傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

生き物ではない者として

 ちょっと自慢話を聞いてもらえませんか。
 このあいだ、○○さんと仕事したんです。ええそうです、よくご存知ですね、そんなに知名度はないんだけど、僕は昔からとても好きで、彼の書いたものはすべて読んでいます。雑誌に少し書いただけのものも追っている。若いころには「こういうのって恋愛みたいなもので、そのうち醒めるんだろうな」と思ってたんですけど、いまだに好きです。
 他にも好きな作家はいるけれど、そういう感情がずっと続いたことはないな。○○さんが特別なんだ。
 そうですか、あなたも○○さんの著作を読んでいらっしゃいますか、嬉しいなあ。
 いや、本業で○○さんの本を担当したのではないんです。僕は編集者ではありますが、会社では違う分野の本を作っていて、○○さんは、うちの会社で書かれている方ではないですし、接点はないんです。○○さんとした仕事は、いわば課外活動です。うちの会社は副業OKでして、外で本を作ってもかまわないんです。今回のはお金のためじゃなくて、趣味ですが。
 ええ、仕事で本を作って、趣味で本を作って、はは、まあそんなものでしょう。売れっ子のマンガ家さんが同人誌をつくって即売会に出たりする、あれです。
 書き手に伴走するのが好きなんですよ。自分で本を書きたいという気持ちはない。書き手としての僕は編集者としての僕にとって魅力的ではない。素晴らしい書き手は必ず外部にいて、僕はその人たちの書いたものを「すてきだなあ」と思って読む。僕にとって世界はそのようにできている。

 数年前にファンレターを送りましてね。
 お返事をいただけたので、「○○さんにはぜひこういうご本を書いていただきたいと思っているのですが」と提案して、そしたらね、受けていただけたんです。運が良かった。
 先方の意向で、やりとりはすべてメールでした。Zoom会議なんかもお好きではないのだそうで。はい、僕は本を作れるだけで嬉しいので、そんなのなんでもないことでした。文章でのコミュニケーションは密にしてくださって、ええ、お忙しい方ですから、途中で一年ばかり作業が途切れたりしたのですが、静かに待っていました。忘れられてはいない自信があった。なぜそんなに自信があったのか自分でもよくわからない。
 そしてとてもいいものができました。結局一度もお会いしないまま、通話もしないままで。
 それで、よかったらご自宅までお届けに上がりますと言ってみたのです。なんのことはない、ただお会いしたかっただけです。なにしろ、大学生の時分からの、あこがれの著者ですから。
 そうしたら非常にていねいな返信をいただいた。

 わたしはあなたにお会いしないほうが良いと思っています。わたしは今回の仕事を通じて、あなたにとても良い印象を持っています。年の離れた友人のように思っています。あなたもわたしを好ましく思ってくれているだろうと想像しています。わたしは今回の仕事であなたの影響を受け、これまでとは違うものを書きました。
 それはわたしたちの文章の力によるものでしょう。
 生物としてのわたしには、あまりにノイズが多すぎる。自分ではそれほど悪い人間ではないと思っていますが、人間の良さと文章の良さは異なるものです。そしてわたしはあなたに、文章を書く存在としてのわたしだけを、好ましく思っていてほしいのです。
 わたしは人間でしかありえないし、それが嫌だというのでもない。
 しかし、わたしはときどき、夢を見ます。ままならない老いた身体を脱ぎ捨て、思うがままの文章を打ち出す存在として他者の前にあらわれる、そういう夢です。わたしはこの年になっても、まったくもって死ぬつもりがなく、うんと長生きしてやろうと思っていますが、それはそれとして、死んだら自分が夢のような存在になるのではないかと、そんなふうにも思っていて、だから死ぬことが少しばかり楽しみでもあります。
  わたしが死んだら拙宅にいらしてください。贈り物を用意しておきます。二十年後か、粘りに粘って三十年後か、そのあたりに。

 いい話でしょう。ふふ。
 好きな書き手が自分の影響を受けたなんて、こんな悦楽はない。
 そして僕は彼の望むように、お会いするのは亡くなったあとにしようと思います。長生きすると宣言していらっしゃるから、僕も健康でいなくてはいけません。自分の足でお宅に伺うだけの体力と、「贈り物」を読むしゃっきりした頭を、ずっと持っていなくては。