人生で十一回目の引っ越しをした。ずっと賃貸で暮らしてきたが、このたびは分譲マンションである。すぐに売るのも損なので、十二回目の引っ越しはだいぶ先になりそうだ。子どもが独立する十年後くらいかな、と思う。
本当にそんなに長く一つところに住めるかしら、とも思う。
東京に生まれて、十八で進学のために移住し、就職のために東京に戻っても実家には住まず、生まれたのとは別の町に住み、その後も賃貸を二年から四年ごとに取り替えて生きてきた。住居はボロくてもいいからとにかく場所を変えたいのだ。
本当は今でも飽きたらすぐに引っ越したい気持ちはあるのだが、子どものためにその生き方はあきらめ、子が十八になるまで住んでもいいと思える町を探した。それだって絶対に飽きるから、ひとまずはワーケーションを試すつもりである。わたしはフルリモートの会社員、夫は自分の裁量で仕事をしているフリーランスだから、子どもの長期休みにはワーケーションができるはずだ。
子どもは小学校入学前から国内外の旅行に行っている。本人のためではない。移動しないと精神がだめになるわたしたち夫婦のためだ。子どもは今のところおもしろがっているが、いい迷惑かもしれない。でもしょうがない。迷惑でもあきらめてほしい。
自分でもどうしてこんなに、いつもどこかへ行きたいのかわからない。気がついたらこうだった。
中学生のときに学年で男女ひとりずつの枠のある短期留学に行き(今でもあるのだろうか、東京都の区立中学にあった制度である)、高校では文科省の助成金をもらって短期留学をし、大学ではさる国の官庁の助成金をもらって短期留学した。すべて自分で情報を集め、手を挙げて選考を受けて行った。勉強熱心なのではない。語学や文化研究を専門にしていたのでもない。できるだけ安く長く海外に行きたかっただけである。もちろん、純粋な旅行もたくさんした。貧乏バックパッカーでいいから、できるだけたくさん行きたかった。
わたしの生まれた家はぜんぜん海外志向ではなかった。子どものころに連れていかれた国内旅行も、わたしの思い出づくりのためにしていたのだろうと思う。両親だけで行ったのは、何なら新婚旅行だけかもしれない。先だって旅行をプレゼントすると言ったら、そろって「箱根がいい」などとのたまう。海外を提案したら、「そんなに予算があるなら高級な温泉宿に連泊できるな」「ご馳走をたくさん食べましょう」と喜んでいた。両親ともに、隣県より遠くに行きたいという欲求がないのだ。
夫とは短期留学で知り合った似た者同士だが、夫の血縁にも度を超した旅行好きはいない。引っ越しなんか全然しない。夫以外全員まともである。
放浪癖は、どうやら遺伝ではない。先祖や親から引き継がれた文化でもない。少なくともわたしたちのそれは、突然発生した、来歴不明の性質だ。
そのような人間たちがマンションを買うというのは、やはり無茶だったのではないか。子どもが成人するまでは引っ越さない、そのあいだ住む家は買ったほうがトクだと判断して買った。でも途中で引っ越し欲に負けたら、トクも何もない。
わたしはそのように思う。
耐えられなかったら多少損でも売っちゃえばいいんだよ、と夫は言う。別にいいじゃん、と言う。僕らそれくらいは稼いでるんだからいいじゃん、と言う。この人は、極端な高給取りでもないのに、ふだんの生活は質素なほうなのに、百万や二百万、衝動的な放浪への欲求に突っ込んでもかまわないと思っているのだ。わたしもだけど。
夫の両親はこの夫がわたしに迷惑をかけていないかと、正月のたびに心配する。彼らは言う。悪い子じゃないんだけど、ほんとうに落ち着きのない、腰の据わらない人間で、いつまでもフラフラしていて、ごめんなさいね、ほんとに、いつもありがとうね。どうしてこうなっちゃったのかしら。弟は落ち着いているのだけれど。
違うんです、とわたしは言う。わたしも同じようなものなんです。
彼らは笑う。彼らは信じない。彼らはわたしが夫の趣味につきあっているのだと思っている。彼らは昔の人で、「そんな女性がいるわけがない」と思っている。
いるのに。
あなたはどうして自分がこんなになっちゃったんだと思う。
そう尋ねると、夫はすこし考えて、それから言う。わかんない。どこかで放浪の種をのんで、それから生まれてきたんじゃないかな。