傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

気の合うところ

 若いころ、頻繁に引っ越しをしていた。「絵心ゼロの北斎」と言われたこともある。なんと役に立たぬ北斎か。
 引っ越しを重ねると、そのうち旅行先などでも「住める/住めない」を判定する能力が身についた。
 その町の環境や成り立ちや住民の需要が渦をなして町の性格を構成している。そんな気がする。そして、新しく知り合った人と一対一で長く話したときのように、新しい町にいくらかいれば、そこで機嫌良く暮らせるか否かかがわかる。わたしは自分が機嫌良く暮らせる町をさして「気が合う」という。

 たとえば港区とは気が合わない。
 港区には、いわゆる港区イメージとは異なる場所がもちろん存在する。港区の海の側には住宅地があり、タワーマンションが並んでいるが、当時のわたしの収入でも無理なく住める古びたマンションもあって、当時の職場に歩いて行けたので、借りて住むことにした。
 ここがどうにもしっくりこなかった。
 象徴的だったのがスーパーマーケットに置いてある生鮮食品である。わたしが借りた小さいマンションの裏手のタワーマンションの一階が大きなスーパーマーケットで、たいへん便利だったのだが、いつ見ても同じような魚しか置いていない。切り身が数種類と海老、申し訳程度の干物、丸物はない。刺身も通年きわめて単調である。サバは定番だと思うのだが、なぜか切り身はなく、しめさばの真空パックだけが置いてあった。
 さばみそ食べないのかな。野菜も同じようなものでねえ、単調でかなわない。
 そのように愚痴を言うと、当時地方で仕事をしていたパートナーが苦笑した。あなたはお金があったってタワーマンションを買ってイタリアンモダンの家具を揃えたりしないだろう。価値観が合わないんだ。港区の中でも十番あたりなら気に入るところがあるかもわからない。高すぎて住めないだろうけど。
 湾岸タワーマンション的なるものと価値観が合わないのはわかっていたのだが、スーパーマーケットの品揃えのことまでは考えていなかった。でもそれが価値観というものなのだ、たぶん。だって近所のバーにいくつか行っても、通いたいところはなかった。いいバーだな、とは思うんだけど。

 そのあと神楽坂のはずれに住んだ。わたしは好んで牛込という地名で呼んだ。牛込もわたしのことを気に入ってくれていたと思う。珍しく賃貸契約を更新して四年住んだが、出向が決まり、出向先に近かった蔵前に引っ越した。わたしは蔵前を憎からず思っていたが、出向が終わったタイミングで転職し、職場に便の良い日本橋のはずれにうつった。日本橋とは楽しく過ごしたものの、周辺の大規模開発が予定されており、いささか刹那的な関係だった。
 そのうち(人間の)パートナーが東京に戻り、二人分の住まいを探す必要が生じた。条件と予算を持ち寄って駅や路線をピックアップしたところ、中央線沿いが候補のひとつに上がった。
 西荻に友だちが住んでて、とわたしは言った。ときどき遊びに行く。とてもいいところだと思う。わたしは西荻を好きなんだ。でも西荻はわたしのことを内心信用していないように思う。表向きは良くしてくれるんだけど、踏み込んでもらいたいくないと思ってるんだよ、たぶん。
 西荻が、と彼は言った。西荻が、とわたしはこたえた。

 わたしたちは結局、白山の賃貸に引っ越した。そうこうしているうちに東京の家賃が高騰し、もう買ってしまおうと決めた。
 このへんも賃貸で住むにはいいけど、もう少し賑やかなところも好きだし、文京区はだいぶ値上がりしているし、できれば各自の仕事部屋が欲しいし、買うとなると新耐震の中規模以上のマンションが良い。彼はそのように言った。資産価値が下がりにくい建物をねらって、このあたりから上野の山の向こうまで探してみよう。僕はあなたの一人暮らし時代の家の中でも蔵前がしっくりきたから、台東区にも気の合うところがあると思う。
 わたしたちはアタリをつけたいくつかの区域のビジネスホテルに数日ずつ滞在してそこから出勤し、帰りには食料品や日用品の買い物をしているつもりで歩きまわり、近隣の飲食店に入って、散歩道と公園をチェックした。
 そのように過ごして半年、区域と条件を伝えて物件が出たら教えてくれるよう依頼しておいた不動産仲介業者さんから連絡があった。内見して部屋を出てエレベーターを降りたその場で「買います」と言うと、仲介業者さんが笑うのだった。すぐ売れそうな物件だから、決断が早いのはいいことですが、それにしたってめちゃくちゃ早いですね。
 彼はわたしの顔を見て、それから言った。ええ、もう気が合うとわかっているので。