傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

彼女の砂漠の女

彼女はこの十年で二度職場を変えた。二つ目の職場にいたときの彼女は、継続的に摩耗していた。首筋から背中にかけて、骨でしかないはずの場所から常にかすかな痒みが滲んでいた。
私の骨髄が劣化している、と彼女は思った。骨の中身が腐った水になってそこから虫が湧いているみたいだ。それからその比喩のばかばかしさに少し笑った。骨の中で虫が育って生きていられるはずがないじゃないか。
それからこの思いつきそのものを骨の病気にかかった人に失礼だからやめなさいと言う人がいるんだろうなと思った。独白での言い回しにさえ監視の目を意識するような怯懦が習い性になっていた。彼女は玄関で靴を脱ぎながらそのことに気づいて台所から古いカップを持って玄関に戻りそれを三和土に投げつけた。いい音がした。それは最初に親しくなった男の子が(彼は男の子で、彼女ももちろん女の子だった。十八歳のかたくなで潔癖な女の子だった。彼は彼女を好きだと言った)彼女にくれたものだった。彼女はありったけの食器をたたき割った。
私は私のための比喩まで売り払った。そんな生活には一グラムの正当性もない。楽しんで選んで少しずつ買い集めた食器のなれの果ての瓦礫を二重に重ねたゴミ袋に入れながら、彼女はそう思った。
ほどなく彼女は次の職場を確保した。玄関に積み重なる磁器の破片のかたちをした自分の限界を目撃して、それでも翌日に辞めず転職活動をしてから退職する自分をいやだと彼女は思った。それじゃまるで余裕があるみたいじゃないか。
そんなふうにして、彼女は砂漠に行った。人生に幾度もないまとまった時間と費用を必要とする旅行の目的をどうして砂漠にしたのかは自分でもよくわからなかった。彼女はただ、見覚えのあるすべてのものに耐えることができなかった。その場所で、どうしてこんなところにいるんだろうと彼女は思った。均質な美しい砂と無表情で有能なガイドと無数の刃物のような日光と起き上がって口を利きそうな強い影しかないところに。
現地の人の村を見に行きますかとガイドが尋ねるので、彼女は諾々とうなずいた。そこには女しかいなかった。どうしてですかと尋ねるとガイドはここでは女しか働きませんとこたえた。女だけが働いて家のことも女がします、男は男同士でお茶をのんで話したりするだけ、先進国の女性は驚くでしょう。
驚きますと彼女はこたえた。男たちは退屈しないのですか。ガイドはわかりませんとこたえる。私はこの民族ではないので、彼らの気持ちはわからない。彼らは、寝室でも別々に寝ます、二段ベッドの上と下に。夫は用事があるときに妻を呼びます。それだけです。
用事、と彼女はつぶやく。用事が済んだら彼女は自分のベッドに帰るのですか。もちろんとガイドはこたえる。彼らが一緒に眠る理由は何ひとつありません。それじゃあ今しがたすれ違った女たちはまるで生殖に用いる神を飼っているようなものじゃないか、と彼女は思い、でもそのことを世間話のうちに英語圏の生まれでないガイドに伝える自信がなくて、黙って砂漠の村を歩いた。
彼女はそのような話をし、私は彼女がくれた薄い緑色したガラスの香水瓶を電灯にかざしながら言う。旅をして元気になって帰ってきたのはよかったよ、でもその砂漠の女たちがあなたにどう作用したのか私にはわからない、その砂漠の女たちのことを私は理解できないよ。
私も理解できない、と彼女は言った。彼女は帰国直後から新しい職場で働きはじめてひどく多忙になり、はいお土産と言って渡された小さい包みは、買ってから半年経ったものなのだった。
彼女はほほえみ、私はあのとき砂漠の女について想像した、と言った。砂漠の女を私は理解できない、砂漠の女もきっと私を理解しない、でも私たちはすれ違った、それが旅行の効用というものだと私は思う。すれ違った人のことを想像する、もちろん勝手な想像でしかない、でもそれでいいと私は思う。
私はあれから心の中に空想上の砂漠の女を住まわせた。たくさんの時間をかけて少しずつ私のことを説明した。文化的な背景や個人的な生育史をふくめて。私は砂漠の女に理解してもらうためのプロセスで自分を理解しなおした、なぜなら砂漠の女はまったき他者で、なにもかも説明しなければいけなかったから。
彼女はそのように話し、それじゃあもう砂漠の女は用済みなの、と私は尋ねる。彼女はほがらかに笑って、ぜんぜん、と言う。今でも毎日私は砂漠の女と話す、半年前からその頻度は少しも落ちていない、私は、なんでも先に彼女に話すようになった。友だちに話す前に、恋人に話す前に、親に話す前に。それでいろんなことがすごく通じやすくなったの。