傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

きみは勝手に死んだので

 きみはだいぶ前に勝手に死んだので知らないと思うけど、わたしは今、恋人と一緒に暮らしているよ。
 きれいな人だよ。
 わたし、その人にずっと、恋をしているの。
 きみにしていなかったやつを。
 きみはガラスの靴はいてるみたく危うかったから、最初から対象にならなかった、わたしの自由な精神の発露をね、のびのびと、やっているの。
 わたしより背の高いのにわたしより靴のサイズが小さかった、その足の裏をひっくりかえしたら、指の裏のぜんぶがぜんぶ無垢なピンクだった、わたしはそれを丁寧に扱ってあげたよね、その足の裏を、いちどだって汚い地面につけずに死んだ、そんなきみには、しなかったことを、今、してる。

 わたしの、ここ数年の恋人は、きみよりかわいくて、きみより長いまつげして、首筋に鼻をつけるときみよりもっといいにおいするし(いいにおいするのはわたしが試しに寝る相手の最低限の条件だよね、きみ知ってるでしょ)、きみより背が高くて足首なんかきみより華奢で、きみより切れ長の目尻を流してわたしを口説いて、胸だってきみの薄ぺっらいのよりずっといい枕になるし、脚もきみより長いんだ。
 そんなやつ想像できないって? はは、いるんだな、わたしの、わたしたちの家に。
 何年もずっと。
 きみが死んで半年からあと、数年間でできあがった話ですよ。
 そんなのわたしの勝手だろ。
 いい女かいい男かそのどちらでもないか、わたしと、それからきみより年上か年下か、そんなことを教えてやる気は、ないよ。きみとしたことよりずっとずっといろんなことを、その人としているよ。とても気持ちいいよ、いつも楽しいよ、
 どうだ、
 いいだろう、
 未練があるだろう。

 そんなら死ななきゃよかったじゃん。

 わたしねえ、その人に恋をして、その人がわたしとずっと一緒にいたいって言うから、一緒にマンション買ったの。
 黒髪の毛先のくるりと巻いた、くちびるの端がナイフの先みたく切れ上がった、わたしと毎晩枕ならべておしゃべりする、とってもきれいな人と、一緒に買ったの。わたしも半額なら買ってもいいかなって思ったからさ。
 くやしいでしょ。
 きっとくやしいでしょう。あなたってそういう、俗なところがあるからね。自分がやってないことを、別にする気もないくせに、わたしがしたから、くやしいんだ。
 わたしのために生きようとしなかったくせに。
 わたしはね、あなたのために生き死にする気はいっこもないですが、あなたはわたしにとって今も昔も重要な人間ではないですが、でもあなたは、わたしのために、死なないべきだった。

 きみはわたしの家に来たらよかったんだ。
 死ぬくらいなら、逃げてきたらよかったんだ。
 わたしが、あのとき、あなたが電話をかけてきたとき、出張で、うん、いつもの、あのころの、いつもの出張で、仙台にいたからさあ。
 終電よりすこし前だったから、走って新幹線に乗って、帰ってやればよかったって、今でも思うよ。
 あの短い通話の直後にあなたが自分の育った子ども部屋でみじめに首吊って死ぬって、わたし、きっと知ってたんだ。
 でも帰らなかった。
 そんなことは起きないって自分に言い聞かせてた。わたし、疲れてて眠りたかった。
 あのとき、出張ほったらかしにして、あの阿佐ヶ谷の、あなたが育った子ども部屋に押しかけることを、思いつかなかった。あなたはわたしの、その程度の人だった。ぜんぶを押しのけて押しかけて死ぬなって言って窓の外にロープを捨てるほど、あなたのことを、大事じゃなかった。

 あなただってそうでしょう? 間違えちゃったんだよね。あなたの電話、めんどくさいから切ったよ。
 その罪悪感を、誰も回収してくれない。
 末期に電話する相手は他にいたでしょ、ぜったいに。
 あなたは間違えたんだ。

 だから死んだんだろうな。
 切迫した精神のときにさえ、適切な相手に電話をかけられないから。
 そんなタイミングで、二分で電話を切ってすやすや眠る人間になんか、電話するから、だから、あなたは、生きていないんだろうな。
 迷惑したよ。だいぶね。
 最後に電話したからって、あなたの善良なご両親はわたしをあなたの恋人だと思い込んでいて、あなたの葬式にわたしを呼んで、ほんと、つまんねーな。なんでセックスしてたら恋人だと思うわけ? わたし当時もあなたじゃない恋人いましたけど? なんでご両親に「好きな人はこの人(わたしじゃない人)です」って書いてから死なないわけ?

 あなたはわたしの、友だちだった。
 それなのに勝手に死んで、悲しかったよ。
 あなたが間違って最後にわたしに電話をかけたから、わたしは今でも困っているんだ。