傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

世界を試す

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから長い時間が経ち、世界はすっかり変わってしまった。そのためにわたしは無意味な賭けごとがしたいという気持ちでいっぱいになっている。

 学生の時分に何度か酔っぱらって路上で寝た。文字通りの睡眠ではないが、つぶれていたことはたしかである。そのころわたしは若い女であり、特段に身を守る能力もなかったから、どう考えても危険だ。

 酒が好きでつぶれるまで飲んでいたのではない。今となっては若い自分の考えていたことはよくわからないが(日記を読んでも「どちらさまですか」「たいへんそうですね」と思う)、少なくとも酒自体を好んでいたのではなかった。若いころから飲む機会がなければ飲まなかったし、今でもそうだ。食事とともに二杯か三杯がせいぜいである。

 そんなだから、若いころのわたしはたぶん、飲みたかったのではなく、酔いつぶれたかったのである。もっと正確に言うと、酔いつぶれて悲惨な目に遭うか遭わないかという賭けをしたかったのだと思う。

 二十代半ば以降のわたしは今のわたしとのあいだに強い連続性があり、日記を読んでも「どなたさまですか」とまでは思わない。どうやらそのあたりからわたしは、「世界はそれほど悪いところではなく、わたしはそれほど悲惨な境遇に陥らない」という信念を持っている。

 もちろん世界には暴力と死があふれている。疫病の前から、理不尽と悲惨にあふれている。しかし同時に世界には美があり、驚きがある。若いころのわたしは(日記によれば)世界の美と悲惨の双方をすでに知っていた。日記にそう書いてあった。要するに若者が芸術や恋愛で多幸感をおぼえたり、身近な人が死んで嘆き悲しんだり、そういうありふれた生活をしていたわけだ。

 そして若いわたしは世界の両義性に耐えられなくなった。どちらかにしろと思っていた。世界よ、美しくあるか、悲惨であるか、はっきりしてくれ、と思っていた。直接のきっかけは大学の友人が死んだことだと推測される(そのことは日記には書いていない。中年になったわたしの推測である)。友人が死んだのに腹は減るし、夕焼けは美しい。それに耐えられなかったのだと思う。

 今のわたしからすると、その程度の両義性に耐えられないのは未熟としか言いようがないし、世界がおまえの単純な頭に合わせるわけないだろと思うのだけれど、でもまあしかたない。要するに幼かったのだ。

 そして若いわたしは大量の酒を摂取して路上にへたりこんだ。結果、一度は水のペットボトルをもらい、一度はマンションに送ってもらい、一度はしっかり歩けるようになるまで公園のベンチで付き添いをしてもらった。

 わたしは賭けに負けたのだ。三回勝負して三回とも完敗した。わたしは財布を取られず、暴行されず、放置さえされなかった。わたしは世界が美しいことを認めざるをえなかった。そして今のわたしと連続性のあるわたしができあがったのだーーたぶん。

 けれども今、わたしはもう一度、世界を相手に賭けをしたくなっている。疫病の蔓延で薄く複雑な恐怖がわたしたちを覆い、そのくせ日常はだらだらと続いている。会う人間が制限され、そのために私的関係を選別しなければならず、楽しいことや美しいものにアクセスする方法も減っている。世界は、もしかして世界は、やっぱり、ただ悲惨なだけの場所なのではないか。

 わたしはおそらくそのように感じたのだ。だからわたしは唐突に若いころのわたしのことを思い出し、実家から持ってきたきりあけていなかった段ボールを引っ張り出して日記を読んだのだ。

 とはいえわたしは分別盛りである。もう酔って路上で寝たくはない。そもそも酔うための場所だって疫病対策でやけにこまかく区切られて向かいの席とアクリル板やビニール幕で仕切られているのだ。完全に興ざめだし、それすらいつアクセス不能になるかわからない。

 わたしは考える。考えるというほど明瞭ではないぼんやりとした思いをめぐらせる。わたしは賭けをしたい。わたしは世界を試したい。世界の悲惨を引きずり出してやりたい。賭けに勝って、そして、

 わたしははっとする。それから散漫な思考の中身を書き出す。ずいぶんメランコリックである。病的というほどではない(たぶん)。でも気をつけたほうがいい。そのように思う。若かったころの無茶な自分は、いなくなったのではない。彼女はわたしの中にいて、わたしが世界に耐えられなくなったときに出てくるのである。