傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

優秀ごっこ

 昨年度新人として配属されてきた若者があまりに優秀なので訊いてみた。いやほんとすごいよ、平然と努力してひょいひょい挑戦してるように見えるよ、なかなかそうはいかないよ、どうしてできるのでしょう。
 彼は一瞬無表情になった。
 しまった、とわたしは思った。この一年で気安く話せるようになったので油断していた。彼にとってわたしは仕事を査定する権限を持つ相手であり、だから業務に関係のない質問なんかするべきではないのだ。
 わたしは「今の若者は人前で褒められたくない」という本の内容を鵜呑みにしており、というか、そのような本を自宅でこそこそ読む程度には若者との感覚の乖離に怯える中年管理職であり、だから優秀な新人をいつどうやって褒めたらいいかわからず、しょうがないからテキストメッセージにいちいち返信不要の旨をつけて褒めていたのだが、たまたま昼食をともにする機会が生じたので、これ幸いと褒めたのである。褒めるのは対面がいちばんいいと、別の本に書いてあったし。
 わたしは慌ててつけ加える。さっきのは、褒めただけで、実質、質問ではない、形式がうっかり疑問形になってしまっただけの、感嘆符のようなものです、ええ。
 彼は意外なほどの大声で笑って、言う。
 そんな気にすることですか? あーなるほど、若者の繊細さが怖いんですね。でもおれには繊細さはないので。うん、そうだな、繊細さがないから、いま褒めていただいたような行動をとっているんです。
 
 努力は、してます。理由は暇だからです。新人ってそんなに仕事回してもらえないんですね、ちょっとびっくりしました。そしたら就業時間中、暇じゃないですか。だから習得系の努力をしました。ご承知のとおり残業はめったにしてません。
 そうしない人もいっぱいいる?
 それは不安だからだと思いますよ。
 不安だから周囲のようすが気になる。不安で、自分が周囲を気にしてその要望を先回りして察して動けばそれを認めてもらえて、そしたら不安が減ると思ってる。だから他人のようすを伺うことに労力を使うんです。
 おれは不安なんか仕事する時に意味ないと思ってるんで、不安は、無視してます。
 不安に意味がある人はいます。不安になって周囲の要望を読み取って何かすればOKだった履歴のある人です。親にはじまって、先生、同級生の強そうなやつ、いけてるやつ、その場を決定する雰囲気出してるやつを、ぱっと探してさっと察する。上司なんか制度上の有力者なんだからもちろんめちゃくちゃ察する。
 有益な生存戦略だと思いますよ。
 でもおれは顔色うかがう意味がないタイプの環境で育ったんで、そういう習慣も能力もないんです。顔見ても何もわかんない。上司だいたい暢気そうな顔してんなーって思う。そんだけ。でも、察してほしい系上司じゃないじゃないですか。だからまあ、マッチしたっていうか。
 それでおれは暇になったら具体的な勉強をして、資料を作って、振り返りをするんです。他にやることないから。

 挑戦、ですか。
 挑戦してるように見えますか。
 それも暇だからです。暇で、挑戦するかしないかだったら、するしかなくないですか? 定年まで挑戦しなくて暇でいられるなんて虫のいい話もないだろうから、いつかは挑戦しますよね。今の段階だとぜんぜんたいした挑戦じゃないです。失敗しても上が責任取るだけで、一回の失敗でくびになることもないでしょう。そしたらやる以外の選択肢なくないですか? 合理的に考えて。
 怖いから挑戦しない、失敗しないことを優先する、そういう人もいると。なるほどです。
 それもあれですよ、失敗しないことを最優先するのがこれまでのその人にとっての最適解だったからじゃないですか。おれは何もしないでいるとメシが食えないっていう感覚があって、だから挑戦するんですけど、失敗しないことを最優先にして生きていける人はべつにしなくていいじゃないですか。
 そういう人もいつか誰かがお膳立てして絶対できるよって保障して、どうか挑戦してくださいって頼んだら、やるんじゃないですか。そういうのが上司の仕事だって、彼らは言うかもしれないです。
 いやあ、貴族っぽいっていうか、ちょっとかっこいいすね、そういうのも。

 わたしはいくらか悲しくなって、そうかい、と言う。
 彼は言う。
 おれが優秀に見えるとしたら、「優秀ごっこ」をやってるからです。自分が優秀である、優秀になりうると仮定して努力なり挑戦なりをする以外に、生き残る方法を知らないからです。「自分なんてどうせ」って言ってられる場所にいたことがなかったからです。