ふだん行かない部署を訪ねて、タスク管理ツールの使い方を教えてもらう。わたしの親しい同期の現在の配属部署で取り入れられて、「他部署の人でも、仕事で使わなくても、タダで教えてもらえるよ」と聞いたからである。
本を読んでひとりで勉強するのも良いし、今はあちこちの企業や教育機関が無料で公開している動画もある。だからたいていのことは低コストで自習できるのだけれど、それはそれとして、目の前に人がいてしゃべってくれるとやけに学習効率が良いのである。どうしてかはわからないが。
導入担当の社員はわたしよりいくらか若い男性で、まだ小さい子がいるのだそうだ。それで、仕事のために覚えたタスク管理ツールを家庭生活でも使っているのだという。とにかく時間がなくて、管理しないと混乱するんすよ、と彼は言う。たとえば子どもの成長と性質にあわせて商品を買う。そしたら、週末の買い出しパターンも定期便の品目も買ったものの収納や入れ替えサイクルも、予算立ても、みーんな変わるじゃないですか。そういう小さい変化が、生活のぜんぶに及ぶじゃないですか。「これにこんな時間かかるの? 言ってよー」ってなりませんでした?
わかる。子どもが小さいと細かいタスクと判断が大量にあるし、すぐ成長してフェーズが変わる。頭が「わー」ってなる。
わたしの子はもう中学生だから親としてのタスクはだいぶシンプルなんだけど(子が自分で起きて自分で寝て何でも食べて自分で学校や塾に行って自分で宿題をやったりやらなかったりする、それだけで親の判断の数が減る)、受験の準備がはじまったから、また親が管理するものごとが増えるかもわからない。
ちゃんとした人ですねえ、とわたしは言う。人生の効率がよさそう。
それを聞いて彼は眉と視線の角度をわずかに上げ、それから社交的な苦笑を浮かべて、言う。あの、おれのことコスパタイパくそ野郎だと思ってません?
わたしは声を出して笑い、いやいやいや、と手を振った。ただのコスパタイパくそ野郎じゃなさそうだな、って思いましたよ。
すると彼もげらげら笑って、通じすぎ、と言った。楽しい人物だと思った。
そのようにしてわたしはその社員と、ときどき話をするようになった。
彼は言う。
おれの言う「コスパタイパくそ野郎」は、自分の欲と意思と目的でもって効率を必要とする領域を決めることしないやつをさします。短時間と低コスト自体に価値を置いている愚か者のことです。
おれは映画が好きで、映画を早送りで観ない。でも早送りする人をとやかく言うことはない。なぜならその人たちの目的は映画に没入する時間ではなく、映画を多くチェックすることで得られる別の何かだからです。それなら倍速でも切り抜きでも使ったらいい。SNSでそれらしい感想を見つけて「自分の意見」にするのも効率的でいいと思うよ。おれも趣味のキャンプの道具なんかを紹介する動画は倍速で流します。自分の楽しいキャンプのために新しい道具をチェックしたいので、その動画を閲覧するのが目的なのではないから。
子どもの養育環境を効率的に整えるのは何のためかといったら、空いた時間で子どもと一緒に意味のない遊びや昼寝をするためです。家の運営をシステム化するのは、おれと奥さんが各自ぼけっとしてマンガ読んだり一緒に全然ためにならないバラエティを観ながらぜんぜん健康によくないビールを飲んだりする時間を作るためです。
仕事だってそうです。成長とかスキルアップとか、別にしたくないです。嫌悪感のないジャンルで苦痛が少なくていくらかは楽しくて長時間じゃない労働をして、それでもってそこそこのカネがほしい。そんだけ。そのためにやってることを「成長してるね」みたいに言われるとダルい。「成長」すればエライと思ってる連中と一緒にすんなよって思う。
嫌いなんすよ昔から「エライ」ほうばかりを選ぶ連中。偏差値だけで選んだ大学の偏差値だけで選んだ学部に行ってランキング上位の企業に就職してグラビアアイドルとでも結婚してろって思ってた。あ、すいません、これぜんぶ男の話です。おれ男子校だったんです。
グラビアアイドルと結婚する男性に対する偏見がすごい。あと、今はどちらかといえば「自分と同じくらい稼いでくれて、でも自分よりは上ではなく、『育ちがいい』美人」みたいな女性のほうが、いわゆるトロフィーワイフとしても価値が高いのではないか。
わたしがそのように言うと、同じことですよ、と彼は言う。まあね、とわたしも言う。