傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

アイデンティティの明細

 ミッドライフ、いつクライシスしそう?
 友人がそのように尋ねる。

 中年期は長い。寿命が延びたら老年期ばかりが延びるというのではなくて、どうやら中年期も長くなっている。そりゃそうだ、人生わずか五十年なら四十すぎは年寄りだが、八十九十まで生きるならそうではない。体力は四十代の今すでに落ちているので、せっせとジム通いして食生活を整えながらでないと働けないけれど。うん、まさに中年ですね。メンテしながらぼちぼちやってく年代。今の仕事を続けていれば七十歳まで働けるけど、そのくらいまで中年感覚なのかしら。長い。
 そしたらわたし、その長い期間の、いつクライシスするのかしら。重い病気をしたときとかかしら。

 友人が言う。いや、そういうのじゃないのよ、ミッドライフクライシスっていうのは。病気がきっかけのこともあるだろうけど、もうちょっと精神的なものなんだよ。自分の人生は何だったのか、みたいな感覚のこと。人によってはかなり迷走する。急に仕事を辞めたり離婚したり、美容外科に通い詰めたり、何なら詐欺に遭ったりする。
 詐欺に遭う以外はとくに問題ないんじゃないのかとわたしは思う。結婚がいやになったら離婚したらいいのだし(配偶者がそれを望まないならたいへんな手間がかかるだろうが、面倒だからクライシスするわけでもないだろう)、転職も何ら問題ないし(わたしも目の前の友人も複数回転職している)、やりたかったら顔を変えたりするのもいいと思う。
 友人は少し黙り、えっと、そういうのじゃないのよ、と言う。アイデンティティの話なのよ。今の会社で先が見えた、とか、転職先はもうないだろう、とか、親としての役割は一段落した、とか、もう恋愛はしないのだろう、とか、そういうのでクライシスするんだから。

 「可能性がない」と思ってがっかりするのは、まあわかる。しかし、いつまでも無限に可能性があるのも、それはそれでイヤだなと思う。
 無限の可能性を追求していつも向上する、みたいなの、わたし嫌いなんだよね。「絶対の正解がある」とか「この中でもっとも上等な立場は○○である」とか「唯一の運命の人がいる」とか、そういうのってだいたい誰かの都合で流布された嘘だし、わたしの趣味に決定的に合わない。試験でもないのに人間のあれこれに点数や上下があるというような考え方を見ると、おえー、関わり合いになりたくない、と思う。
 だいいち、年を重ねて可能性がなくなるのは積み重ねてきたものがあるからなので、積み重ねてきたものをひとつでも無視したら、それこそアイデンティティの危機である。わたしはわたしのすべての経験によってできている。大量の偶然と選択の上に成り立っているのが自分で、その一部を差し替えたとしたら、それは自分ではない。アンパンマンの頭を取り替える話が、だからわたしは怖くてしょうがない。毎回別の自己が発生しているのではないかと想像するからだ。たとえ同じ記憶を植えつけられていたとしても、そんなのは「途中まで同じ記憶を持っている二卵性双生児」みたいなもので、別の人物である。

 そういう意味じゃないのよ。
 友人は重ねて言う。
 出世できなくてクライシスするなら、その人は「そのように出世できる自分」が自分の大きな柱だったのよ。恋愛が破綻してクライシスするなら、「このような素晴らしい恋愛をしている自分」が。

 わたしは仰天した。何を言っているのだと思った。出世できなかったら「出世できなかった自分」が自分である。恋愛が破綻したら「恋愛が破綻した自分」が自分である。それ以外に自分はいない。わたしは就職氷河期世代で、二十八のとき急に雇用契約を切られたことがあるのだが、その後のわたしはもちろん「仕事をクビになった自分」である。「でもがんばって新しい仕事を見つけた自分」でもある。えらいね。でももしえらいと思えなかったとしてもアイデンティティにはとくに関係ないように思う。

 そしたらあなたはクライシスしないか。更年期で「女じゃなくなった」とか言う人のことも理解できなさそう。
 友人が言う。わたしはうなずく。更年期が来るとなぜ「女じゃなくなる」のかひとつもわからない。そもそも「女であること」と自己の結びつきもあんまりよくわかんない。わたしにとって自分の性別とは、「みんながそう言うし戸籍とかに書いてあるから、女だということにしてある」という程度のものである。
 のんきで幸せな人だね。友人はそのように言う。それはそう、とわたしはこたえる。