三十近くまで知らなかったんすよ、ほうれん草は基本、下ゆでが必要だって。みんなどこで習うんすか。おかげでおれはほうれん草があんまり好きじゃなかったんすよ。そのまんま炒めてシュウ酸ごと食ったら、そりゃ好きにはならない。いやだなと思ったら、外でも頼まない。それで、ほうれん草まずくね? と思ってたんすよ。ずっと。うまいのに。
部下が言う。弁当箱の中のほうれん草を見つめながら言う。
そうか、とわたしは言う。気の毒なことである。
そういえばわたしはいつほうれん草には下ゆでが必要だと知ったのだろう。気がついたらたいていの野菜の下処理のしかたを知っていたし、生肉や生魚の適切な取り扱いについてもわかっていた。
でもまあ、知らなかったのが「ほうれん草の下ゆで」程度ならマシなのではないだろうか。わたしの子どもの時分には家庭科の対象が女子だけだったからか、大学に上がると、マジで何ひとつ台所を知らない男子大学生が大量にいた。
男の友だちから電話がかかってきて、「あのさあちょっと聞きたいんだけど。ゴホッ。フライパンの煙を出すってどれくらい出せばいいの? ゲホゲホッ。いつ油入れていいのかわかんなくて」と言われたときには肝が冷えた。わたしは息を吸って、言った。火を止めて。油は触らないで。ぜったいに触らないで。窓をあけて、換気扇をまわして。
家が広いから何も知らないんだ。
ちょうど約束のあった友人にその話をすると、彼女はやけに自信ありげに断定した。子どもがいるリビングと台所が素通しで何もかも見えるようなちっちゃーい家で育って、おまけにおなかがすいてたら、ぼけっと親の手元を見るでしょ。それで身につく。興味を持つから自分で作るようになるし。子ども部屋? 小さいときは子ども部屋よりリビングに長くいたよ。プライバシーが欲しくなるまでは子ども部屋の意味なんかなかった。狭いしさみしいしヒマだもん。
そういうものかとわたしは思う。お金持ちの子はたいへんさ、と彼女は言う。お金持ちっていうか、子どもがおもてなしされて勉強だけしてるような家の子はたいへんよ。ごはんは出てくるもの、お金も出てくるもの、正解はどこかに書いてあるもの、っていう感覚で大人になっちゃったら、なかなか抜けないものよ。だからうちの息子はとりあえず自分ひとりで生きていけるように育てた。お小遣いなんかも、どんなにアホな使い方でも止めなかった。本人が痛い目を見てから対策会議を開くことにしてた。何なら飼い犬にだって、子犬のときに「よろしいか、この家に来たからには、意思決定と自己主張ができる犬になってもらいます」って言った。
徹底している。犬に言ってもぜんぜん効果はないだろうが、しつけの方針が一貫するという利点はあるかもわからない。
わたしはいつ子どもたちに包丁を握らせただろうか。上の子が保育園のときに子ども包丁を買ってあげて、大人用の刃物を許可したのは、小学校の、あれは何年生のことだったろうか。
子どもがけがをするとつらい。けがをしたら、と思うだけでつらい。あぶなっかしくて見ていられない。そういう気持ちは、わかる。自分の子が成人した今となっては遠い気持ちだが、こんなに小さくてかわいいのだから、痛い目になんかひとつも遭ってほしくないと、そう思っていた。思ってはいたが、子どもはばんばんけがをした。転んで、ボールにぶつかって、無茶な高さから飛び降りて、おおいにけがをした。もちろん包丁で指を切り、スライサーでも切り、気がついたら何でもできるようになって、もう小さくないのだった。
おっしゃるとおり実家は広いし、親が料理するところもあんま見てないです。
友人による「家が広く料理現場を見ない説」を伝えると、部下はそのように言う。小遣いの使い道や遊びなんかは好きにさせてくれたけど、メシは「出してもらうもの」だったな。大人になって自炊しないんならそれでもいいんだろうけど、残念ながら食い意地が張っていたので料理に手を出し、シュウ酸を過剰に摂取するはめになりました。
しかしあれですね、育った家が「出てくる」環境でも、一人暮らしをはじめたり、作る人がいなくなったりしたら、「メシは出てこない」ってわかりそうなもんだけどな。
そういうわけでもないか。ないな。考えてみれば、一人でもなんにもしないパターン、ありますね。叔父がたぶんそうです。生活がめちゃくちゃ荒れてるけど、本人は気にしてないみたいな感じです。なんでおれはそうならなかったんだろう。どこに分岐点があったんだろう。今度お友達に聞いてみてくださいよ。