傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

期間限定私設美術館

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしたちは家のなかに引きこもり、ちいさくちいさくなって暮らした。

 最初は都心のデートスポットだった。
 わたしがもっとも好ましく思うデートコースは、都心の高い高いビルディングのてっぺんに近いところにつくられた現代美術館の展示を流して、それからそのビルディングのなかの、美術館よりひとつ高いところにあるカフェで、香りのよいコーヒー、もしくは同じくらいに香り高いビールをのみ、少し話をして、そうして、適切なレストランまで歩く。

 そのような振る舞いを、わたしは好きだった。だからそのときもいつものように恋人と待ち合わせて行った。美術館はその一昨日の夜間に告知して前日から休館していた。わたしたちはその巨大なガラスの前で立ちすくみ、貼り紙を読み、意味もなくスマートフォンで美術館の公式サイトにアクセスして貼り紙と同じ文字を読んだ。それから、しかたがないので映画館に行って、予約していたレストランまで歩いた。

 ほんの少し前の話なのに、今となっては昔話のようである。

 わたしたちはもはや映画館に行くことができない。もちろん、引き続き美術館に行くこともできない。開業しているレストランは数少なく、何かのついでに歩いて行くような場所ではなくなった。人が集まる場所は全国ないし近隣諸国において、なべて「休館」中であり、多くのレストランは「不要不急」であるために営業を自粛している。

 おもてむきには。

 わたしたちは身支度をする。わたしたちはシャツにアイロンをかける。わたしたちは、それをしたかった。わたしたちでない、ふたりの知らない人々のいるところに、わたしたちは行きたかった。

 わたしたちは美術をみたい。美とそのための術をみたい。わたしたちはそのために悪者になった。わたしたちは「不要不急の集まりをしない」という通知に違反している。わたしたちはふだんは行儀良く暮らしている。でも、わたしたちはどうしても、不要不急をしたかった。

 そんなだからわたしたちは伝手をさがした。信頼できる友人にかぎっても、美術作品を所有している人は、いくらかいた。わたしも持っていた。少し前に台湾の画家から買ったものだ。ちょっとしたディナー三回分から十回分くらいの、ごく安いものである。買ったときには東京中のギャラリーが当たり前のように営業していて、海外から画家を呼んだりしていたのだ。ほんとうに今となっては信じられない。

 わたしは美術友だちにメッセージを送った。たがいの絵を観賞する場をつくりませんか。プライベートで。ホームパーティは禁じられていないと思うので。

 わたしたちはそのようにしてこのマンションの一室に集まった。各々のリビングルームやベッドルームから剥がしてきた小品を、あるいはずいぶん大きな作品を、注意深く梱包して抱えてやってきた。

 わたしたちはたがいに持ち寄った絵を並べる。わたしにとってはくだらないものもある。趣味に合わないものもある。意味がわからない作品もある。それでもよかった。美術館のようなものが、ほんの短いあいだ存在して、そこに入れるというだけで、わたしは満足だった。

 この「美術館」活動をわたしがおこなったのは一度きりである。でもそのあとひそやかに同じようなことを、さらに充実した作品量で実現する人が出てきた。自宅を開放し、借り受けた絵を飾る。わたしはできるだけ都合をつけて自分の所有する絵を持って初日に行き、最終日にも行って、所蔵品を引き取って帰るようになった。

 わたしは「美術館」に入る。そこにいる人は、初対面の人をふくめて、わたしの仲間である。わたしたちはどのような状況でも美と術を観たいと思うような一族なのだ。わたしたちは靴を脱ぎ、その場所に入る。不要不急の、ただうつくしい絵を観たいだけの、さみしい人間の集まり。

 わたしたちはそれを観る。日本を中心とした世界各地の絵を観る。作品の所有者のほとんどは収入がさほど多くない。ささやかな額面で買った小品が並ぶ。わたしたちはそれを観る。わたしたちはアイスランドの新進画家のスケッチを観る。わたしたちは韓国の若者の肖像画を観る。わたしたちは自分たちの家から提供した森の絵を観る。雪の降る青緑の、とおくまで続く森の絵である。

 わたしたちはもうどこへも行けないのだと思う。外国にも、大量の作品を観覧させる美術展にも、不要不急が許される世界にも、もう行くことはできないのだと思う。でもわたしたちは最後までひっそりと集まり、期間限定の小さな美術館をひらくだろう。