傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ラブホ行こうよ

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それでしばらくおとなしく暮らしていたところ、彼氏が「ラブホ行こうよ」と言うのだった。
 こいつだいじょうぶかとわたしは思った。一緒に暮らしてる人間とラブホ行ってどうすんだ。ベッドなら家にもある。それぞれが一人暮らしのころに使っていたベッドを持ち寄ったのでそこいらのホテルのよりでかい。ネトフリの見たいものリストはまだ長いし、switchも買った。最近は近所の銭湯に行くのがこの家のブームでもある。セックスだってしているじゃないか。奇抜な設備を別にすれば、ラブホにしかないものなんかないだろう。

 ある、と彼は言い張るのである。行きがけにコンビニに入ってテンション上がってあれこれ買って結局残しちゃったりとか、女の子がシャワーを浴びてるあいだそわそわしながら待ってたりとか、なんとなく寝ないでぼつぼつ話したりとか、窓がないもんだから朝ぜんぜん起きられなかったりとか、そんでつい寝過ごして女の子に置いていかれたりとか、そういうの。
 女の子って、とわたしは思った。同居して一年近くにもなる三十歳をつかまえて女の子って、あんた。

 それから彼のせりふを反芻してなんとなく理解した。彼が必要としているのはこの世界から消滅した軽薄な夜なのである。ちょっとした知り合いと、ときには知り合ってすぐの相手と話していて、なんとなく距離が縮まって、たいした思い入れもなく「うん、エロい」なんて思って、向こうもそういう感じで、色恋の色をエンジンに恋のほうは上澄みのひとかけだけ使って、それでもって手をつないで、ねえ今日は一緒にいようよっていう、あれだ。明日はわからないけど今日は一緒にいようっていう、あれ。
 不要不急といえばこれ以上の不要不急もない。疫病の前からそんなの必要なかったという人のほうが多いだろう。このたび流行している疫病以外にもリスクはあるのだし。
 でもわたしもほんのときどきはそういうことを必要としていたタイプの人間だ。経済にも学問にも芸術にも文化にも貢献しない、軽薄な楽しみ。そこからいわゆるまじめな(えっと、つまり、一対一の長期的な? そういうのまじめって言うんだよね?)関係に至ることもあるけれど、それはたまたまで、別にどこにも至らなくってぜんぜんいいですって感じの、不要不急。生産性とか進歩とか高潔さみたいなものをまとめてぶん投げちゃうのがなぜだか愉快な、あのなつかしい不要不急。

 この世界ではいらないとされたものが次々に消滅していく。そのような世界がはじまってすぐ、まだ誰も消滅が継続的な現象になると思っていなかったころ、彼はわたしにこう言った。今の部屋の更新が近い。引っ越す。だから一緒に住んでよ。
 彼はたぶん彼の好きな場がしだいに消えていくことを予期していたのだ。なんとなく人が集まる場所、約束なしに会話が発生する場所、特段の理由なしに呼ばれる場所、浮ついた音楽のある場所、深刻でない親密さが発生しうる場所。その筆頭が「女の子とラブホ行く」なのである。それらがしだいになくなることを予見したから誰かを家に置いておこうとしたのだろう。さみしがりだから。

 そんなわけでホテルから会社に直行した。わたしはこのところ土曜日の出勤が多いのだ。朝の百軒店の景色はなんだかガラス質で、うらぶれているのにしめっぽくはない。坂を下る。コーヒーをテイクアウトする。ガードレールにもたれる。からすの声を聞く。見るべきものなんかない視界をざっと走査する。わたしが若かったころこのあたりで目についた脱法ハーブの店の妙に可愛い看板はもちろんもうない。世界はよりクリーンになり、安全になり、疫病が来ても人々はちゃんと家に引きこもってマスクをかけ、夜中に知らない人と話しこんだりしない。
 妙にコーヒーらしさを保っている奇妙な黒い液体をのむ。百円でまともなコーヒーが飲めるはずがないから、わたしは味覚のどこかをハックされているか、あるいは非情な搾取に加わっているのだろう。
 でもだいじょうぶだ。わたしはホテルに男の子を置いて出てきて、そのまま捨ててもいいし、一生一緒にいてもいい。だから、だいじょうぶだ。

 ホテル代家計に入れておいて、と送信しかけて、やめる。たぶん彼も今わたしと同じような軽薄な自由の残滓を味わっているだろうから、しばらく邪魔しないでおこうと思う。家計って、あんまり軽薄じゃないもんな。