傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

かわいそうな、やさしい役人たち

 警察署と区役所へ行く。不動産を取得したためである。 
 通常の不動産取得にはその必要はない。不動産仲介業者が司法書士を雇ってその司法書士が書面を作って登記して、それで仕舞いである。しかしわたしはその登記簿を親に見られると生活に支障をきたす、要するに家出人なので、役所にも行かなければならないのである。
 不動産登記簿の閲覧制限については、戸籍の附票やら何やらの取得を制限するための決まりごとのついでに書かれている。わたしは戸籍の附票の閲覧制限については毎年使用しているのだが、今年はマンションを買ったために、オプションでもう一回手続きすることになった。
 「わたしの育った家庭はひどくろくでもなかったのでわたしは戸籍上の両親とかかわりあいになりません、そのために彼らが役所に行ってもわたしの情報を渡さないでください」と申請するための手続きを、わたしは毎年している。
 毎年やらなければならないので面倒だが、あるだけましだ。わたしの年若いころにはそのような法制度が未熟だったので、ずいぶんと苦労したものである。
 わたしの親であるような人間は毎月区役所に行って戸籍の附票を取ってわたしの居所を把握してそこいらをうろつきまわるような人間だ。
 わたしが中年になった今でも。

 まずは警察署に行く。そこでは「わたしの育った家庭はろくでもなかったのでわたしは彼らとかかわりあいになりません、その『ろくでもない』内容は法制度の指定する内容に適しているものです、そのために彼らが役所に行ってもわたしの情報を渡さないでください」という話をする必要がある。
 わたしはそれを話すことに特段の苦痛はない。ただの事実である。しかも三十年ほど昔の話である。公的な場所で話すことにも手慣れたものである。
 しかし警察官は眉間に皺を立てて「もう結構」と言う。詳しく具体的に話すように、と彼らは言うのに、実際にわたしがそうすると、眉間に深い皺を立てた迷惑そうな顔を、彼らはする。そうしてすばやく書面を作る。
 わたしは頭を下げてそれをもらって区役所に行く。今日は休みを取ったのだ。
 手続きごとはたいてい平日にやらなければその日のうちに終わらないので、わたしは毎年自分の親が自分の家を把握しないためだけに休暇を取るのである。損な話だが、わたしは気にしない。そういうのは「親ガチャ」に外れた人間が払う税金だと思っている。ろくでもない家で生まれた子どもはしばしば死ぬまで、幼児期に傷めた歯か幼児期の骨折かアレルギーの始末か、その複数にカネを払う。役所の手続きもそれと同等の「親ガチャハズレ税」だと思っている。
 ハズレだったんだからしょうがない。
 わたしは警察署に行ったその足で区役所に行くつもりである。
 書面を作った警察官が下りのエレベーターに一緒に乗り込んで、言う。眉間の皺はなお深く、声は先ほどより低い。
 あのね、あなた、油断したらいけないよ。相手が老人だからってね、何をするかわからないんだからね。
 はい、とわたしは言う。ありがとうございます、と言う。

 区役所に行く。書類を出す。確認ですが、と役所の人が言う。どのような理由での申請かを確認する必要があると言う。はいとわたしは言う。そうして警察署で話した内容を繰りかえす。警察官が止めるよりいくぶん手前のところで、区役所の人は片手を挙げる。わたしは口をつぐむ。
 それでは、と別の人が言う。先ほどまで椅子に座っていた人はもう背を向けて、大きな片手の指先だけを見せ、こめかみを揉んでいる。わたしはとうに、ペンと印鑑を持って準備している。あとは書いて捺くだけのはずである。

 わたしの話は、彼らの手続き上の要請にしたがってしているのだけれど、毎年のように、彼らに不快を与えている。

 彼らは制服やそれらしい服装をまとってクールに振る舞っているけれど、実のところ、やさしい、心やわらかな人々だ。だから子どもがひどい目に遭った話を聞かされるとダメージを受けてしまうのだ。
 昔の話なのに。
 わたしはもう平気なのに。求められたら警察署や区役所が求める要点を押さえながらできるだけ短く調書を作りやすく話せるほど、慣れているのに。
 かわいそうだな、とわたしは思う。わたしのような人間がよく来るのだろうに、そんなにずっと、気持ちがやさしいままで、仕事がつらくならないのだろうか。
 子どもがひどい目に遭った話を「言え」と要求して、それを聴いていちいち傷つくのが仕事だなんて、かわいそうじゃないか。
 どうにかならないのかな、とわたしは思う。役所によっては更新では話をしなくていいみたいだから、全国でそうなったらいいのに。