大伯母が英語を話さなくなった。
彼女のことを知らない人に話すときには「大伯母」と言うが、そんな機会は滅多になく、だから僕はそう口にするたび、「そうかこの人は大伯母だったのだよな」などと思う。彼女は親戚のあいだで「ジェシカ」と呼ばれている。僕もそう呼んでいる。本名ではない。アメリカに渡ったときに自分でつけたあだ名である。
ジェシカは、当時の日本人女性としてはかなり珍しいことに、三十近くまで結婚せず服飾デザインの仕事をしていて、それから単身アメリカに渡り、あれこれ仕事をしたのち雑貨商になって、成功したというほどではないのだが、少なくとも自分を食わせて自分の家を買うくらいには稼ぎ、いちど遅い結婚をし、その相手を亡くし、またボーイフレンドを作るというような生活を送って、いまや九十、えっと、いくつだったかな、とにかくまだ百ではないが、百に近い。子どもは産んだことがあるが、正式にはいないことになっている。
日本の親戚側のジェシカ向け窓口をやっていた大叔父が高齢になり、また、インターネットに疎い人だったので、ジェシカが電子メールを使いはじめたタイミングで僕がその役割を継いだ。アメリカに旅行したときに二度ばかり泊めてもらって、わりと気が合ったからである。
それからももう結構な時間が経ち、僕も中年になった。ジェシカとの関係は相変わらずで、年に一度くらい来るジェシカのメールに返信をし、正月に親戚との通話を取り持って、親戚の誰かが死ねばメールを出している。
ジェシカには日本語を話す友だちが何人かいたのだが、その人たちも亡くなったとのことで、僕とのやりとりも英語の割合が増えていた。そのほうがラクだから、とジェシカは言っていた。タカシが英語を理解してくれて助かるわと。タカシの英語力そんなたいしたことないんだけど、話す内容が限定的だし、こう、雰囲気でね。
このようにして人は少しずつ移住先の人としての濃度を高め、そして死ぬんだな、と僕は思っていた。
そのジェシカが、英語を話さなくなった。
そのことを知ったのはジェシカ自身からではない。ジェシカのボーイフレンドからだった。彼は僕の、ろくに使用していなかったFacebookアカウントを見つけだし(年下のボーイフレンドとはいえ、彼だって相当の年齢なのだから、たいしたものである)、そうして書いた。ジェシカが日本語しか話さなくなったんだ。一度連絡してくれないか。
僕は驚いた。だって去年の正月にも、ジェシカは「日本語を話すと疲れるわ」と言っていたのだ。
さしものジェシカも少しずつ引っ越しをしているのかもしれないね。
僕のメッセージに対し、ボーイフレンド氏はそう書いた。つまり、天国に、と僕は思った。天国では人は母語を話すのだろうか? それとも天国に行けばどちらの言葉の能力も取り戻せるのだろうか? その前段階として、語学力が間引かれていくのだろうか? 六十年以上メインで使っていた言葉さえも?
なんてね。天国、だなんて、レトリックとしての使用すらできない。そんなものがあるはずがない。死後の人間は無になるとしか思えない。
ひとまず僕の両親(これまた老人たちである。この話には老人しか出てこない)にこの件を報告すると、彼らは「やっぱり日本の土を踏んで人生の最後を過ごしたいのではないか」というようなことを言った。僕はあいまいに笑った。
日本の土、ねえ。
ジェシカが日本に帰りたがっているとは、僕にもボーイフレンド氏にも思えないのだった。そもそもジェシカは、サポートを受けながらではあるが、九十代半ばまで一人暮らしをする体力と頭脳を有していて、僕とボーイフレンド氏が知るかぎり、この二十年以上、一度だって帰国したいとは言わなかった。それどころか常時介護が必要になったときに入る施設に費用を先払いして予約していた。正月に通話するとき、最後に僕とだけ話すのが恒例で、そのときの口癖は「わたしは本当にこの国に来てよかったわ」だった。
僕は年末年始の休みに有休をつなげてジェシカの様子を見に行くことにした。若いころに何日もタダで泊めてもらって、何なら小遣いももらったのだから、それくらいする義理はあるだろう。彼女は書面を作って後見人をつけていたはずだから、その人と話をしてみよう。
もちろん、いま現在の彼女のいいようにしてあげたい。そう思う。それでも一方で、こうも思う。ジェシカが僕の知るジェシカのまま、「やっぱり日本の土を踏みたい」なんて言わずに、あの古くさい派手な化粧で大量の笑いじわを動かしてアメリカでの人生をまっとうしてくれたら、どんなに美しいだろうかと。