傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

幼さと恋愛

 こないだマッチングアプリを入れてみたんだけど、人がいっぱいいてびっくりちゃった。うんそう、男性と出会うやつ。

 友人が言う。わたしは驚く。
 この人は二十五で結婚して二十七で離婚して、それから二十年、少なくともわたしに対しては、色恋の話もパートナーの話もしなかった。
 彼女は自分の結婚式にわたしを呼んだが、結婚相手のどこをどのように好きかといった話はまったくしなかった。水を向けても流されるので、強くは尋ねなかった。わたしは結婚にあたって一切の儀式をせず、友人たちとパートナーの顔合わせの場をもうけた。そのときもこの友人はにこにこして何にともなく「すてきだね」と言って、それで終わりだった。
 つまりわたしはこの人と恋バナをしたことがない。
 なお、恋愛とパートナーシップは別物だとわたしは思うが、ここでは双方を「恋バナ」に含めるものとします(わたしは世間話の途中でこういう注釈を入れがちである。友人たちは慣れている)。
 わたしは恋バナが好きだ。細やかな感情の話も生々しい性的な話も所帯じみた生活の話もぜんぶOK、ほのぼのもドロドロもどんと来いである。他人の惚気で酒が飲める。
 同性の友人たちも、やはり恋愛やカップル関係の話が好きである。人によっては「この種の恋愛の話はしないでほしい」みたいな禁則事項があるが、その程度だ。パートナーなど紹介しようものならその後はしばらく品評と質問の嵐である。二十代のころに比べたら下火だが、何だかんだと話題がある。もう死ぬまでそういう話するんだろうなって思う。
 彼女はそうではなかった。わたしの女性の友人の中では、彼女だけがそうではなかった。

 そんなわけでわたしは「この人は、恋愛には話題にするほどの価値がないと思っているか、恋愛をしないタイプなんだろうな」と思っていた。わたしたちが若かったころは「結婚はするもの」という通念が支配的で、性愛をやらない人でも結婚するパターンがあったのである。
 わたしがそのように言うと彼女は少し笑って、いいえ、とこたえた。
 わたしは、離婚してしばらく経つまではほんとうに幼くて、恋愛や結婚に対して何ひとつ考えていなかった。「結婚はするものだ」とすら思ってなかったかも。交際も結婚も、したという意識がない、「そうなった」という感じ。そしたらね、ご存知のとおり、大変なことになっちゃって。離婚するまでと離婚してからしばらくの記憶があいまいなんだよね。気がついたらアパートで一人暮らしして大学に入りなおしていた感じ。

 彼女の結婚相手は殴る男だった。彼女が「家に入った」途端、当然のように殴るようになり、同時に働かなくなった。もちろん家事なども一切しない。
 当時の彼女が「何ひとつ考えていない」人であれば、そうした人物との離婚にはもっと時間がかかったはずだ。彼女は比較的短期間で離婚を成立させたし、キャリアの再構築のために大学に入学しなおして難関資格を取って収入を上げた。ひたすら受動的で何も考えていない人間にできることではない。
 わたしの反論が終わるのを待って、ありがとう、と彼女は言う。わたしを褒めてくれて。でも、キャリアに関して大人だからって恋愛に関しても大人だとはかぎらないんじゃないかしら。わたしはね、恋愛に関しては、本当に子どもだった。自我が形成されていなかった。四捨五入して五十にもなって、ようやく恋愛をしたいって思ったのよ。わたし、見ているだけの相手に対するあこがれみたいな気持ちしか知らないの。結婚はもうしたくないし誰もこの生活に入ってきてほしくはないのだけれど。

 わたしはホー、と変な声を出した。あるんだ、そんな、一部だけめちゃくちゃ子どものまま、みたいなこと。
 それから、いいかも、と思う。
 わたしたちくらいの年齢になれば、子どもを産んでもらうために結婚したいという要望を持つ人は寄ってこない。離婚や死別による子育て家事要員確保のためのアプローチはあるが、彼らは相手の結婚願望を早々に確認する。ただデートする相手を探すには、むしろやりやすいのではないか。
 どんな人がタイプ、と訊くと、彼女は小さな女の子のようなことを言うのだった。それがねえ、わからない、わたしより背の高い人がいいかなって思うけど、あと、働いてる人。
 わたしは言う。マジで何も考えてないな。実は言外の条件が多くてあれもだめこれもだめってなる可能性のほうが高いけど、変なのに引っかかるよりはそっちのほうが安全だわね。
 彼女は困ったように笑う。だって本当に、わからないんだもの。