傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

わたしの最後の姫君

 わたしの彼氏のあだ名は「姫君」である。
 あだ名といっても本人に面と向かって呼ぶやつではない。友人たちとの会話で彼をさして使うニックネームである。三年前、わたしが彼と出会ったころ、彼が仕事の都合と裕福さにまかせて移動に車ばかり使っており、わたしが呆れて「電車に乗ったほうが早いでしょうに。わたしお姫さまと知り合っちゃったの?」と言ったことに由来する。
 彼は自分が頑健で気難しげな容貌の三十男とわかっているからか、ひどく笑っていた。だからわたしは真顔で言った。何がそんなに可笑しいのですか、わたしのお姫さま。本日は地下鉄の乗り方を教えて進ぜましょう。残念ながら今どきは原付の後ろに乗せてあげることができないのでね。
 彼氏どんな人、と訊かれたときにこのエピソードを話すと友人たちはたいそう愉快がり、そうして彼を話題にしたいとき「あなたの姫君」と言うのだった。

 わたしが彼を姫だと思ったのは電車に乗っていなかったからではない。わたしは初対面でいくらか会話したあとにはもう、彼をそんな存在のように思っていた。
 わたしの中で、姫君とは気位が高く、危機にあっても決してみじめさに絡め取られず、きらきらしたものを愛し、最後には誰かに救われて幸福になる者のことである。わたしの目に、彼はそんな人に見えた。
 わたしは子どものころからプリンセスの出てくる物語を好きでなかった。なぜならプリンセスはみんなおんなじような見た目の若い女で、わたしは女の子どもで、「さあ憧れなさい」と言わんばかりにプリンセスの出てくるお話を提供されていたからである。
 わたしはプリンセスになんかなりたくなかった。だってプリンセスはひらひらしたもん着て最後には王子さまみたいなのが出てこないと(当時は)話が終わらなかったからだ。わたしは女だけど、王子さまのほうがずっと、なりたかった。王子さまなら美しい人間にでも野獣にでもかえるにでもなれるんだから絶対そっちのほうがいいと思っていた。いばらの城で寝てるのもりんご食って寝てるのもまっぴらごめんだった。剣を持って戦って未来の恋人を助け出す自分を、わたしは夢みた。波乱万丈の冒険のはてに美しい人を助けだし、その人に恋をされたかった。まばゆく輝き、どんなに強くてもどこかはかない人に。
 わたしは男になりたいと思ったことは一度もなかった。男と恋愛したくないのでもなかった。わたしはただ、王子さまとセットにされる側の役でなく、王子さま側をやりたいのだった。生まれつき野蛮なところがあって、「いけるいける」と言いながらギリギリのところを飛び降りるような真似が好きで、安全な場所にばかりいると退屈で死にそうになる。冒険がしたいのだ。
 そんなだから、わたしの目には姫君のように見えた男に、昔の映画の新聞記者の真似をしてみせたのだろう。

 わたしは、知り合ってまもない時期でも、ときには初対面でも、この人と恋人同士になる、とわかる。初恋から一貫して、相手の、なんというのだろう、「男らしくなさ」に心をつかまれて、それから恋をする。最初から受動的で弱いばかりの人間には興味が持てない。わたしの恋人たちはみな、外向きにはいっぱしに振る舞い、強く賢く、しかしふたをあければわたしよりよほど心やさしく、繊細で、美しいものを好きで、ときどき泣くのだった。
 彼らは、若いときには学校でも、長じては職場でも、わたしの好きな側面を見せていなかった。多くの場合、自分の友人にも家族にも見せていなかった。わたしだけだ、と思うと、殊更に気持ちがよかった。この人の裡の、複雑なカットの宝石みたいなところを見せてもらっているのは、わたしだけ。この人のいちばん美しいところを、蛮勇ふるって守ってあげられるのは、わたしだけ。

 しかしそんな恋愛もこれで最後だろうと、わたしは思う。
 わたしももう三十になる。ここ数年、年の近い男と恋愛をすると、結婚話が出るか、わたしとでは理想的な結婚ができないと察して別れるか、いずれかになる。
 時がたつと、彼らはいつしか、わたしに「よき妻」を期待する。つまり、自分の仕事はそのまま制限せず、わたしが子どもを産んで育ててくれることを期待する。それが無駄だと理解した場合には「よき妻」を探すためにわたしと別れる。
 わたしは結局のところ、姫君と「めでたし、めでたし」になる人間ではないのだろう。三年前にはもうそのことを薄々知っていて、王女さまをさびしく見送る新聞記者の真似をしたのかもしれなかった。
 かまわない。わたしは、美しい人間にも、野獣にも、かえるにもなれるのだから。