傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

疫病と様式

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。子どもの小学校も休校になった。夫は出勤せざるをえないが、わたしはリモートワークが主になった。子どもが生まれてすぐから頼りにしている近隣に住む母を呼ぶことはためらわれた。疫病は高齢者において重症化しやすいとわかっていたからである。
 わたしは努力した。わたしはキャリアの上でも重要な局面を迎えていた。そのタイミングで疫病の時を迎えたので、足元を見るかのように「ITに弱い人たちのサポート」という名のしりぬぐいがたっぷりやってきた。わたしはあまり眠らなかった。眠らなくても平気なような気がした。そうしてわたしは布きればかりを70万円ぶん買った。

 買いすぎているという自覚はあった。だって服なんてそんなにたくさんは要らないからだ。一点一点に執着しないから買ったぶんだけ捨てる。だから収納があふれることもない。しかし収納はそもそも非常に大きいのだ。夫が着るものにさほど頓着しない上に、子どももまだ小さいから。

 買い物は好きだ。ファッションも好きだ。覚えているかぎり思春期からずっとそうだ。中年期には体型が変わるし、変わった体型なりに運動をしたりして引き締めて、それでまた変わる。だから着るものの更新が必要だったことも事実だ。

 それにしても数か月で70万円は、ない。わたしは可処分所得の中でかなりの部分をファッションに費やしてきたが、「可処分所得の中で妥当な金額」の範囲でしかなかった。数か月で70万円は、ない。ぜったいにない。そういう富裕な人間ではない。何かがおかしい。
 同世代の気の置けない同僚にこのことを話すことにした。給与水準が同じだからである。それから同僚は基本的に他人にそれほど強い関心がなくて、個人的な話をしたところで誰かに言いふらすことはほぼないからである。なんなら話した晩のうちにその内容を忘れる。良くも悪くも、そういう女である。

 液晶画面の向こうで同僚はあははと笑って、そりゃあずいぶんと張り込みましたねえと言う。高いもの買っちゃうときって、ありますよねえ、私はだいたい航空券にぶっこみますけどねえ、おしゃれな人ならそれが服飾品ということも、あるでしょうねえ、何いっちゃいましたか、ファインジュエリーですか、ハイブランドの鞄ですか、両方かしら。

 同僚は勘違いしている。わたしはこのところバッグを買っていない。アクセサリーはガラス玉でかまわないタイプだ。靴や下着は勘定に入れていない。申告した金額は街着だけの価格だ。今や着ていく場所もない、布きれだ。わたしは夜間にどれだけ働こうと、たまった家事に追われていようと、睡眠不足なのに目が冴えて眠れなかろうと、決まった時間に起きて、毎日ちがう布きれを着る。そうしてしっかりと化粧をする。

 そのように説明すると同僚の顔はすっとまじめになり、少し黙って、お洋服を買うのは、決まったお店ですか、と訊く。同僚の言いたいことはわかっている。買い物をしすぎる人のうち、一定数は買うものより店舗の人々との関係のために買い物をする。
 わたしはそのようではなかった。感染リスクを鑑みて店舗に行くことを控えている。出かける暇もない。わたしのサイズに合うとわかっているものばかりをインターネット経由で買う。ドライヤーで髪を乾かしながら買ったことさえあった。

 同僚が口をひらく。通信が少し遅延する。通信でなく同僚が遅延したのかもしれない。今となってはその区別はつかない。同僚はコマ送りで口をひらく。やけにあざやかな、電話よりも立体的な声で、言う。それは正しい消費です。浪費ではない。

 あのね、私にはわからないことだけれど、完全に想像なんだけど、それは疫病の時の前から続く儀式が膨れ上がったものなんです。「新しい生活様式」とやらが政府から喧伝されているでしょう。勝手なことだ。ひどいことだ。様式は時間をかけて開発されるべきものです。為政者が簡単に「変えろ」と言っていいものではない。ひどく野蛮な物言いですよ、「新しい生活様式」!

 だから私はぜんぶ取り替えました。ええ、このご時世にあって、引っ越しなんかしてやりましたよ。そうして犬を飼いました。ええ、不要不急です。見ますか? よしよし、ごあいさつなさい。うふふ、かわいいでしょう。不要不急ちゃんです。嘘です。名前はちゃんとつけた。

 ねえ、様式を奪うなんて、それを指定するなんて、ひどいことですよ。だからこうなる前の服をたくさん買うなんて、したらいいんですよ。破産するほど買っているのでないんだから。買い物なんて、そりゃあもう、罪のない抵抗ですよ。