傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

眠る前にやってくる「世界」について

 寝る前に頭に浮かんでくるやつあるじゃん。それみたい。
 私がそのように言うと、彼はゲームの手を止め、疑問符を持ち上げる。寝る前に?

 私はゲームをやらない。やったことがないまま大人になってゼロから覚えるにはシステムが難しすぎるように思う。それで私にとってゲームは「家にいる人がやっているのを横から見るもの」なんだけれど、彼のやるゲームはだいたいさみしいやつである。おおむね、たったひとりで何か地味な作業をやっている。少し前には潜水するゲームをやっていて、しょっちゅう「あと五秒で酸素がなくなります」というアラートで私を怯えさせたし、その後は宇宙の他に誰もいない場所で自分のクローンたちと暮らしていた。今は誰もが引きこもる荒廃した世界のオーストラリアにいて、ひとり荷物を運んだり道路を作ったりしている。
 一人の人が作ったんだろうと思うんだ、と私は言う。映画とかでもあるじゃん、いかにも共同で世界を作って撮影した感じの作品と、たったひとりの頭の中で生まれたことが明瞭な作品。もちろん製作には多くの人がかかわるんだろうけど、元の風景、元になる世界が、ある人の頭の中に強固にあって、それを取り出したあと皆が参画したんだろうなっていう、なんていうか、個人的な作品。ファンタジーとかSFでもそういうカラーの物語ってあるでしょう。そういうの観ると、私は思うんだよ、これは作者なり監督なりが夜寝る前にダイブする、あるいは勝手に浮いてくる世界なんだろうなって。

 なるほどね、と彼は言う。そうかもしれない、フィクションを作るタイプの人間には寝る前にそういう「世界」がやってくるのかもしれない、おれはフィクションを書いたことがないタイプの人間だから、他人の「世界」をやっているのかもしれない、小説でもそういうのわりと好きだし。
 あなたのは、と彼は言う。いつか聞いた図書館のやつ?

 それはたしかに私のなじみの空想のひとつである。
 その世界で、私は巨大な図書館の巨大な閉架書庫で、一生読まないであろう書籍を(今でいう)ピッキングする係をやっている。閉架書庫には細いレールが敷かれていて、その上を走るトロッコが整備されている。私はピッキングした本をトロッコに積む。私が生涯をかけても手の届かない膨大な文字列。私が一生理解しない大量の図像。陽の差さない書庫の、古い黴のにおい。
 その空想が生まれたのは大学生のときで、図書館情報学の授業を取って国立国会図書館に行ってみたすぐあとのことだ。出自が明確なタイプの妄想である。バリエーションとしては、その後ピッキング係から「よくわからない法則にしたがって書籍にメタデータを付与する係」に出世(?)し、時給が上がったのはいいがなぜか頭がぼんやりして自我が薄くなっていく、みたいな話がある。最終的にはインデックスのために頭脳をあけわたして幸福なゾンビみたくなって図書館の地下で暮らす。

 でももっと昔からなじんでいるお話もあるよ、と私は言う。
 それは灯台守の話である。

 私は村はずれの灯台守である。最初は灯台がない。古い灯台跡の、海風にさらされた基礎をたよりに、日干し煉瓦を作って積む。岬の向こうにはきっと私の信号を受け取ってくれる誰かがいると、そう思っているからである。
 灯台はほんとうには孤立していない。すぐ近くに村がある。しかし灯台守は村人のことばを理解できず、村人も灯台守を仲間にする気はない。灯台守が海辺で拾ったいくらか価値のありそうなものを村との間の防砂林の決まった場所に置いておくと、次に来たときに穀物の袋が置いてある。
 灯台守は少量の真水を出す泉から水を汲んで小石混じりの穀物を炊き、磯でつかまえた小さな生き物とともに食べる。調味料は海水を煮詰めて漉して乾かした、茶色く苦い塩である。
 灯台守は灯台跡に残されていた日記を読む。そこには昔誰かがいて、灯台に火をともしていたのだ。灯台守はそう思っている。
 しかし実はその日記を書いたのは昔の灯台守自身である。灯台守の記憶はあいまいだ。情報源もない。だから気づかずに済んでいる。岬の向こうの灯台はとうに自動化されていて、そこには誰もいないことに。日記の文字は間違いなく自分の筆跡であることに。
 灯台守はやがて死ぬ。死体は不衛生なので村人がドラム缶に入れて燃やす。ぼろ布のような衣服も汚い帳面も燃やす。あとには日干しレンガの貧相な塔が残る。
 それが灯台守の話である。

 いやあ、暗いねえ。
 彼は言う。人間性がよくあらわれている。
 いいだろう、と私は言う。私は昔、皆が皆、眠る前にそれぞれの「世界」にいると思っていたんだよ。