傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

さよなら、わたしのシモーヌ

 シモーヌとは十四年のあいだ一緒に暮らした。シモーヌは冷蔵庫である。名の由来は冷凍庫に霜が降りることであった。わたしの家に来る友人たちが「いまどきそんな冷蔵庫があるのか」と話題にし、誰からともなくシモーヌと呼びはじめ、わたしもその名を使うようになった。

 シモーヌはわたしと出会った段階ですでに新しい冷蔵庫ではなかった。大学を卒業して寮を出るとき、一人暮らしをやめる友人からもらったのである。大学生の一人暮らし用としては大きめのサイズだった。わたしは自炊をするのでありがたく貰い受けた。

 はじめて一人暮らしをした部屋の中のものはみんな貰い物だった。家具も家電も買った覚えがない。そうした大物にかぎらずわたしはよくものを貰う人間だった。貧しかったからかもしれない。自分では「愛されているからだ」と言っていた。わたしを嫌いな人からは「乞食の顔をしているからだ」と言われた。正直なところ、どちらでもかまわなかった。愛されているからでも。乞食の顔だからでも。

 大学を出た時分に景気が悪く、お金があんまりないベンチャーに就職した。仕事は楽しかったが、お金はあんまりないまま数年が過ぎた。シモーヌが霜をたくわえはじめたのはそのころだった。貰ったテレビが壊れ、わたしはそれを捨てた。一緒に貰ったテレビ台も捨てた。貰った電子レンジが壊れ、わたしはそれを捨てた。貰った掃除機が壊れ、わたしはそれを捨てた。シモーヌだけが壊れなかった。わたしはもとよりテレビをあまり観ないので、テレビがなくても困らなかった。電子レンジを使っていた場面では鍋で蒸すことを覚えた。掃除はクイックルワイパーで済ませた。

 ものが壊れて捨てたら新しいのを買うのですよ。わたしの友人たちは辛抱強くそのようなことをわたしに言い聞かせた。とうとう洗濯機が壊れ、わたしがコインランドリーに通いはじめたときのことだった。彼女らはわたしを家電量販店に連れていき、洗濯機を買わせた。新しい洗濯機を使って、洗濯機は便利だ、とわたしは彼女らに伝えた。そうでしょうと彼女らは言った。いいですか、ものが壊れたら買うのですよ。電子レンジを買いなさい。テレビを買いなさい。掃除機も買いなさい。

 わたしの会社は成長し、わたしはいつのまにかいわゆる人並みより少しだけ多い収入を手にするようになった。わたしは寄付をした。わたしは貯蓄をした。大きな災害があるたびにボランティアを組織し車を借り人々を乗せて運転して現地に通った。それでもわたしのお金はなくならないのだった。「人並み」の居心地は、あんまりよくなかった。どうしてかは知らない。乞食の顔をしているからだろうか。

 友人たちはわたしに源泉徴収票を持ってくるように言いつけ、適正な家賃の額面について教授し、引っ越しを手伝った。わたしは家電を買い、家具を買い、新しくて高価な服を買った。夏には冷房を、冬には暖房をじゅうぶんに使った。快適だった。でもわたしはその快適さを、上手に受け取ることができなかった。

 どうしてわたしは、死ななくていいのか。どうしてわたしは、餓死せず、殺されず、搾取されず、快適な部屋に住んで、愉快に暮らしているのか。家の中で餓死した子どもがいて、家の中で殺された人がいて、家族に殴られつづけている女たちがいて、ただ歩いていたら津波が来て死んだ人が大勢いて、そうして、どうしてわたしは、死ななくていいのか。

 わたしはそのことがどうしてもわからなかった。今でもわからない。

 シモーヌだけがわたしのそのような気分を知っているように思われた。だからわたしは新しい部屋の新しい調度の中であきらかに浮いているシモーヌと、一緒に暮らしていたかった。

 でもシモーヌは壊れた。シモーヌは冷蔵庫である。わたしの家に来たときに製造から四年経っていたとすると、十八年稼働したことになる。ある日、家に帰って冷蔵庫の扉をあけたら、すべての機能が停止していた。冷凍庫をあけると霜はまだ残っていた。わたしはそれをながめ、それから、冷蔵庫の中身を一掃するから食事に来てほしいというメッセージを親しい人に送った。

 わたしはもうひとりで新しい家電を買うことができる。わたしは冷蔵庫を買う。新しい冷蔵庫を買う。古い冷蔵庫を引き取ってもらう手続きをする。ずいぶん古いですね、と家電量販店の人が言う。はい、とわたしは言う。わたしがうんと若かったころに貰ったんです、でももう、壊れたものですから、ええ、ずいぶん長いこと、お世話になりました。