傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

僕の運命の男

 疫病が流行しているので不要不急の外出が禁じられた。だから僕は僕の運命の男に会うことはもうないのだろうと思う。

 色恋沙汰の話ではない。彼は僕の高校の同級生で、特段に親しいというのでもない。差し向かいで話したのは数えて十回ばかりである。でもその機会の多くが偶然を内包していて、やたらとドラマティックだった。具体的に言うと、話をしたのがぜんぶ旅先だった。僕の当時の彼女がそれをおもしろがり、「きみの運命の男」と名づけて、僕もそれを気に入ったのである。運命ということばだけが大仰な、実のところ些末な、どうということもない話。

 高校が同じでもクラスがちがうと話をすることもない。僕と彼もそうで、最初に話したのはシドニーでのことである。高校に選抜枠があった夏休みの語学プログラムでのことだった。僕は彼に好感を持ったけれど、語学研修中に日本人同士でつるんでもろくなことはないので、意識して二度しか話さなかった。

 若者の旅行離れと言われているらしいけれど、僕は自分が住んでいないところに行くのがものすごく好きなので、隙あらば行っていた。とはいえカネはあんまりなかった。二度目の海外は大学に入った年、マレーシアの首都の大学の寮に寄宿しながら田園地帯のホームステイなどに出かけて、ちょっとしたレポートを書くというものだった。当地の政府の観光庁的な機関のプログラムで、滞在費は先方持ちだ。僕はそういうのを見つけてうまいこと潜り込むのが得手なのである。

 そのようにしてクアラルンプールの大学の食堂でよくわからないものを食べていると(決してまずくはないのだが、何が入っているのかどうにも見当のつかないものが日替わりで出てくる)、はす向かいに誰かが座った。彼だった。僕らは爆笑し、今度はいくらか親しくなって、連絡先を交換した。

 三度目は京都だった。彼が京都の大学に進学したことは知っていたけれど、僕が京都に行ったのは同じ高校だった別の友人に呼ばれたからだ。年末年始にシェアハウスが空になるから好きなだけいろという話だった。そんなわけだから、僕を呼んだ友人とはひとばん飲んだだけである。あとは孤独に、生まれた土地を離れて進学した自分を想像したりしながら、薄ぼんやりして過ごすつもりだった。そういうアンニュイなやつがやりたかったのである。そうしたところが、もはやお約束のように、彼があらわれた。

 なんということはない、僕を呼んだ友人が「いまあいつが京都の家にいる」とSNSに書いたのだ。そういうのリアルタイムで書くのってセキュリティ意識が甘いと思うんだけど、もしかしたら泥棒よけのつもりだったのかもしれない。とにかく僕は雑巾を手にしたまま(無料滞在のお礼にと思って毎日せっせと掃除していた。というか、あの家は汚すぎた)玄関で転げ回って笑った。

 地理的にはどんどん近づいている。次は東京に彼が帰省したときにでも会うのかなと思っていた。でもそうじゃなかった。格安航空券を使う者の宿命である長い長いトランジットをやっているときだった。この休みはどこかへ行っているのかと彼から連絡が入り、僕はいまシャルルドゴールに着いたところだとこたえた。彼はすぐに通話に切り替えた。そう、僕らは同じようにハブ空港で時間を持てあましていたのだ。彼の飛行機はもうすぐ出るところだった。僕は彼の乗る飛行機の搭乗口に行き、やっぱりばかみたいに笑いながら小一時間話をした。学生が休む期間は似たりよったりで、その中で航空券がいちばん安いところを見計らって出れば似た日程になる。そこに小さな偶然が重なったという、それだけのことだ。彼に会ったのはそれが最後だった。僕の運命の男。

 最後に連絡をとったのは卒業旅行のつもりで別の友人と北欧を回っていたときだった。今度こそ偶然はあるまいと思って連絡して、どこにいるかと尋ねた。彼は南米にいた。僕は彼の南米をうらやみ、彼は僕の北欧をうらやんだ。

 就職したら長い旅行に出る機会は少ないだろうとは思っていた。思っていたけれど、出ること自体ができなくなるとは思っていなかった。こんなことなら僕は彼ともっと親しくなっておくべきだったのだろうか? 些末な偶然の蓄積を運命と名づけて楽しむような、今となっては雲の向こうみたいな遠い贅沢をせずに?

 僕はそうは思わない。彼を運命の男と名づけた元カノを、僕はかなり好きだったんだけれど、彼女と会うことはもうない。ぜんぜんロマンティックじゃない理由で、僕らは別れた。ここはどうせそんな世界だ。ひとつくらい運命を残しておいたっていいじゃないか。