傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

不要不急の唇

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしたちは必要なものを買いに行くふりをして外出した。わたしと彼の給与の財源はともに税金である。だからわたしたちは行儀よくしていなくてはならない。そうでないと職場に苦情がいく。

 近所にはわたしと彼の職業の詳細を知る人が幾人もいる。だからわたしは「市民感情」において満点をたたき出す役人でいなければならず、彼は「生徒の模範となる」教師のようにふるまわなければならない。いつも。わたしたちの素性を知る人の目があるところでは、二十四時間、いつでも。

 わたしたちはガーゼマスクをつける。わたしたちは手をつながず、あまりくっつきすぎないように気をつけながら歩く。わたしたちは公共の場で失礼にならない程度の、しかし華美ではない服を着ている。どこの家庭にも必要な買い出しのためだけに外出していると、誰が見てもそう思ってくれるだろう。

 でもわたしたちはほんとうはただ歩きたくて歩いているのだ。すべての外出が禁じられる前に。わたしたちは常々、不要不急の外出を好み、休暇のたびに旅行をして延々と歩き回った。でも今はそういうことはできない。だからせめて近所を歩く。

 スーパーマーケットに着く。必要なものはほんとうはもう家にあるので、品切れとわかっているマスクや消毒スプレーのコーナーに行く。ないねえと彼は言う。ないねえとわたしはこたえる。知っていて来たのである。

 道を歩く。夕刻の住宅地の人はまばらで、行き交う人はみな「しかたなく歩いているのですよ」という顔をしている。わたしたちは酒屋に入る。入るときに周囲を見渡して誰も見ていないことを確認する。見られてもぎりぎり問題ない商店ではあるけれど、見られないほうがより安全だ。

 酒屋の中はちょっとしたバーになっている。わたしたちは試飲という名目で一杯ずつ酒を飲む。肩を寄せ合うような酒場に繰り出して疫病にかかったらわたしも彼も非難の対象になる。自己責任で感染源になった咎で職業上の不利益を被る可能性がある。

 わたしたちはほんとうは、週末の夜に外で酒を飲むこともできないなんて不当だと思っている。あからさまなバーに入ると誰に見られているかわかったものではないから、この酒屋が近隣に住む同類の憩いの場になっている。酒場で飲むという当たり前のことを、ただ酒屋に買い物をしにきた体でおこなう場所に。酒屋の主は決して疫病の話をしない。マスクもつけない。

 飲み始めてすぐに顔なじみの婦人が別の女性を連れてタクシーで乗りつけた。ともに華やかな和服だった。今日は銀座で着物でお寿司の日だったの、と言った。いいですねとわたしたちは言った。彼女たちからは「誰が何と言おうとぜったいに人生を楽しむ」という鉄の意志が感じられた。少しうらやましかった。わたしたちにはそこまでの度胸がない。わたしたちは職業上の不利益を少しでも減らしたい小心者である。

 わたしたちは自宅に戻る。わたしたちはマスクを取る。わたしたちはソファに寝そべり、たがいのからだの一部を枕にする。気が向いたらキスをする。この十年間ずっと、わたしたちは始終、物理的に接触していた。でも今では自宅の中でしか接触できない。

 わたしは彼に、卒業式はどうだったのと尋ねる。卒業式はやったよと彼は言う。ただし保護者と下級生は呼ばない。卒業生と僕ら教職員だけ。式典中のマスクの装着を許可したら全員がしてきた。中には家庭で手作りしたという生徒もいた。許可しただけなのに強制したみたいな気分だった。いつもそうなんだ。僕らの仕事はいつも。

 記念写真のために並ぶんだ。わかるよね。毎年やっている仕事のひとつだ。でも今年はカメラマンの背後に誰もいないんだ。下級生と正装した保護者がいるはずの空間は完全な空白。空白を背負ったカメラマンが「はい、撮ります」と言う。全員がいっせいにマスクをはずす。誰も息をしない。カメラマンは連続でシャッターを切る。そして言う。はい、終わりです。その声を聞いて全員がいっせいにマスクをつけて、大きく息をする。もちろん、無言で。

 わたしはその光景を想像する。何百と並んだむきだしの唇。感染源にならないように引き結ばれた大量の唇。「人に迷惑をかけてはいけません」と教えられてきた子どもたちの、ずらりと並んだ静かな唇。

 彼はわたしにくちづける。あるいはわたしが彼にくちづける。わたしたちはいつまでそのような行為が許されるのか知らない。