傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

恥と命令とプライドと

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。外出は通勤を含む。そのために対面を必須としない業務は大急ぎで在宅勤務に移行した。具体的にはインターネットを経由して仕事をするようになった。わたしの職場はIT系ではない。だからそうしたことが得手な人間が不得手な人間をサポートすることになる。わたしはサポートする側である。そしてその状況に、つくづく飽きている。

 全員が思いきり働いて全員が機能している組織があったら不健康だ、という話を聞いたことがある。どんなにすぐれた組織にも常時さぼっている者はあるし、能力がマッチせず機能しない者もある。そういう従業員を全員見つけ出して片っ端からくびにする組織は、いったいどうやってそれを可能にしていると思う? 想像した? ね、恐ろしいだろうーーそういう理屈だった。

 わたしはそれを聞いてなんとなし納得し、職場で誰が仕事をしていなくても、また自分が(今のところの経験では、一時的に)仕事ができていなくても、さほど腹は立たない。そういうこともある、と思う。完璧な採用はなく、組織も人も変化する。だから誰かが役に立たない状態でもあまり腹は立たない。

 しかし、いま機能していない人の機能しなさといったらもう徹底的である。もともとあまり仕事をしているようすでなかった人が可視化された上、その人たちの一部が過剰なサポートを要求するようになった。リモートワークは疫病の蔓延にともなう政府からの要請によるものである。経営層の意思でもなければリモートワーク化対応業務を担当するはめになった者の意思でもない。全員やりたくないんだけど、しかたないからやっている。でもしょっちゅう他人のサポートを要求する人は、そうは思わないらしいのだ。なんというか、お客さまなのかな? という感じである。

 いちばんすごかったせりふは、在宅勤務が始まってしばらくしてから放り投げられた「うちWi-Fi通ってないんで」というものだった。あれにはびっくりした。業務内容が限定された職種の人ではない。部署は違えど、わたしと同じ中間管理職である。

 単に「できる」というだけの理由で、同じ立場の(そして、なんならわたしより給与の多い)人間をお世話する。それが常態化しつつある。そしてお世話されている側はそれを当然視するのみならず、なんだか、とても、威張っている。まるでこの事態がわたしのせいで、それをがまんしてやっているんだ、とでもいうように。

 わたしはつくづく疲弊した。そしてある日突然気がついた。辞めちゃえばいいじゃん。

 わたしは自分の本来の仕事の経歴書を作り、それにリモートワーク移行関連業務の履歴を加えた。双方を評価する会社があって、詐欺かなと思うくらい早々に新しい職場が決まった。給与は上がり、リモートワーク移行にともなう仕事の量は制限されてぐっと減り、他の社員から手軽に使われることはないと保証された。

 辞意を表明しても上司は驚かなかった。引き留められもしなかった。上司には転職の原因になった問題をとうに相談していたからである。わたしは上司に尋ねた。あの、威張ってわたしにお世話を要求しつづけたあの人やあの人は、結局、いったい何だったのでしょう、たとえ少々のお手当をつけても、本来の業務外でああいう人たちの相手をさせると、だいたいイヤになっちゃうと思うんですけど。ものには限度があると思うんですよ。

 そうですねと上司は言った。彼らをかばう気はありません。とても困っています。でも彼らの態度の説明はつきます。彼らはね、恥じているんです。他の社員の足を引っぱっていることを恥じている。でも恥に向き合うことができない。自覚してちゃんと恥じることができない。だから威張るのです。お世話されなければ仕事ができない状態になって、そうしたら自分が下位になった気がして、それに耐えられないから、お世話する人にことさら横柄に接して、命令をしたがる。横柄な態度で命令するとプライドが回復する。そういう人はいるんです。

 わたしはびっくりした。なんだ、下位って。なんだ、プライドって。意味がわからない。

 上司は画面越しにもわかる疲れきった顔で、言った。そういう人もね、正社員なんです。すぐには切れないんです。できる人間がやめて、できない人間が残る。それを促進する愚かな判断をしている。し続けている。独裁者みたいに人の首をばんばん切れたらどんなにいいかと思います。それではさようなら。今までほんとうにありがとう。