傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

2020-01-01から1年間の記事一覧

ステイ、ホーム、ステイ

疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。そのためにわたしは血眼で自宅にいながらしてできる賭けを探している。 公営ギャンブルや商業的なギャンブルはやらない。わたしにはそれほどおもしろく感じられないからだ。小銭を賭けて胴元に一定額を巻…

僕の運命の男

疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。だから僕は僕の運命の男に会うことはもうないのだろうと思う。 色恋沙汰の話ではない。彼は僕の高校の同級生で、特段に親しいというのでもない。差し向かいで話したのは数えて十回ばかりである。でもその…

そして、どこへも行かない

疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。わたしは病人である。けれども流行している疫病ではない。もっとよくある病気だ。国民の死因の三割を占めているほどである。罹ればすぐに死ぬのではない。わたしの場合もすぐに死ぬのではない。一度長期…

わたしの必要としていた家族

疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。高校生の娘の通う高校も自宅学習になり、受験はどうするのかと心配していた。すると娘はけろりとして、わたしもともと自習タイプだから、と言う。なんでも校外学習でどんな学習のしかたが自分に合ってい…

やわらかな指を待つ

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。化粧品を買う行為はどうやらよぶんとよぶんでないものの中間と見なされているらしく、百貨店では買えないがドラッグストアでは買える。誰がその要不要の境界線を決めているのかは知…

パンとコーヒーとアフリカの夢

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。誰がどうみても「よぶん」でない最後の聖域は食料品と日用品の買い出しである。 僕はカフェを経営している。そしてわりと空気を読むタイプである。空気を読んで早々に業態を切り変え…

恥と命令とプライドと

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。外出は通勤を含む。そのために対面を必須としない業務は大急ぎで在宅勤務に移行した。具体的にはインターネットを経由して仕事をするようになった。わたしの職場はIT系ではない。だ…

関係は減衰する

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。家族のほかは届け出をした相手にしか対面で会うことができない。とんだ国家だが、ここよりほかの場所に行くための許諾はしばらく下りそうにない。 他人とのかかわりを減ったことを嘆…

家族を分ける

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。遠方の親族に会いに行くのも「自粛」の対象である。私的なコミュニケーションの大部分がオンラインに移行し、そして、オンラインでの飲み会といった集まりの物珍しさが減衰すると、…

子育てを終える

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。 産んでもいない子を育て上げたような気がしていた。彼らがもうずいぶんと大きくなったので、もういいやと思った。疫病が流行した、この春のことである。 もちろんそれはわたしの子…

わたしがどこへも行けなくても

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。ほどなく私用の海外旅行や、まして移住は、事実上不可能になった。 わたしは休みの日には女の格好をしていた。いつかそういう格好で職場に行きたかった。そういう格好のまま彼氏を見…

オホーツクに行く

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。渡航するべきでない国がひとつひとつ指定され、ほどなく私用の海外旅行は事実上不可能になった。職業上の理由による渡航も大幅に制限された。要か不要か判断しにくい渡航をした者は…

お知らせ

近ごろの注文原稿についてお知らせします。 文藝春秋『文學界』2020年2月号に書評を書きました。吉田修一『逃亡小説集』について。紙媒体のみです。昨年に河出書房新社『文藝』に書いたエリザベス・ストラウト『何があってもおかしくない』の書評はWebで読め…

期間限定私設美術館

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしたちは家のなかに引きこもり、ちいさくちいさくなって暮らした。 最初は都心のデートスポットだった。 わたしがもっとも好ましく思うデートコースは、都心の高い高いビルディ…

不要不急の唇

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしたちは必要なものを買いに行くふりをして外出した。わたしと彼の給与の財源はともに税金である。だからわたしたちは行儀よくしていなくてはならない。そうでないと職場に苦情…

さよなら、わたしのシモーヌ

シモーヌとは十四年のあいだ一緒に暮らした。シモーヌは冷蔵庫である。名の由来は冷凍庫に霜が降りることであった。わたしの家に来る友人たちが「いまどきそんな冷蔵庫があるのか」と話題にし、誰からともなくシモーヌと呼びはじめ、わたしもその名を使うよ…

虚構を発注する

待ち合わせの駅前で降りると友人がいる。近づくと「半分くらいいる」という印象である。存在感がない。気配が茫漠としている。あいまいな微笑を浮かべ、あいまいにあいさつする。よく言えば棘がない、悪く言えば覇気がない。いつもは覇気がありすぎて長時間…

バーベナ・オブセッション

わたしたちは会場を出て更衣室に向かう。わたしは周囲を見渡す。彼女とわたしの間に入ってきそうな人がいないことを確認する。わたしはおしゃべりをキープする。わたしは自分のてのひらをスカートの生地で拭く。わたしは彼女の肩に手をのばす。ちょうどいい…

キラキラで見えない

ばかではないんだよと、彼の上司は言った。そうでしょうとも、と私はこたえた。ばかじゃないという語の示す意味はいろいろあるけど、この場合はすごく単純で、四則演算ができないのではない、という意味である。 経費の適切でない使用に関する面談がおこなわ…

わたしは心配しない

ぼくが生まれたとき、見た? 五歳児がたずねるので、わたしは少しことばを選んで、生まれる前の日と、生まれて何日か後に見たよ、とこたえた。まえのひ、と五歳児は繰りかえした。まえのひはまだおなかのなか? そうだよ、とわたしは言った。そしてその日の…

無意味さを飼い慣らす

彼のことは左利きだと思っていた。同じ部署ではないが、私よりひとまわり以上年長の、社歴の長い人なので、私が先だって管理職に就いてからはいくらか接点がある。ペンも箸も左手で持っていた。だから左利きなのだと思っていた。 今日の会議で彼がちょっと複…

生存税の納入

差し歯がそろそろ限界です、と歯科医が言う。歯科衛生士がうなずく。わたしは彼らの説明を聞く。今の歯はどれくらい入れていますか、と歯科医が尋ねる。わたしは指折り数えてこたえる。八年もちました。いい子ですねと歯科衛生士が言い、孝行です、と歯科医…

慰めのリザーブ

そういうわけで会社を移るの、と友人は言った。そりゃあいいねと私はこたえた。私たちはいわゆる就職氷河期世代で、「職場はときどき移るもの」くらいの感覚を持っている。新卒の就職状況がなにしろひどかったので、ぼけっとしていたら食い扶持を稼げなくな…

だから代わりに泣いてあげるの

お正月? うん、いつもどおり帰省したよ。この年になるとこっちが親の保護者みたいなもんよ。ほら、わたしは、遅くにできた子だしね。それで今年は父に運転免許を返納させてきた。そりゃあもう、たいへんだったんだから。 そりゃあ本人はいやに決まってる。…