傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

猫とコーヒーと人工的な嗜好

今年も乗り切りましたねと私は言った。おかげさまでと彼はこたえた。私たちはコーヒーカップを軽くかかげて乾杯に代えた。
彼の職場では毎年社員旅行が催される。彼は他人と同じ部屋で眠ることができない。公衆浴場もひどく苦手だ。けれど休むわけにはいかない。それで私は彼が戻ってくるとコーヒーでねぎらう。彼は見るからに消耗している。
彼は他人と物理的に近づくことが嫌いだ。それは彼に苦痛をもたらす。彼はごく若い時分、人並みに振る舞うことが義務だと考え、継続的に他人と接触する関係を努力して維持した。彼にはそれが不可能なのではなかった。不可能でないことがさらに彼を苦しめた。できるのだからしなければならないと彼は思い、長い苦痛に耐え、そして、あきらめた。
そのころから彼の接触を嫌う傾向は加速した。人だけでなくて、動物にも触れることができなくなった。今の彼は包丁で生肉を切ることもできない。住居に人が入ることがつらいから、搬入と組み立てに人手を要する家具を新調することもできない。長いことかけて慣れた美容師のいる美容院まで一時間かけて行く。新人の美容師が肩や首をマッサージしようとしたとき上手に断る方法も知っている。嘘をつくんですと彼は言う。あなたに触れられたくないと言えないから。
彼は今、おおむね幸福で満ち足りている。私は彼の古い友人としてそれを喜ぶ。人並みになろうとしていたころの彼を見ているのはつらかった。そのことを思い出して私は言う。でもよかったですよ、社員旅行くらいしか、いやなことをしなくなって。
結局のところ、「人並み」は、僕にとって自然なことではなかったんです、と彼は言った。それを人工的に撓めて、撓めたものを保持する力がなくて、だからそれは、反動をつけて戻った。以前よりも先鋭なかたちに。間違った努力をしなければ、僕は社員旅行でここまで苦労することもなかったかもしれない。道ばたの猫をなでるのがいやになることもなかったかもしれない。
昔は猫、なでてましたよね、と私は確認する。どんなふうにちがうんですか。感触は同じですと彼はこたえる。薄い皮膚の下でなにかが複雑に動いている感じ、水分が蒸発してくる感じ、十年前、それが気持ち悪くなった、でも猫はかわいいと思います、今でも。
休みの日になると野良猫をかまいに近所の河原に行きますと私は言う。いいですねと彼は言う。彼は過去の経験に基づいて私に共感を示してくれる。でも私は彼に共感することができない。ほとんど誰にも共感されない性質を持つ人はどんなにかさみしいだろうと思う。そのような想像だけが、彼に対して可能な情愛の方法なのだと思う。
このあいだ河原で猫をなでるのはコスプレだって言われちゃいました、と私は話す。コスプレと彼は繰りかえす。なにコスプレですか。ご隠居コスプレ、と私は言って、自分で少し笑う。会社の後輩なんですけど、私がなんにも欲しがらないで、ただ穏やかに過ごすことに腐心しているのを、コスプレだって言うんです。
撓めていると、反動が来るんですよね。訊くと彼はそっとうなずく。ひとの性質は弾性が強いみたいでね、反対側に曲げているとあとできっちり復讐されます。おかげで僕は不便だ。
人工的にご隠居的な生活をつくってきたつもりはないんですが、と私は言う。言って、そこでためらう。でも結局続ける。そうだったのかもしれません。私は自分の欲望を周到に矮小化して、それで自分は幸せだと思いたがっていたのかもしれません。
私は全力で勝負して何かを勝ち取るなんておそろしい、けれどもそれをしたい、私はなにも欲しくない、私はなにもかもが欲しい。穏やかに暮らしたいのか欲に身を任せてしまいたいのか、私にはわからない。
彼は少し黙り、それから丁寧に話す。人工的な嗜好を真剣に構築しているとそれが本来の自分の一部みたいな気がしてきます。若いころ僕は自分が病気で、そしてそれを克服しつつあるのだと思っていた。でもそれは間違っていました。間違っていたことは人工物にほころびがあらわれてからでないとわからない。
ほころんだらどうしましょうと私は訊く。捨てることですと彼は言う。必要なものだったとわかったら、また作ればいい。必要か欺瞞だったかは必ずわかります。もしもそれがあなたの深い部分にとって耐えられないことなら、いったん抜けたあとで戻ることに強い拒否感を覚えるはずです。
私たちはそれから、ちかごろどんなコーヒーを飲んだかについて報告しあった。私たちは悪魔のように濃いコーヒーが好きで、それが飲めるところをいつも探している。