傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

恨みの要件

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。何度か出された通達が「いくらなんでももういいだろう」という感じで止まり、いわゆる行動制限が解除されたのがつい最近のことである。
 疫病自体はぜんぜんおさまっていないので、相変わらずワクチンを打ったりマスクをしたりはしている。疫病以降に知り合った人とはじめて食事に行くと、「こんな顔で笑うんだ」と思う。顔の下半分を出さずに過ごしていたのだから、そりゃあそうだろう。口というのは表情のけっこうな割合を占めるものなのだ。
 そのようにしてはじめて顔を見た職場の若い人が、ぽつりと訊くのである。人を恨んだことってありますか。自分をすごくひどい目に遭わせた相手への感情に、どう折り合いをつけたらいいと思いますか。

 わたしが生まれ育った家庭は悲惨なところで、職場の人間もそれを知っている。検索すれば本名と職場が出てくるたぐいの仕事をしているために、職場に親族が押しかけてきたことがあるのだ。よくできた職場で、冷徹に追い返してくれた。それでちょっと話題になったから、若い人も知っているのだろう。
 恨む、という語に少し驚いて、それからこたえた。たぶん、ない、憎んだり嫌ったりはするけど、恨むっていうのは、ちょっとわからないかもしれない。
 でも気が済まないことはあったでしょう、どういうふうに折り合いをつけたんですか。若者はそのように質問を重ねる。折り合い、とわたしは繰りかえす。いや、折り合いをつけたりはしていない、というか、折り合いをつけるやり方がわからないし、つけようと思ったことがない、自分に加害した連中が目の前にあらわれたら今でも憎いと思うだろうし、彼らがこの世に存在するよりしないほうが気分がいいだろうけど、まあでも、本当に気が済まなかったら殺そうと思っていたからね、それより自分の人生が楽しいから殺さなかったというだけのことでね。

 わたしには十五歳より前の記憶が断片的にしかないのだが、少なくとも十五のときには自分の親を殺すことを考えていた。同じ家で生活していたら、一人か、うまくすれば二人とも殺すチャンスはある。相手は自分が殺されるなんて思っていない。それなら非力な子どもでも準備して工夫して冷静にやり遂げれば殺すことはできる。しかし、殺したあとそれを隠し通すことは不可能だ。
 わたしは「今は殺さずに耐えて、できるだけ自分の被害を減らし、十八になったら家を出て楽しく暮らす、そのほうがわたしにとっては得だ」と判断し、彼らを殺さなかった。「やっぱり殺したいと思ったら、戻ってきて殺そう」と思った。
 今のところ殺していないし、ふだんは彼らの存在を忘れている。

 そこまで考えて、わたしには選択肢があったから恨むという感情を覚えなかったのではないか、と思った。優しかったり常識を持っていたり、虐待する親でも愛するというような心情がある子どもなら、殺すという選択肢が浮かばず、心が八方塞がりになるのではないか。その八方塞がりを「恨み」と呼ぶのではないか。
 うらめしやーと出てくる幽霊、あれは生きているうちは何もできない立場に追い込まれていたから、化けて出るのではないか。番町皿屋敷のお菊さんが生身で何をどうがんばったところで武家屋敷の連中を惨殺することはできない。もちろん、家を出て生活する目算も立たない。なにしろ江戸時代の話である。

 大人になってから、何か理不尽な目にあって人を恨んだことはないんですか。若者が質問を重ねる。わたしはこたえる。いや理不尽な目に遭ったことはそりゃあありますよ、転職が決まって前の職場を辞めたあとに内定を取り消されたりとか。でもそれも弁護士さんのところに行って訊いてみたら「訴えたら勝てるけどせいぜい百万しか取れない」って言われて、それでこの業界で働きにくくなるならやめとこって思ったんだよね、そりゃしんどかったけど、ほんとに気が済まないなら訴えればいいんだからと思って。あとはそうねえ、セクハラとかはちゃんと相手を処分してもらったから、まあいいかなって、相手を許してはいないけど気は晴れたよね。
 要するにわたしは八方塞がりになったことはないんだ。見回せば二方くらいはあったの、いつも。
 わたしがそう言うと、若者は少し目を泳がせ、言った。愛してなかったから、恨まなかったんですね。
 うん、そう、とわたしはこたえる。それから思う。「愛しているからこそ恨んでいる、そんな相手がいるの?」と訊いたほうがいいのかな。