傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

わたしがどこへも行けなくても

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。ほどなく私用の海外旅行や、まして移住は、事実上不可能になった。

 わたしは休みの日には女の格好をしていた。いつかそういう格好で職場に行きたかった。そういう格好のまま彼氏を見つけて腕を組んで歩きたかった。そのために英語とスペイン語とフランス語を話せるようになった。大学ではグローバルに必要とされるというITと統計とAIの原理とその社会的応用について学び、いかにもすぐに役に立ちそうなスキルをいくつか身につけて、そうして就職して、少しのあいだつとめた。

 でももうそんなのはもはや意味のないことだ。疫病が流行したので、どれほど勉強したって、わたしが海外に出ることはできない。苦労して取った性別不問の外資の転職の内定は疫病の世界的な流行によってあっけなく取り消された。

 わたしは男である。男のからだをしている。そのことに異論はない。このからだを変えたいと思わない。けれどもわたしは、このからだのままで、女のような格好をすると、しっくりくる。男のような格好をするのは苦痛である。学生時代まではボーイッシュな女の子のような格好をして、それでだいたい通っていた。一人称だって「わたし」でかまわなかった。あれこれ言う連中は無視した。職場ではスーツを着て、でも、パンツスーツを着なければならない職場でも、どうにかがまんできないのではなかった。

 けれどもわたしの実家はそのようではなかった。父はわたしから目をそらして口をきかず、母は父の内心を代弁するかのようにわたしの目を見てため息をつき、それから目をそらした。法事に出ると親戚はわたしのまわりに座らなかった。きょうだいはしかたなさそうにその空席を埋めた。しかし彼らとて、思春期以降、わたしとまともに話をしたことはない。わたしには兄と妹がいた。兄と妹は仲が良くて、わたしだけが彼らから遠かった。

 兄が結婚するというので、わたしはおめでとうと言った。そうして彼を安心させるために、ちゃんとメンズのスーツを着るからね、と言った。髪もちゃんとそれらしくするから。兄はわたしの目を見ずに自室にひっこんだ。父も背を向けた。母がしかたなさそうに、あのね、と言った。おにいちゃんの、結婚式、ね、あんた、ね、来てもつらいでしょ、悪いと思ってね、だから。ね。

 わたしはお呼びでないのだった。わたしだけを除いた家族全員がすでに兄の配偶者になる人と「身内の顔合わせ」を済ませていた。わたしははずかしかった。彼らがわたしを「外に出せないもの」として扱っていたと、大学を出て就職するまで気づかなかったことを。わたしがとうに、彼らの「家」のメンバーではないことを。

 わたしは生まれつき細身で、背丈は少しあるけれど、男としては骨格も細くて、だから女性向けの服のLサイズをきれいに着こなすことができる。そんなのは若いからだと、女の服を着るほかの男たちは言うけれど、わたしは気にしなかった。わたしは、サイズが変わったとしても、中身はきっと変わらない。女もののXLでも何Lでも着るつもりだ。

 わたしは女になりたいのではない。わたしは戸籍上男性に分類されるこのからだを、ひとつも嫌だと思わない。そうして同時に、女向けとされる格好をしたい。恋をする相手はほぼ男性だった。それだけである。それだけのことが、わたしの人生を困難にした。わたしはわたしの、今のからだのままで、好きな格好をして、好きな人と恋人になりたかった。たとえば外国に行けば、それができると思っていた。

 でもそれはもう不可能なのだ。疫病が流行したので私用の海外旅行はできない。移住なんてもってのほかである。

 わたしは思い立って、ボーイッシュでない、ゴリゴリの女性装をする。悪くないと思う。わたしの髪はふっくら整えた前髪つきの、ヘアアイロンで毛先を波打たせた豪華なショートボブである。繊細なレースのニットをV字にあけた平たい胸(わたしは胸を盛り上げたいという欲求を持ったことがない)、あっけない腰にまとわりつく光沢のプリーツスカート、流行のブランドのアイテムを厳選したカラーレスのアイメイクとチーク、下向きにととのえた長い睫、赤いリップ。わたしっぽいと思う。わたしはその格好で何枚か自撮りする。フィルターは使わない。おすましした顔の写真をFacebookのプロフィールに使う。破顔した写真をLINEのアイコンに使う。

 わたしはきっと、どこへも行けない。けれどもわたしは、ひとりで死ぬまで、このままでいよう。