うちの人と一緒になろうと思ったきっかけ?
きっかけは、ある。うん、だいぶはっきりしたやつが。
あの人が若いとき、勤めていた会社が倒産したの。それもだいぶたちの悪いつぶしかたで、従業員は何も知らなくて、ある日突然「会社がなくなります」と言われて、猶予期間なく追い出される、みたいなやつ。
わたしはそのとき、「この人とはただ恋愛をするだけではなくて、一緒に生活するのもいいな」と思ったの。彼は幸い転職できたんだけど、その前の話よ。彼が純然たる失業者をやっていたときの話。
あのとき彼は二十七で、今にして思えばまだ若造なんだけど、あんまり動揺してないように見えた。本人は「困ったなあ。人生でいちばん困った」と言っていたけれど、「二十四時間求職活動をするのでもないから」とも言って、そこいらの川でハゼを釣ったりしていた。
わたしは勝手に先回りして気を遣って、それから「別れようかな」と思った。ううん、お金の問題じゃない。わたしたちはただの彼氏彼女で、わたしはデートがハゼ釣りであることにとくに異論はなかった。相手が一時的に無収入になることはそれほど大きな問題じゃなかった。なぜ別れることを考えたのかというと、怖くなったから。なぜ怖くなったかというと、職をなくした男性が凶暴になるところを目撃した経験が、わたしにはあったから。
子どものころ、わたし、お父さんのこと好きだった。わたしの父はわかりやすく子どもを甘やかすタイプだった。小金持ちの「社長さん」で、見た目もしゅっとして、おしゃれで、愛想がよくて、友だちがうらやましがる「かっこいいお父さん」だった。
でもわたしが小学五年生のとき、父の会社はつぶれた。バブル崩壊からそんなに長くは保たなかったのよね。そんな会社いくらでもあっただろうと、今では思うけど、わたしの家にとっては晴天の霹靂で、世界が変わったような不幸だった。
そんなとき、皆で力をあわせてやっていけたらどんなによかったか。
父はわたしの言葉遣いや所作のひとつひとつにけちをつけ、あれをしろこれをしろと命令するようになった。自分の脱いだ服を散らかしてわたしに拾わせて、ほとんど裸でリビングに陣取るようになった。母に対してはもっとひどかった。そうして、あっという間に物理的な暴力もふるうタイプのDV男になった。当時はまだDVということばは人口に膾炙していなかったけど、暴言はともかく暴力はアウトだという認識はあったのに。
三年ばかりぐずぐずしてから、母はわたしを連れて実家に戻った。
「お父さん、会社がつぶれて荒れていたから」というふうに、母は説明していた。その程度の理解にしておいたほうが、母にとってはいいんだろうと思う。
でも、父親は、誰にでも暴力をふるっていたのではない。わたしと母親以外には何もしていない。「荒れる」相手を選択した理由があるはずでしょう?
大人になってあれこれ本を読むと、あの暴力の数々は、「男らしくするため」のものだったんじゃないかと、そう思うのよ。
母は父の会社が順調だったときからずっと、「男を立てる女」だった。そんな妻があって、子どもが幼児で、自分が「よく稼ぎ家族に尊敬される父親」をやれているうちは、暴力なんかふるわない。ねちねちと相手を否定して細かく命令する必要もない。そんなことしないほうがより立派な「男」だから。
でも稼ぎと肩書きがなくなった。
その状態で「男」をやるには、「女」をしたがえるしか、なかった。社長じゃなくなったら不倫相手はいなくなって、飲み屋にも行けなくて、気がついたら手持ちの「女」は、妻と娘しか残っていなかった。
わたしは半ば無意識のうちにそういう解釈をしていた。だから、「彼氏が無職になった」という事実に怖じ気づいた。
ところがあの人はぜんぜん変わらなかったのよ。求職活動のあれこれをおしゃべりして、でもだいたいは別の話をして、釣り糸をたらして、小さい魚はリリースして。
この人は、職業名や会社名のついたラベルを貼っていなくても、人間が変わらないんだ。
そう思った。
今は女の人でも、職業名や会社名に自分をあずけている人が多いでしょう。だからわたし、女友だちに対しても、どこかで「仕事がなくなったときに性格が変わらない人間は安全だ」という、変な認識を持っているの。そう、あなたも失業したことあるよね。あのときもわたし、あなたのこと、じっと見てたのよ。