傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

私たちが犬だったころ

一年しかもたなかったと彼は言った。人間扱いされなかったんだよね、だから。それって具体的にどういうこと、と私は訊く。殴る蹴るだよと彼はこたえた。大人になってあんなに殴られると思わなかった。私は反射的に声を荒げた。なにそれ、どうして黙って殴られてたの、なんでそんなところに一年もいたの。
真剣だからって言ってたな。彼は少し明るい声になって言う。真剣だからうまくいかないと殴るんだって、そう言ってた。気性の激しい、自分の感情にのみこまれるような人でね、才能だけ、仕事だけの人、僕は、あの人の仕事が好きだった、そしてあの人のところでは人が育っていた。
彼がスタイリストの弟子をしていたときの話を聞いていたら、殴られる話が出てきたのだった。そんなの、少しも、関係ないでしょう。私は力なく言う。才能が暴力を免責するはずがないでしょう。
彼は私を見て薄く笑った。蔑んでいる、と私は思う。彼は私を蔑んでいる。圧倒的な才覚の価値を知らないと思っている。暴力イコール悪とする脆弱な優等生の価値観を嘲笑している。そうして、理不尽は拒絶すべきだという建前にあっけなく勝利するだけの欲望を持ったことのない私を、きっとあわれんでいる。
ともかく僕は、と彼は言う。一年で、服は買おうと思った。給料をもらって、それで買えばいいんだと思った。サラリーマンになろうと思った。学校は出ていたし、今の業界に必要な能力があることもわかっていた。僕にとってそれは幸いではなかった。僕は背水の陣を持っていなかった。だから耐えることができなかった。
挫折してよかったよと私は言った。継続的に暴力をふるわれていると人間は歪む、たとえそれが自分の選択の結果だとしても。彼はいっそう楽しそうな口調になってこたえる。一年分の暴力と、独立した先輩の受けた三年分の暴力では、どれだけ違うかな。
三年分だと取りかえしがつかなくて、一年分ならそうではない、のかな、僕は知らない。一年のあいだ、僕は犬みたいに扱われていた、僕が殴られてけがをしても傷害ではなく器物破損の罪しか成立しないみたいな、間違った世界にいた、それが僕を致命的に損なったとしても、今の僕にはどうしようもないよ、ただ今まで、弟子入りを後悔したことはないよ。
私がうつむいていると彼ははずんだ声で続ける。あなたは僕の師匠を悪く言うけれど、あの人と僕らはそんなにも異なる存在なのかな。何かをもって暴力を受け入れさせたことが、あなたにはほんとうにない?職業上の行為で誰かに苦痛を与えたことは?相手の愛情を笠に着て傷つけたことは?百人の賞賛を言い訳に一人の不快を黙認したことは?そのこととあの人のしたことのあいだにはそんなにも明瞭な境界線があると思う?暴行と暴言なら暴行が圧倒的な悪であって暴言は許されるんだと思う?
私はうつむいたまま彼のことばの群れが私の頭上を通り過ぎるのを待ち、それからようやく彼を見て、訊いた。弟子をやめようと思ったきっかけは何だったの。弁当かなと彼は言う。弟子は雇用じゃない、給料は出ない、ぎりぎり食べさせてもらうだけ。たとえば撮影現場で余った弁当をもらって帰る、とか。それで、ある日、三つもらった弁当の最後のひとつを冷蔵庫から出して食べてるときに、無理、と思った。これは食事じゃない、これは餌だ、と思った。
ごはん食べたかった、と私は訊いた。餌ではなくて。好きなことを仕事にできるなら修行中はそんなのなくてもいいと思ってた、と彼はこたえた。でも無理だった。
私たちはときに餌を食べる、と私は言った。あなたほど極端な状況に置かれることはなくても、私たちはしばしば犬のように扱われて、犬の餌を食べる。そしてそれを食べることができなくなったら、どうあってもそこから出るべきなんだよ。目標のある人間のふるまいをわかってないってあなたは思うかもしれないけど、でもそれは真実なの。食べられなかったら死ぬ。だから餌に耐えられなくなったら犬をやめて人にならないと、死ぬの。私たちが犬だったころ、私たちはそれを知っていて、だからそこから抜けだして、今こうして人間のごはんを食べてるんだよ。
彼は終始うかべていた微笑を消して、そうかな、と言った。僕は足蹴にされてもご主人さまにまとわりつく犬でいたかった。僕はほんとうは、こうしてクリーニングからかえってきた服を着て、僕を殴らない友だちを前にしてあたたかな皿を待っていたくなんかなかった。餌を食べられなくなったのは殴られつづけているからだと気づかずに首をかしげたままで死ぬばかな犬でいたかった。