傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

花いちもんめの立ち回り

 勤務先で新規部署が立ち上がるという。AIとかデータサイエンスとかそういう流れを受けたアレである。
 僕の会社は大雑把にいってそれらに関連する業界ではあるが、かといってそれが現在の中核的な事業というわけではない。
 取締役の、代表でない一人がその立ち上げの旗振り役である。僕も知っている人だ。数年前に仕事でお世話になったことがある。いい人である。
 利害関係や指揮系統や力関係のある組織の中で働いている人間が「いい人」と評する相手は、すなわち、「自分にとってコンフリクトが発生しない程度のかかわりしかなく、その範囲では感じが良かった人」という意味である。
 僕は取締役になる予定なんかは全然ない、しがない専門職ですが、それでも社内での立場や利害関係くらいはあるよ、もう中堅もいいところだし。

 さて、そのような「いい人」である取締役から、新規部署立ち上げに関する会議で参照するための資料作成の依頼があった。僕は直属の上司をCcに入れて了解の旨を返信し、それから資料を作成して送った。
 その後しばらくして、偶然その取締役と立ち話する機会があり、「そうそう、ご自分の部署外からの話に関しては、○○さん(僕の直属の上司)にご許可いただかなくても大丈夫です」との「アドバイス」を受けた。
 なるほど、と僕は思った。
 そうして、昼休みが遅くなった上司のランチについて行き(二度目の昼食だったが、僕は気にしない)、取締役からの話を世間話として話した。
 僕みたいな、そこそこトシのいった人間にまで会社の中での振る舞いについて教えてくれるんですから、いい人ですよねえ、あの取締役は。
 僕はそのように言った。なるほど、と上司はこたえた。

 さて、その次に、新しい部署の立ち上げのための会議の通知が来た。僕は自分が詳しい領域に関するレクチャーをする役割であるように書かれているが、オブザーバー扱いではなく、正式なメンバーになっている。
 僕は「この時間、予定があって出られないんですよ」という意味のことをオブラートに包んで書き、Ccに上司を入れて返信した。
 取締役からは、宛先の氏名も形式的な導入のせりふも末尾もない、ただひとこと「残念です」と書かれたメールが届いた。宛先は僕ひとりだった。

 ふられた高校生の捨て台詞じゃん。
 友人がそう言うので僕はげらげら笑った。あの取締役には悪いんだけど、ほんとそうだよ。若い子が「絶対OKもらえる」と思って上から目線でアプローチして断られたときのやつだよあれは。
 告白はその前段階で勝負が決まっている。つきあう相手としての候補に入り、相手の「いいかも」という評価を得、「いいですかね」という軽い打診を何度か打ち、色よい反応がかえってきたら、満を持して恋人になってほしいと提案する、あるいは僕らはもう恋人同士ですよねと確認する。それが告白である。「僕は言わない、そっちから言ってほしい」という駆け引きにもつれ込むのもいいですが、まあそれは置いといて、喩えを本題に適用しますね。
 あの取締役はいわば、「二人で出かけるのは気が進まないです」と言われているのに、「ではここで待ち合わせてデートしましょう」という連絡をしてきて、その待ち合わせを断られてキレたわけである。
 彼は、予算が多く投下されて花形と目される部署に呼ばれた人間は喜んで来ると思っているのかもしれない。
 でも僕はそうではない。今の部署のほうが自分の専門性を発揮できると思う。これまでの仕事について評価もしてもらっている。今の部署には、ろくでもない人間もいるけど、トータルではそこそこ話が通じて、尊敬できる相手もいる。この環境はアタリだと思う。
 今の部署から動くこと自体は、もっといいところがあれば、全然アリなんだけど、何も今いるところに後足で砂をかける必要もない。
 そう思う。そして、それを平気で求める人間は好きになれそうにない、と思う。
 その後、上司から僕と他の何人かをCcに入れた返信メールが出された。そこには「組織全体のガバナンスについてご留意いただきたい」というようなことが書いてあった。オブラート、と僕は思った。世の中にはいろいろなオブラートがある。

 きったない「花いちもんめ」だなあ。
 友人が言う。僕はまた笑う。そうなんだよ、「相談しよう」を味方陣営でしかやらないんだよね、花いちもんめって。会社ってところでは、それが当たり前なのかな? 一つの組織の内部でも自分に都合の良い人材を仁義なく引っこ抜きあうのが。