていました。 嘘つきには、自分がついた嘘を嘘だとわかっている嘘つきと、自分がついた嘘をそのうちほんとうだと思いこむ嘘つきが…

わたしの部下は口を利かない

榊さんは口をきかない。そういう人なのだそうである。聴覚障害ではない。発声器官に障害があるのでもない。特定の場面、たとえば学校や会社などで口をきけなくなるのだという。榊さんは一度も口を利かないまま同じ会社の別のフロアで何年かアルバイトをして…

蟻の女

これからこの女とセックスするんだと思った。これは知らない女で、今からやってカネをもらうんだと思った。そう思わなければ50センチ以内に近づくことができなかった。実際のところ、セックスなんかぜったいにする気はなかったし、その「女」は僕の母親で、…

愛されにくさへの手当て

わたしは愛されにくい。ほとんど誰もわたしを愛さない。しかたがないから愛されにくくてもできるだけ楽しく生きていく方法を考えようと思った。十五のときのことである。 わたしは空気が読めない。口頭での会話が苦手で、人と話す場面でがちがちに緊張する。…

知らないなんて許せない

ソーシャルメディアをぜんぶ閉じた。ものを書いたときの通知に使用するSNSアカウントを一つ残したが、そこでも一切の相互性を排除した。誰もフォローしない。リプライはしないし、見ない。シェアや「いいね」はもとよりほとんどしないが、徹底してゼロにする…

あなたはこうしてキモくなる

人間関係におけるキモさというのは、僕が思うに、舐めながら期待しているときに生じるんです。なんていうのかな、「この程度の相手であれば、自分をよく扱うだろう」という感じ。好意が発生するときにはしばしば期待がともなうものだけど、そこに相手を見下…

今じゃなければ、さよならだ

子どもが泣いている。大人たちは笑っている。子どもは三歳半である。身も世もない、それはそれは悲しそうな泣きぶりである。 女友だちが寄り集まって小さい子たちを連れてピクニックに出かけた帰り、電車に乗って順次解散しているところである。いちばん小さ…

マジョリティの地獄

背後から女の声が聞こえる。 私は男に生まれなくてよかったと思うよ。私が男だったらさあ、ちやほやされて育って、ぜんぜん挫折しないもん。女の子にもモテる。もう絶対モテる。それでナチュラルに威張る。家庭のことは結婚相手に丸投げして、「子どもの教育…

たましいの接着の弱さ

ふだんより大きなプレゼンテーションをする仕事があった。会場も広いし時間も長い。一人でやるとぜったいに間が持たないので仕事仲間と一緒に登壇することにした。 早めに会場に入ると、スタッフから「準備の持ち時間は一組あたり二十分です」と言われた。そ…

「生んでくれてありがとう」

生んでくれてありがとう。 息子が言う。保育園の卒園式のことである。子どもたちがひとりひとり保護者にメッセージを伝える。なにぶん六歳だ。自分だけで考えたら、要領をえない、しどろもどろの、あるいは日常的な発話になる。でも式典はスケジュールが決ま…

余剰の捕縛

仕事の会合のあとでそのうち一人が飲みに行きたいというのでついていった。僕は人の言うことにあまり逆らわない。仕事上の利害関係に反する場合は逆らうし、夜の11時より遅くなるなら逆らう(眠りたいから)。それから酒を強要する相手には逆らう。僕は生ま…

めんどくささの範疇

友人の職場は景気がいい。右肩上がりのベンチャーで、何度か大幅な事業拡大をして、都度求人を出している。友人はその求人の波のひとつに乗った。二年前のことである。私たちはいわゆる氷河期世代ど真ん中の、しかも女で、同世代の仲間うちに転職経験のない…

記念写真の日

息子が卒園式でスピーチをすることになった。どうして選ばれたか知らない。保育園は学校ではない。成績とかはない。息子は引っ込み思案ではないが、人前に出ることを好むタイプでもない。発話能力だってとくに早熟なほうではない。だからたぶんてきとうに指…

こいつも仲間じゃなかった

読み終わった小説やマンガは人にあげる。家に置くときりがないからである。たいていのものは読んでくれそうな人がいて、会うときに持って行ったり、段ボールで送りつけたりしている。 いつもマンガを引き取ってくれる友人が言う。そういえばマンガ家の、ほら…

お知らせ(書き下ろし)

今週の原稿は他媒体への書き下ろしです。本ブログの更新はありません。 fuminners.jp

何者かにならない

古い友人が試験勉強をはじめた。友人は不動産を扱う会社に勤めていて、不動産鑑定士というのを取るのだそうである。記憶力が落ちていて困る、年は取りたくないものだ、などとと言う。彼女の高校時代のあだ名は「人間手帳」である。やたらと記憶力がいいのだ…

迷信の誕生

炭酸の摂取がアルツハイマー病の発症と相関関係にあるという説があるらしいんです。同僚が言う。私たちはたがいの手元を見る。そこにはビアグラスがある。炭酸ガスがその存在を主張している。どこの説ですか、と私は尋ねる。そういう言い方から推測するに、…

字がきれいで、声がいい

私が小さかったころ、土曜になると近所の保育園に書の先生がやってきて、行くと教えてくれた。私は大人になるまで習い事というものをしたことがなくて、この書道教室だけが例外である。要するによぶんなカネを費やさず家事をするという身分で育ったわけだが…

教養がないとはどのようなことか

私の勤務先では人事部だけが採用活動をするのではなくて、現場の人間が面接を担当する。面接官は通常二人組で、このたび私を指名したのが篠塚さんである。篠塚さんは言う。僕、教養がないんで、面接でその手の話になったときにはよろしくです。 篠塚さんは私…

お知らせ(書き下ろし)

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ロマンスのセンサー

友人が双子を産んだのでよく見にいく。子どもというのは見ていておもしろいものなので、他の友人も一緒に寄ってたかって子どもをかまっている。子のある者は子を他人と遊ばせることができ、子のない者は物珍しくて嬉しい。一挙両得である。 双子はこのあいだ…

お知らせ(書評)

河出書房新社「文藝」2019年春季号に書評を書きました。エリザベス・ストラウト、小川高義訳『何があってもおかしくない』の書評です。

敗北を売る

この二、三年、Youtubeで将棋の解説をしている。わりとまじめな解説なんだけど、ノリは軽くて、最終的には「でも僕、負けた人間なんで」「プロになれなかった人間の予測だ、あてにすんな」みたいな感じで笑ってもらう。いい小遣い稼ぎになっている。インター…

お正月を許す

元旦の昼、「東京の伯父さん」という役割を果たすために新幹線の切符を買う。 平均寿命の半分近くまで好き勝手に生きてきた。堅実な教育を受け、こつこつ勉強し、十八になって、好きな数学をやろうと思ったけれども、あれは完全に才能の世界で、僕にはそんな…

影を買う

今年のクリスマスの準備は手間取った。 わたしの家のクリスマスは二十四日の前の週末だ。わたしが小さいときからそう決まっている。土日のどちらでもいいんだけれど、母が買い出しや料理をする時間を確保するためか、日曜日が多かった。父はだいたいいなかっ…

お知らせ(書き下ろし)

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楽しげな景色

自分よりも年長の、それも極端に年上なのではない、ひとまわりくらい上の知己に会うとする。すると彼らはほぼ確実に、やれ老眼だ中性脂肪だ高血圧だと、話の枕のように老化の状況を口にする。その顔はちょっと楽しそうだ。中年の後輩ができて嬉しいのだと思…

人でなしの誘惑

イラストを描いて生計を立てはじめてもうすぐ十五年になる。学生の時分から仕事をもらっていて、そのまま職業イラストレーターになった。企業に所属してはいるが、企業側の役割はほぼエージェントであり、中身は自営業者の集まりに近い。所属を経由してでき…

家を作れなかった男

わたしの両親はわたしが十一歳のときに離婚した。そのことはとくにうらみに思っていない。わたしが小学校に上がるころまで、父はよくわたしや妹の面倒を見てくれた。父は乳幼児の相手が上手い人であったように思う。一方でわたしが少し大きくなるとなんだか…