傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

オホーツクに行く

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。渡航するべきでない国がひとつひとつ指定され、ほどなく私用の海外旅行は事実上不可能になった。職業上の理由による渡航も大幅に制限された。要か不要か判断しにくい渡航をした者は見つかり次第インターネット上で激しい非難にさらされ、勤務先の電話が鳴り続ける、そういう世の中になった。

 僕は外国に行くのが好きで、だからときどき外国での職務があってうれしかった。たとえ短期の滞在でも、私的な時間がほとんどなくても、知らない町を歩いているだけで僕は簡単に幸せになることができた。ほんの少し前のことなのに、今となっては昔話である。

 恐慌は当然のようにやってきた。そりゃそうだ。疫病で外出が制限されたら経済は停滞する。買い物だってそんなにしなくなる。僕の会社にもじわりじわりとその影は落ちた。僕らの仕事はゆっくりとその足を止め、うずくまった。リモートワークの作業の量はしだいに減った。自分たちの会社だけが沈んでいったなら、死にものぐるいで戦っただろう。でもそうじゃなかった。世界中の多くの企業がゆっくりゆっくり沈んでいくのだ。

 それは僕らに奇妙な平穏をもたらした。だって、しかたがないからだ。僕らはもしかすると、少し安堵しているのかもしれなかった。自分たちだけが敗北し沈没するのではないことに。「しかたがない」ということ、それ自体に。とうとう役職のない社員全員に特別な休暇が付与され、交代で長期の休みを取ることになった。もちろん自主退職は歓迎される。僕らの船は沈むのだ。そして沈まない船はおそらくはないのだ。

 僕の上司は、たいへん面倒見の良い、しかしミスや手抜きを激しく憎む、きわめて有能かつ心の狭い人物である。私物を引き取るために久しぶりにオフィスに行くと、上司は自分のデスクで厚い本を読んでいた。そうしてしばらく僕が荷造りしていることに気づかなかった。

 ああ、と上司は言った。休暇を楽しんできます、と僕は言った。上司はうっそりとほほえみ、楽しんでください、どこへ行くの、と尋ねた。オホーツクですと僕はこたえた。僕は高校生のときオホーツクに行き損ねて、だからいま行こうと思うのである。

 たいした根拠なしに進路を決めちゃった人、けっこういると思う。僕もそうだった。海の生物が好きだったから、大学を選ぶとき、そういう学部も受けたんだけど、合格したのがオホーツク海のほとりにある研究所つきのキャンパスだった。十八歳の僕はそこで珍妙な海の生きもののことばかり考えて生活する自分を想像した。悪くないように思われた。暑いのは嫌いで、寒いのはわりと平気だし。

 でも僕は都心のキャンパスの、より汎用的な学部に進学した。そして楽しい青春を過ごし、順当に就職した。悪くなかったと思う。悪くなかったとは思うけど、悪かろうが悪くなかろうが、いま、僕らの船は沈むのだ。

 だからオホーツクに行く、と上司は言った。だからオホーツクに行きます、と僕は言った。いいねと上司は言った。なにを読んでいらっしゃるのですかと僕は尋ねた。上司は僕の知らない単語を口にしてから(ウェルベ? とかなんとか)、フランス文学、と言いなおした。そういう勉強をなさっていたのでしょうかと訊くと、ぜんぜん、とこたえて笑った。小説はただの趣味だよ、きみの真似をするなら、行くべきところはインドかな、学部生のとき、大学院進学をちょっと考えたんだけど、そしたらインドの田舎で二年フィールドワークをやれって指導教官に言われて、やめたんだ、インドの村に二年いる度胸はなかった。

 でも、と上司は言った。フランスでもインドでも変わらない。どれももう空想の国だ。行くことができないんだから。そこいくときみはいい。人生の中で置き去りにしてきた選択肢が、いま東京から行けるもっとも遠いところのひとつにある。

 僕は電車に乗る。かろうじてまだ動いている、間引きされた長距離電車に乗る。帰れなくなったときのことを考えろと言って責める人がいるから、友人知人には旅行に出ると言わない。個人情報と顔写真つきでインターネットに流され「無責任」で「不謹慎」な人間だと糾弾されるから、言わない。そう思っていたのに、「どこへ行くの」という軽いせりふがあまりになつかしくて、親しくもない上司に言ってしまった。

 まあいいやと僕は思う。インターネットなんかもうどうでもいいやと思う。不要不急の集まりを慎む世界におけるコミュニケーションの命綱になったインターネットを、もういらないかなと思う。寒い寒いところで、珍しい生き物を見たいと思う。