傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

仲間と友だちのあいだ

あのさあ、友だちってどうやって作ってる? 作り方教えてくんない? そう訊かれて少し驚いた。この友人はわたしなどよりよほど友だちが多いからである。なぜわたしに訊くのか。あなたの半分も、いやたぶん四分の一も友だちいませんよ。 仲間はいっぱいいる、…

姫君たちの宴

モテたい。 佐藤が言う。わかる、と隣の渡辺が言う。久しぶりの飲み会である。 やけに堂々と浮気願望を口にしますね、とわたしは言う。わたしの部署には子育てや介護といったプライベートの事情をシェアする習慣があり、管理職としては助かっているのだが(…

退職理由 2000年代、研究職

およそ二十年前の話である。 わたしは一年ごとに雇用契約が更新される研究員として働いていた。年明けの段階で二年目の雇用継続に合意する書面に署名した、その年の三月半ばに、急な出張が入った。 当時のわたしは大きな研究プロジェクトの中で動いていた。…

型抜きクッキーとタワーマンション

「五年住んだマンションを売って引っ越した」という連絡がきた。そいつはいいねとわたしは返信した。 わたしが彼から住居についての不満を聞いたのは三年ばかり前のことである。 わたしたちには食いしん坊という共通点があり、尖った飲食店に行く連れがほし…

第二ものごころつき期

いや、わたしは司法試験を受けていなくて、法曹の仕事もしていないのよ。 指導教員が定年を迎えるというので、最終講義のために母校に行き、昔の知り合いにたくさん会った。 そうしたら十何年ぶりに会った昔の同級生のひとりが、そのように言うのである。 わ…

愛情スイッチ

繁華街の大きな交差点で信号を待っていると、正面のビルのサイネージにアイドルグループが表示された。 なんというか、独特な衣装だね。 隣の友人が言う。たしかに風変わりな衣装だ。アイドルのステージ衣装というのはそもそも奇抜に見えるが(わたしも友人…

走馬灯を長めに見たい

あー、死んだ。早いよお、もうちょっとがんばってほしかった。 彼が言う。オーブンレンジを前にして言う。数ヶ月前からオーブン機能があやしくなり、今日とうとう電子レンジがつかなくなったのである。 わたしはこたえる。早いってことはないでしょ。十年近…

近所のジジーのこと

祖父母の代から同じ家に住み、場所が下町なので、東京の人間にしては近所づきあいがあるほうだと思う。近所に大量の顔見知りがいる。 わたしの家ではわたしが子どものころから犬を飼っている。わたしも、犬を飼う人間としては若くして(ギリ二十代だ)自分の…

療養時の手荷物としての気に入りの空想

簡単な内視鏡手術をした。鼻の病気の手術なので、止血のための詰め物が取れるまでは鼻呼吸が一切できず、ろくにものを考えることができない。手術当日と翌日は傷がかなり痛いし発熱もする。 だったら寝ていればいいのだが、まとまった睡眠はとれない。気絶す…

率直なおばさんと上品なおじさん

鼻の病気で手術をすることになった。かかりつけのアレルギー科での治療記録とアドバイスと自分の希望を取りまとめた書類を作って専門医に行ったら、初診でレントゲンを撮ってその場で決まった。 手術するとすごく良くなる、と院長が言った。チャキチャキ話す…

大つごもりver.13

昼間ずっとうとうとしていて、大量の夢を見た。すべて大晦日の夢である。 簡単な手術をした。痛み止めが効いているとはいえ、痛いものは痛い。手術箇所の都合でろくに寝返りを打てないこともあいまってずいぶんと寝苦しく、寝床に入っている時間は長いのにろ…

恋人ではないサンタクロース

サンタクロースはいないんだよ。 部屋の隅にわたしを呼び、小さな声で、彼は重要な事実を告げる。そうか、とわたしは重々しくうなずく。そうだったのか。知ってるくせに、と彼は言う。わたしは彼の母親と同級の友人で、彼が生まれた時からばっちり大人である…

「いろいろ」を生やす

年始はあんまり人気ないんですよ。だから年明けの日程が最速ですね。 そう言われた。簡単な手術を受けることになり、その予約を取ったときのことである。 簡単でも手術は手術なので、前後に生活の制限が発生する。年末年始は帰省や旅行で遠方に行ったり、つ…

わけわかんなくなりたいの

海外旅行がお好きなんですよね、どんな風に楽しむのですか。 そのように訊かれることがある。たいていの相手は話のつなぎにしたくて言っている。実際にわたしがどのように海外旅行を楽しんでいるのかを知りたいわけではない。だからわたしも「美術が好きなの…

信仰への介入に関する個人的な基準

わたしが近ごろ信仰について考えているのは、他人の信仰にどの程度介入するかに悩んでいるからである。この場合の「信仰」は伝統宗教や新宗教にかぎらず、科学的根拠なしに人に何かをさせる、超越的存在を(暗黙理にでも)想定した言動をさす。 典型的なもの…

わたしのいくらかの信仰

伝統宗教にも新宗教にも属していないという意味では無宗教だが、だからといって自分に信仰心に類するものがないとは思わない。たとえば和室のある家に入ったら畳の縁は踏まないし、自宅の箸や茶碗はメンバーごとに専用のものを使うという感覚がある。 わたし…

効率の領域

ふだん行かない部署を訪ねて、タスク管理ツールの使い方を教えてもらう。わたしの親しい同期の現在の配属部署で取り入れられて、「他部署の人でも、仕事で使わなくても、タダで教えてもらえるよ」と聞いたからである。 本を読んでひとりで勉強するのも良いし…

きみはラリらずに生きていけるか

二十代前半くらいまではいろんな経験が少ないから、何をやってもテンションが上がった。大学生のころなど、今にして思えば些細なことで脳内麻薬がばんばん出ていた。 旅先の景色はいつも新鮮で、恋愛は比喩でなく「死んでもいい」ほどのもので、友情は永遠の…

愛の純粋さを希求する

僕はしみじみとした気持ちで、「ぜったいに損をしたくないんだね」と言う。相変わらずだなあ、と思う。 この後輩は、「結婚は民法上の契約で、愛とはまったく関係のないものだ」と思っている。そうして「民事契約のごときものに、自分の愛が影響を受けていい…

絶対に損をしたくないんだね

法律婚という制度が嫌いで使用していなかった。しかし、一年ほど前に、現実的な利点に敗北して籍を入れた。具体的にはマンションを買うにあたって金利が有利なペアローンを組みたく、パートナーから「これはもうしょうがないんじゃない?」と言われて合意し…

それは装置として埋め込まれている

それはわたしの内面の底ちかくに装置として埋め込まれている。 その上に乗っかるようにしてわたしの人格が形成されている。それを取り除くことは、だからほとんど不可能である。それは時に煙のような憂鬱を吐き、時に極端な行動力をもたらす。 その装置とは…

ほうれん草の下ゆで、いつ覚えた?

三十近くまで知らなかったんすよ、ほうれん草は基本、下ゆでが必要だって。みんなどこで習うんすか。おかげでおれはほうれん草があんまり好きじゃなかったんすよ。そのまんま炒めてシュウ酸ごと食ったら、そりゃ好きにはならない。いやだなと思ったら、外で…

大学院進学ってどうですか

卒業生が研究室訪問にやってきた。大学院進学を考えているというのである。 わたしが勤めているのはいわゆる研究大学ではなく、大学院進学者は少ない。たいていの院生は資格取得のために進学して、修士号を取って出ていく。 そんなだから、一度就職してから…

ラベルのないときの顔

うちの人と一緒になろうと思ったきっかけ? きっかけは、ある。うん、だいぶはっきりしたやつが。 あの人が若いとき、勤めていた会社が倒産したの。それもだいぶたちの悪いつぶしかたで、従業員は何も知らなくて、ある日突然「会社がなくなります」と言われ…

生き物ではない者として

ちょっと自慢話を聞いてもらえませんか。 このあいだ、○○さんと仕事したんです。ええそうです、よくご存知ですね、そんなに知名度はないんだけど、僕は昔からとても好きで、彼の書いたものはすべて読んでいます。雑誌に少し書いただけのものも追っている。若…

アイデンティティの明細

ミッドライフ、いつクライシスしそう? 友人がそのように尋ねる。 中年期は長い。寿命が延びたら老年期ばかりが延びるというのではなくて、どうやら中年期も長くなっている。そりゃそうだ、人生わずか五十年なら四十すぎは年寄りだが、八十九十まで生きるな…

気の合うところ

若いころ、頻繁に引っ越しをしていた。「絵心ゼロの北斎」と言われたこともある。なんと役に立たぬ北斎か。 引っ越しを重ねると、そのうち旅行先などでも「住める/住めない」を判定する能力が身についた。 その町の環境や成り立ちや住民の需要が渦をなして…

ヒマだから死について考える

年に二回、わたしがいる意味がほぼない会議に出る。わたしには何の役割もなく、しかし一応は出るのである。直属の上司と一緒に出るのだが、上司にだって発言の機会はほぼない。別の人たちが準備してきた書面を読み上げ、皆で承認する。しかし実際には先に各…

特別でない人の選ばれかた

先だって中古のマンションを購入した。紹介者は飼い犬である。 わたしの犬は四歳の柴犬で、和犬のわりにお調子者の社交家である。朝によく行く公園と夜によく行く別の公園に、それぞれ顔見知りの犬たちがいる。子犬のころはとっくみあって遊んだものだが、も…

プリキュア・メカニカルハートのこと

夏の休暇は旅行するの。あらいいわね。いつ戻るの。そしたら一日二日ヒマな日があるでしょう。帰っていらっしゃい。 母が珍しく強くわたしの帰省を要求した。その意図するところは明らかで、わたしが延々と物置がわりに使っている昔の子ども部屋を片づけろ、…