傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

パンとコーヒーとアフリカの夢

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。誰がどうみても「よぶん」でない最後の聖域は食料品と日用品の買い出しである。

 僕はカフェを経営している。そしてわりと空気を読むタイプである。空気を読んで早々に業態を切り変えることにした。テイクアウトのみの営業にし、店内での食事のためにつくっていたパンも売ることにした。パン屋です、みたいな顔をしていれば本命のコーヒーやコーヒー豆を売る場を保つことができる。僕はそう考えて小麦粉を大量に仕入れ、パンを焼いて焼いて焼きまくった。

 僕は恐れている。国家と自治体とそれから近隣の、よくわからない相互監視を恐れている。近隣の個人商店同士のあいだにも自粛度合いを監視する動きがある。「良い子にしていない者は排斥するべきだ」という空気が醸成されつつある。「良い子」の基準はない。ないからどんどん用心深くなる。なにしろ、不要不急に見える外出をすると誰かがその写真を撮影し、インターネットに個人情報つきでアップロードするのだ。

 こんなのは現代の隣組じゃないかと僕は思う。国家が税金を出し渋って国民の性質に乗っかってものごとをごまかそうとするからそういうことになる。税金を出ししぶるけちな国政が悪い。あいつらはカネの出しどころを決定的にまちがった。僕は生涯にわたって彼らをぜったいに許さない。

 そんなわけで僕はとても怒っているが、それはそれとして僕はいち生活者であり、零細自営業者である。まずは明日の食い扶持の算段を立て、自分が住む部屋と店の家賃を払わなければならない。だから空気を読んで店をテイクアウト専門にしてパンを焼きまくっているのである。

 いくらなんでも焼きすぎだとアルバイトに言われた大量のパンは、ふたをあけてみればちっとも余らなかった。パンもコーヒーも実によく売れるのだった。僕の店はオフィスと住宅が混在するエリアにあるのだけれど、オフィス客が減ったかわりに、リモートワーク中の地域住民が来るようになったのだ。ふだんは土日に来ていた人が平日に来る。新規の客も多い。生活の中に楽しみが少ないものだから、仕事のあいまにコーヒーを買うくらいはしたいのだろう。僕は近所の印刷所に発注してスタンプカードを作り、コーヒー七杯分買ったら一杯無料のおまけをつけることにした。

 僕の店のコーヒーはすべてアフリカから仕入れている。エチオピアとかケニアとかブルンジとかからである。買い付けのためにアフリカに行く資力は僕にはない。そんな小規模な買い手のためにアフリカの農園の人々が大挙して日本にやってきてコーヒー豆のサンプルを配って商談をする場が設定されている。

 そのイベントのことを、僕は思い出す。コーヒー農園の人々はみなポケットのついたエプロンを着て、そこから何種類ものコーヒー豆を取り出し、香りをかがせてくれるのだ。高価なコーヒー、ふだん使いのコーヒー、流行の煎りに定番の煎り。いつのまにかからだにコーヒーの香りがついて、帰って眠りに就くまでずっといい気分でいられる。

 疫病のためにそうした商業イベントも中止になった。それどころか僕が取引してきた人々は当面日本に来ることができない。彼らの国は日本への渡航に強い制限をかけている。疫病が蔓延していて危険だからである。

 僕は電子メールで連絡し、去年と同じ農園から豆を買う。幸いなことに貨物便はまだ止まっていない。僕は農園主に荷受け報告のメールを書く。コーヒー豆を受け取りました。日本はまだ滅びていません。また発注します。すると返信がある。日本が滅びたらうちの農園で雇ってやるよ。Best regards, 

 僕は届いたコーヒー豆を仕分ける。アルバイトの学生と並んで豆をハンドピックする(コーヒー豆はどんなに洗練された生産元から仕入れても虫食い豆や発育不良の豆がまじっているものである)。注意深く焙煎する。気に入りの機械で挽く。お湯を沸かす。カップをあたためる。ドリップする。黒い魔法の液体。

 貨物便が止まったら僕はどうするのだろうと思う。あるいはコーヒーが「不要不急」と見なされたら。僕が実はパン屋なんかではないことが指摘されたとしたら。けしからぬ人間がやっているけしからぬ店としてインターネットにアップロードされ、店のシャッターに「非国民」などと落書きをされたら。

 そうしたら、と僕は思う。アフリカに密航しよう。農園でコーヒーをつくって暮らそう。