傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

特別でない人の選ばれかた

 先だって中古のマンションを購入した。紹介者は飼い犬である。

 わたしの犬は四歳の柴犬で、和犬のわりにお調子者の社交家である。朝によく行く公園と夜によく行く別の公園に、それぞれ顔見知りの犬たちがいる。子犬のころはとっくみあって遊んだものだが、もう大人の犬なので、たがいをふんふん嗅ぎあって、あとはせいぜい追いかけっこをするくらいである。社交の目的の半分以上はよその犬の飼い主さんたちだ。でれでれと甘え、おやつをもらって嬉しそうにしている。
 そのような場で、人間同士は名も知らない。なかには代々このあたりに住んでいてたがいの本名を知っている人たちもいるが、わたしもわたしのパートナーも新住民である。
 ただし、犬たちについてはよく知っている。名前はもとより、年齢、性格、アレルギーの有無などの体質、誰に散歩させてもらっているか、家ではどんな振る舞いをしているのか、おおむね知っている。わたしはとにかく犬が好きなので、すべての犬に好かれたく、すべての犬に全力で媚びを売る。それで犬についての情報は自然と頭に入るのである。人間については「その飼い主」というだけなので名前も知らない。
 そんなのはわたしだけではない。多くの犬オーナーにとって、人間はおまけである。それが証拠に互いの名を知らずにいるのがスタンダードである。犬の名前に「ママ」とか「パパ」とかつけて呼ぶ。誰も犬など産んでいないし養子にもしていないのだから、とても奇妙な風習なのだが、なにしろ便利なので、わたしも使用している。

 マンションを売ってくれたのは「まりもママ」とその家族である。まりもちゃんはトイプードル、八歳、毛色はアプリコット、得意な芸はハイタッチ、人懐こくて犬相手にはやや慎重派。
 南向きの部屋が空いたのよう。そこを売ってもらうことにしたんだあ。だから今の部屋を売るんだけどねえ、先にリフォームしないとねえ。好き勝手やっちゃったからねえ。
 ある朝、まりもママがわたしの犬を相手に、そのように語っていた。わたしとパートナーは賃貸住まいで、かねてからもっと広い部屋に越したかったのだが、ペット可の賃貸の少なさと東京の家賃高騰で「もう買っちまうか」と決めたところだった。
 わたしはまりもママを振り返り、言った。でも、お高いんでしょう?

 結果としては、わたしたちの予算よりややお高かったのだが、相場よりぐっと安くしてもらったので買えた。わたしたちは自分たちの好みで内装工事をしたかったので、売るためのリフォームの費用が浮いたようなのだった。
 不動産屋の担当者は「もっと高く売れるのに」とぶつぶつ言い、「でもまあ決まった相手に売りたいというのはね、まあ、たまにある話なんですわ」とつぶやいた。

 わたしやわたしのパートナーはとくにすぐれた人間ではない。収入にも資産にも性格にも能力にも特筆すべきところのない、統計を取ったらだいたいの要素が95%区間に入るような、そこいらに転がっている石ころのような人間である。まりも家と親しいわけでもない。それどころかまりも家の人々はわたしたちのことなどろくに知らなかった。不動産売買契約の書面で名前やら年齢やら勤務先やらを知って「へえー」と言っていた。
 彼らは同じマンションの南向きの部屋に引っ越すので、同じマンションの新住民が問題を起こさないとよい、という気持ちはあっただろう。問題を起こさず居住できる人間(と犬)はいくらでもいる。いるが、そのような人間を選ぶのも面倒だったのではないか。問題がなければそれでいいので、「共働きで、困ったところのない犬を飼っている」という程度の情報しか持たない顔見知りに、安くしてでも売ってくれたのだろう。お金のことは金融機関が審査するから、売る側は気にしなくて良いのだし。

 でも世の中だいたいそんなもんかもね。
 住宅ローンの書類をぱらぱらやりながら、家族が言う。
 特別にすぐれた人間じゃなきゃダメだなんてこと、あんまりないよな。会社で「世界中でもっとも優秀な人材を探して採用しよう」なんて思わないし、結婚相手をオーディションで選ぶのはリアリティショーの中だけの話だし。だいたいは「たまたま目の前にあらわれてくれて、なんかこう、いいと思った」で決まっちゃうんだよな。少なくともおれはそう。たまたま会えたらもうそれでじゅうぶん貴重だと思う。
 そうさねえ、とわたしは言う。オーディションしたらもっといい男がいますよって言われても、わたしも、やだな。「いちばんいいものがほしい」と思って生き物を選んだことないよ。