この時期は調子が悪くなるんです。
ええ、あの日は、こういう暑い日だったんです。
わたし、いいように利用されましてね。好意をかさに着て、人を利用する人間っているじゃないですか。そういうタイプに、してやられたんです。
ああ、いえ、わたしの当時の行動は、合意の上で、自分の意思でしたことですし、相手には、悪意もなかったかもしれない。
でもああいう目にはもう遭いたくないな。
みじめになるから。
友だちではあったと思います。でも最初から歪でした。
力関係がありすぎる関係はだいたい歪むものだって、わたしは思います。わたしのまわりにはわたしと同じような生活をしている人間しかいない。釣り合う相手と親しくなりやすいんです。そのほうが先々おかしなことにならないと知っていて、小利口に計算している。
ここでいう釣り合いというのは、とっても簡単なことです。経済力とか体力とか気力とか、人間関係の豊富さとか、自分の安全を守る能力とか、そういうのです。
わたしはそれをうっすらわかっていて、うまいこと立ち回っているんだと思います。
あの子だけが、わたしにとってそうではなかった。
これは恋愛の話ではありません。
あの子とわたしは、同い年で同性で同じ大学で、だからわたし、最初は、他の女友達と同じように思っていた。でもそうじゃなかった。
彼女は学生時代から信じられないほど不安定でした。だいたい変な男に夢中になっていて、平行して次から次へと男に近づく。最初はびっくりしました。でもそれだけならまあ趣味の問題かなって思うけど、就職してからは、生活全体が、だいぶおかしくなりましてね。
医療費とか、美容外科だとか、何だか特別に必要な食費だとかで、いつもカツカツでした。仕事はしていたんですが、聞くだに危うかった。
あの子はきれいでいたかったんです。
わたしから見たら、普通に可愛い子でした。でも彼女はたぶんそうは思っていなかった。彼女にとって自分の容姿は、飛び抜けて美しくて誰かに見いだされるべきもの、同時に、みっともなくて他人に見せることが耐えられないものだった。普通というのはないんです。そのどちらかなんです。
年をとって容姿が変わるのは当たり前のことなのに、彼女はそれを、打倒すべき理不尽だとでも思っているみたいでした。もうすぐ三十になる、そのうち三十五歳になる、とか言うんですよ、ホラーの話をしているみたいに。わたし、笑って、そうだよってこたえてた。なるよって。
わたしよくごはん作りに行ってたんです。ええ、家も二駅しか離れてなくてね。食材を買っていって、彼女が食べられる野菜のスープを作るんです。
そういう関係を、おかしいと思ったこともなかった。
そのうちわたしは結婚して引っ越して、出産と職場復帰と子育てで忙しくって、彼女からも、二年くらい連絡は来てなかったと思います。
久しぶりに彼女から連絡がありました。
嬉しくって遊びに行くよって言いました。
二時間くらい通話して、そしたら彼女、「じゃあ明日来て」って言うんです。わたし、笑いました。昔から、そういう言い方するときっていつも金曜日か土曜日なんです。わたしが休みの日だってわかってて言うんです。
そしたらまたごはん作ってあげるってわたし言いました。
絶対来てよねって、彼女言いました。冗談めかして「わたしのこと放っておいた罰」「ハーゲンダッツも買ってきて」って。
ハーゲンダッツ食べられるようになったなんてよかったなって思いました。大量の野菜とアイスクリームを抱えて、わたし、あの部屋に行きました。
あの子は、自分の死体が腐るのがどうしても嫌だったんでしょう。
わたし、あの子に、いいように利用されたんです。
そうですか。
あれって、やっぱり、むごいことなんですね。
でもそれも当たり前な気がして。
だって、わたしが、ちゃんと対処しなかったから。ずっと、不健康だったんだから、ご家族の連絡先を訊きだして、勝手に連絡したらよかった。
ごはん作ってあげてたくせに、自分の子どもができたら一年も二年も忘れるような人間だから、恨まれたんじゃないですか。
わたしが、弱い人の弱さを消費していたのではないって、どうして言えますか。
だからその代償として死後の始末に利用されたんじゃないんですか。
誰だって、愛する人にそんなことさせたくないでしょう。あの子は、男や親には、させたくなかった。
だからわたしに。
自業自得なんだから傷つくのはおかしい。
ごめんなさい。
いえ、全然、大丈夫です。昔の話だし、いつも、平気だし。ええ、九月の半ばのあいだだけ、少し。