傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

私の愛する単純作業

外は強い雨だった。コンビニに行くとずぶぬれになっちゃうから買い置きのカップ麺で済ませるよ、と私は言った。私も抽斗にカロリーメイト入ってるんでだいじょうぶです、と彼女は言った。彼がとても悲しそうな顔になったので私は彼に余っていたカップ麺をあげた。あざっすと彼は言い、私のぶんまでべりべりとパッケージを剥がして部屋の隅にあるポットに向かった。
彼らは私の後輩で、私たちは残業していた。難易度という点からは少しも大変ではなく、ただ量だけがやたらにあるというたぐいの作業だった。私たちは黙々とファイルを修整し、黙々とプリントアウトした。夜食で胃をなだめたら別のファイルを修整し、プリントアウトする。あと二時間くらいかなと私は思う。
あああああと声が聞こえて振り返ると、ポットに向かっていた後輩ががっくりと崩れ落ちていた。もうひとりの後輩である女の子(もちろんとうに成人しているけれど、私は彼女にはつい女の子という呼称を使ってしまう)の視線を受けて彼は力なく手を振り、いえ、お湯がちょびっとしか入ってなかったんです、ただそれだけです、でもなんか、ちょっと、切れちゃって。
最後の藁ですねと彼女は言い、でも切れるような作業かしら、とつぶやいた。そんなに過酷な状況じゃないですよね、終わったら夜中ではありますけど。
私たちはささやかな食料を囲んで座る。彼はカップ麺の湯気で曇った眼鏡を外し、だってぶっちゃけ退屈な作業じゃないっすか、と言う。同じ時間働くんだったらもっとこう、夢中になってたら夜中、みたいなののほうがいいですよ、こんな刺身にたんぽぽ載せるみたいな作業、時間が経つのが遅いし、なんかこう、苛々しちゃうんですよ。そういうのいちばん苦手なんです。
苛々するっていうのはつまり、簡単な仕事をやらされてるのが心外だ、ってことですか。もっとおもしろい仕事ならがんばれるのに、みたいな。彼女がそう訊く。そう言っちゃうとやなやつっぽいけど、まあそうかも、と彼はこたえる。どうせなら能力をめいっぱい発揮して仕事したいじゃないですか。
どうですか先輩この人、と彼女は訊く。生意気でしょ、与えられた仕事は粛々とこなすべきですよ、序列つけるなんてだめです。ねえ。
彼は苦笑し、彼女はにこにこしている。からかっているのだ。彼らは気が合っているように見える。
いいんじゃないかなと私は言う。若者らしくていいと思う。資料さえできあがればその作業についてどう思っていてもぜんぜんかまわない。個人の内心は完全に自由だよ。それは尊い権利であって、会社なんかが干渉できるものではない。
先輩はそういう気分にならないんすかと彼は訊く。もっと私の能力を発揮させろ、みたいな。こんな誰にでもできる仕事させんじゃねえ、とか。
ならない、と私は断定する。能力をめいっぱい発揮することを常に求められたらできることもできないと思う。私には単純作業が必要だ。なんだか精神が安定して頭がすっきりする。
だって、単純作業はやれば必ず終わる。確実な成果が約束され、それが目に見える。そういうことは世の中にそれほどたくさんあるわけではない。三種類のプリントアウトを一部ずつ封筒に入れれば一組の資料が完成する。三十回繰り返せば三十人分できる。確実にできる。すてきだ。
私がそのようなことを説明すると、意味わかんないっすと彼は言う。誰にでもできることで確実な成果が見えたってぜんぜんうれしくないです。でも手作業してて今までわからなかったことが急に理解できたり、頭がすっきりすることってありますよ、と彼女が言う。あんまり考えずに手を動かしていると落ち着きます、なにかがリセットされる感じがします。
考えたり判断したり、訓練して身につけた技能を使ったりする仕事ばかりだったら、なんだか落ち込むと思う、と私は言う。それが続いたらたぶんすごく性格が悪くなるし、単純作業以外の仕事をする能力も徐々に落ちていくんじゃないかって気がする。どうしてかはよくわからないけれど。
じゃあ先輩の性格を向上させるために仕事を譲りますよと彼は言う。既にじゅぶん善良な性格だよと私は言う。ええっと彼女は言い、私が目をむいてみせると華やかに笑った。それから私たちは立ち上がり、退屈で必要な作業に戻る。