傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

お姉ちゃんのアップルパイ

 姉が三十五歳になったのを機に、お金の話を根掘り葉掘り訊くことにした。
 長丁場になったときの兵糧として、家族で贔屓にしている神田の洋菓子屋さんのお菓子、それにコーヒーのドリップパックを調達した。念入りに封鎖しなければ、姉は「コーヒー買ってくる」といってそのまま逃亡しかねない。

 この姉は、完全に愚かな人間というわけではないのだが、否、知能指数を測ったらわたしや両親よりずっと高いのだろうが、生活とお金に関してはアホの子なのである。計画性というものがない。些末なものにお金を使い、無意味な移動を繰りかえし、気が向くと人に何かをあげる。何より、使った瞬間に使ったお金のことを忘れる。子どものころから変わらない。
 十一歳になった日、わたしは自分のお年玉貯金を使って、鍵つきの日記帳とペンを買った。プレゼントとしてもらうのではなく、自分の意思で買いたかった。わたしは秘密を持ち、大人になりたかった。アンネの日記を読んだせいだと思う。
 わたしは尋ねた。お姉ちゃんは十一歳のとき、何を買ったの。
 姉はこたえた。なんだったかねえ。
 わたしは不安になって問いを重ねた。お姉ちゃん、お年玉貯金いくら残ってる?
 姉はこたえた。わかんない。いいじゃん、来年またおばあちゃんたちがくれるよう。
 わたしは愕然とした。だめだ、この人。

 姉は両親や親戚から「将来に備えているのか」と訊かれると口をもごもごさせ遠くを見つめて時が過ぎ去るのを待つ。まるで成長が見受けられない。賭けてもいいのだが、この人は三十五歳の今に至るまで貯蓄をしたことがない。
 問い詰めると姉は誰かの手作りだという風変わりなテーブルの向こうで、「貯金は、うん、ない」と白状した。独身独居、実家は裕福でない。本人の収入は人並みより少し多い。それで貯蓄がない。非常識である。
 わたしは追撃した。しかも借金あるよね。奨学金。わたしは前倒しで返したけど、お姉ちゃんはぐずぐず大学院にいたでしょ。
 ないよう、と姉は言う。ほんとだよう。院は、お金、かかんなかったもん。学部時代のは、えっと、お母さんに言われてえ。
 なんだそれは。
 姉の話を総合すると、学部で借りた奨学金は母親が手続きして本人の収入から返済、大学院については研究業績顕著につき学費も奨学金の返済も免除されたらしい。アホと優秀を足したらゼロになったようだ。わたしはほっと一息ついた。
 それにしたって、人生には備えが必要だ。民間医療保険も貯蓄もなしで、病気になったらどうする。一時的にでも仕事ができなくなった時の生活費は。この先、子どもができないともかぎらない。将来マンションのひとつもほしくなったら。それに、それに。
 わたしはタブレットを出して自作の貯蓄計画を示し、「職場つみたてNISA」について解説した。姉は、収入の範囲内で暮らすことはできるのだから(お金がなければないでぼけっとしている)、とにかく天引きさせるのが良い。それにしたってなんでわたしが姉の勤務先の福利厚生について調べているのか。

 姉は、それさえやればうるさいことは言わない、という交換条件を提示した。わたしはその条件に、わたしが手続きを見張る旨を加えた。この人はとにかく書類仕事ができないのだ。
 相変わらず心配性だねえ、と姉は言う。フォークでアップルパイを崩す。だいじょぶなのにさあ。お金、なくて、おうちなくなっても、誰か、泊めてくれるよお。
 わたしは思い出した。
 わたしが五つの年の、夕暮れどきのことである。母親が突然、姉とわたしを残して家を出た。父親が事故に巻きこまれたとの一報を受け、「すぐに練馬のおばあちゃんが来るから」と言い置いていったらしいのだが、わたしにはまだそうしたことが理解できなかった。
 わたしはそのうち泣いた。
 姉はしばらく思案し、時計を見て、言った。お姉ちゃんの自転車の後ろに乗りな。
 姉は小一時間自転車をこぎ、ケーキをひとつ買って、また自転車を漕いで帰宅した。お姉ちゃんのは、と訊くと、子ども用の白い包丁でアップルパイを切った。切ったというか、崩した。
 翌朝起きると両親がいて、なぜだか練馬のおばあちゃんもいて、不思議だった。
 姉はわたしを見て笑った。九歳なのに、赤ちゃんみたいな顔をしていた。

 わたしは言う。
 実際、お姉ちゃんは家がなくなっても、誰かが泊めてくれそうではあるけどね。
 だって、この人は誰かに会いたくなったら新幹線でも飛行機でも使うし、あげたくなったらなんでもあげちゃうし、家の中は人からもらったものでいっぱいだ。大勢のお友だちが「困ったらうちにおいで」って言うだろう。でも貯金はしたほうがいい。